私の人生は、後悔が少ない人生だった。
人生を振り返って、思い当たる後悔はそう多くない。でも、その幾つかの後悔が、私にはとても大きなものだった。
大不況の最中、大変なことになっていた親友の会社の援助をしなかった。
――せめて、愚痴くらい聞いてやれば。大不況が落ち着いた後でも、援助はできたのに。私のポケットマネーからなら、誰にも文句は言わせなかったのに。
息子達が、親友の会社を潰そうとした時、止めなかった。
――いくら粉飾をしていた会社とはいえ、会社を潰すなんて真似、止めるべきだった。働いている従業員もいるだろう。倒産したら、社長が大変な事になるのは、知っていたはずだろう。
親友を、いつまでも助けず、1人にしてしまった。
――親友が抱え込みがちな性格なの、私は知っていたのに。あいつを1人にしては、いけなかったのに。私の事を、親友は恨んでいるに違いないからって、怖気ついている場合ではなかったのに。ストーカーのように、定期的に動向を調べていただけで、なんで「大丈夫」なんて思ってしまったのか。
親友を、自殺させてしまった。
憧れの親友だったのに。親友に見合う男になるんだって私は努力していた筈だったのに。親友、だったのに。
私は、私の臆病さで、親友を殺してしまったのだ。
悔やんでも、悔やみきれない後悔だった。
「会長、到着しました」
「……ああ」
私は、運転手に声をかけられて俯いていた顔を上げた。
広い車内の中には、私と運転手以外誰もいない。運転手もプロだから、私の様子をよく見ている。私が何も話したくないのをすぐ察して走行中、何も話さなかった。自宅から数時間かかる、この寺までの道中、車内はとても静かだった。
運転手に開けられたドアから車外に出ると、私は日光の眩しさに目を細めた。
後部座席の窓ガラスにはカーテンがつけられていたし、薄暗い方が考え事や記憶の整理がしやすいから、車内灯もつけなかった。それに、昨夜は睡眠薬を飲んでもよく眠れず、寝不足気味だから尚更光が辛い。
雨とか、せめて、曇りならば、まだマシだったのに。
でも、外は晴天だった。私の胸中とは、打って変わって、良い天気だった。
思い返せば、大志が自殺をしたのを知ってから、心が晴れやかになった日なんて一日もなかった。孫が生まれても、確かに嬉しかったし誕生を祝福していたが、でも、私の心の中には常に大志の姿があった。事実、私の服のポケットには、いつも大志の写真が入った紺色のフォトフレームが入っていた。
私が、大志を助けていれば大志にも孫がいたのかな、なんて、そんな事を私の孫を抱き上げながら思っていた。
運転手を駐車場に残して、私は1人、線香が入った小さな紙袋を片手に、陽の光を浴びながら長い階段をのぼっていた。膝が正直きついし、陽の光も辛い。妻ならば、少なくとも帽子と日傘は忘れていなかった陽気だ。
そういえば、妻が、私も着いて行こうか、と珍しくそんな事を私に言ってくれた。でも、私は断った。妻は大志の事をよく知らないし、私も特に大志の事は妻に言ってなかった。でも、妻は聡い女だし、大志がアパートで一人暮らしをするようになってから、定期的に興信所に頼んで様子を見てもらっていたのを気がついていない訳がないから、大志の事を全く知らない訳ではないだろう。
でも、私は大志への思いを誰にも共有したくなかった。
共有したら、悲しみが癒えてしまう様な気がして。気持ちが、楽になる気がして。罪の意識を、忘れてしまいそうで。
だから、私は1人で、大志が眠る寺にやってきたのだった。
籤浜の先祖代々の墓は、この寺に纏めて永代供養されていた。先祖代々の墓も、以前はもっと籤浜の本家に近い寺に立派な墓があった。しかし、大志が自殺する前に、大志自身が墓じまいをして、霊園の中の籤浜家の墓を引き払い、墓所を更地にして、中にあった遺骨は全て、この寺に移したのだ。そして、この寺に永代供養を頼んだのだ。――大志自身の事も。
大志の実子である、伊吹くんに迷惑をかけない様に、と。
私は、今更気がついた。
大志は、死ぬ前にどういう契約を霊園側と交わしたのだろう。
今、私は大志の墓参りをしようとこの長い階段を登っているわけだが、きちんと、大志に私は会えるのだろうか。
有象無象の遺骨と大志の遺骨が一緒に埋葬されていたらどうしよう。赤の他人と一緒に合祀されていたら、嫌だ。自分が死んだ後なんて、遺骨の行方なんてどうでもいい、と大志が思っていたら、どうしよう。私は大志に謝りたくてここまで来たのに。
私は、大志の葬式には行けなかった。
大志が死んだのを聞かされたのは、大志の葬儀が済んだ後だった。
息子達の側には伊吹くんがいたから、それで、大志が亡くなった事も直ぐに知っていた。でも、息子達は私に教えてくれなかった。当然だ。だって、息子達は私と大志の関係なんて知らないから。同居もしていないから、興信所が撮った、沢山の大志の写真の事も知らない。
私が大志の死を知ったのは、「そろそろまた頼むか」と連絡を取った興信所の担当者の口からだった。
「あの人、亡くなりましたよ。まだ頼むんですか」なんて言われ、私は大志の死を知ったのだった。
だから、私は大志の墓の場所も知らなかった。ようやく最近、大志が埋葬されている寺を知って、私はやっと大志の墓参りをしようとこの都内から離れた寺までやってきたのだった。
全部、今更なのは分かっていた。
遅すぎるのは、分かっていた。
でも、どうしても謝りたかった。親友に、ごめん、と一言言いたかった。
でも、墓も遺骨も位牌もないとしたら、私はどうしたらいいんだろう。
後悔だった。
大志の事を、もっと私が、よく見ておくんだった。