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アウトサイダー ノット フレンド/コラボレーター ブラザー

 その男と目が合った時、私は血の気が引く思いだった。

「さ、犀陵さん……」

 季節の変わり目で、気温の寒暖差が激しい時期だった。
 
 暑くなったから脱いでいたジャケットだが、日も傾いてきてそろそろ肌寒くなってきた。それと、おべっかばかりの周囲もうんざりだったので、私が行きます、いや私が、という数々の手を振り払って、荷物が置いてある部屋にあるジャケットを私自ら取りに行った。

 そこで、私は、私のジャケットを漁り、革でできた折り畳みの小さなフォトフレームを取り出して眺めていた男と目が合ったのだった。

 男――確か、どこぞの企業の役員だった――は、私の姿を見て真っ青になっていた。

 それはそうだ。人のジャケットの内ポケットを勝手に漁って、その中身を見るなんて、人倫にもとる行為だ。だから、私は何かを考える前に、男に大股で近寄ると、男の手の中のフォトフレームと私のジャケットを奪い返した。

 男が、あ、と情けない声をこぼす。私は、思い切り男を睨んでやった。

 へへ、と、男が、空気の読めない、愛想笑いを浮かべた。

「さ、犀陵さん、意外ですね、”そのような”趣味がおありとは」
「は……?」

 私は、男の言っている事の意味が分からなかった。

「だって。その写真の中の少年、息子さんでもお孫さんでも、ありませんよね?」

 ニヤニヤと、男は醜悪な笑みを浮かべている。私は、フォトフレームの中身をこれ以上男に見せたくなくて、男から中を隠すように胸に押し当てた。

 その行動に、男は何を勘違いしたのか、私の肩に手を伸ばしてくる。私は、男を睨んだまま、その手を避けた。

「犀陵さん、ジャケットを見たことを謝ります。私のものと間違えてしまって」

 嘘だ、と、すぐにわかった。

 この男は、ずっと私に媚を売っていた。なんでも、海外進出の足掛かりに、私の人脈がどうしても必要なのだという。あまりにも鬱陶しかったから、少しくらい紹介してもいいか、と思っていた所だったのに。

 小狡い男だから、私の弱みや付け入る隙がないか探そうと、ジャケットを漁っていたのだろう。ジャケットから――フォトフレームから目を離していたのが悔やまれる。こんな、品性も何もない男に、大切な写真を見られるなんて。

「いやあ、随分と顔立ちの整った少年で。彼のようなタイプがお好きですか」
「君は、何を言いたいのかね」

 私の声が震えている。

「ご紹介、できますよ」

 男は、にやり、と笑った。吐き気がするくらい、嫌な笑みだった。

「写真を持ち歩くくらい、彼がお気に入りなのでしょう?」

 男は、完全に主導権を握ったかのように、勘違いをしている。

「少年趣味の同士の集まり、知っていますよ。お互い、お気に入りを連れて行って、交換したり、具合を確かめあったり、アリバイを作り合ったり」

 男の口が、止まらない。

「犀陵さんほどの人なら、彼らも歓迎します。その写真の少年もきっと、歓迎して、彼らは可愛がってくれますよ」

 男の言葉に、私の体が震えた。

「あまり、表に出すことのできない趣味ですからねぇ。同好の士は多ければ多いほどよい。犀陵さんは、海外にも強いコネクションをお持ちだ。それを、少し私どもに使わせてくれませんか? そうすれば、犀陵さんも、」

 私は、頭が真っ白になって、男の胸ぐらを掴んだ。

 ひっ、と、男が情けない声をこぼす。でも、ニヤニヤが止まらない。私を少年趣味だと誤解している。写真の少年を――私の親友を、男は、不埒な目で、ずっと見ていたのだ。

 許せなかった。

 大志を汚す奴らは、みんな、許せなかった。

「さ、犀陵さん、落ち着いて、ね?」

 男は、引き攣りながら笑っている。

「誰だって最初は受け入れ難いものです。でもね、一度素直になってしまえば、簡単なものです。犀陵さんも、一度体験してみれば、きっと、」

 潰す。

 私は、無意識にそんな言葉を発していた。

「もしも、君が我が身を可愛いと思うのなら」

 後悔させてやる。

 親友を、苦しめた奴ら。
 苦労をさせた奴ら。
 自殺に追い込んだ奴ら。
 みんな、みんな。

「口を閉じろ。これ以上、何もいうな」

 ぐ、と私は両手に力を加え続ける。私の勢いに、男は完全に笑みを消している。

 ――潰してやる。

 男は、慌てて私の手から逃れた。
 床にへたり込んで、ヒィヒィ言っている。情けない事だ。でも、私には関係ない。男の広げた足の間、急所ギリギリのあたりに、だん、と音を立てて足を下ろした。

「忘れろ。君が見たもの、全て忘れなさい」

 男は、顔を真っ青にして立ち上がった。そして、逃げる様に荷物置き場になっている部屋から出ていく。

 私は、それを見送ると床に落ちたジャケットとフォトフレームを拾い上げた。

 紺色の、革でできたフォトフレームだった。二つ折りに閉じたそれを、開く。

 中にいたのは、端正な顔立ちの少年だった。学生服を着て、作り笑いをしていた。何十年も昔に撮った、卒業アルバムの中の一枚を、店に頼んで最近撮った写真の様に手を加えてもらった写真だった。だから、この写真の少年は、もう少年ではない。私と同い年だ。同い年、だった。

 大志。

 少年の名前を呼ぶ。

 大志は、もう歳を取らない。死んでしまったから。自分から死を選び、1人で死んでしまったから。

 
 私が死なせてしまったから。

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