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16

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企画内容

 『普通』という言葉はマイクロアグレッション的に攻撃的な表現なんだそうで、思うのは人間とはそれぞれが特別(特殊)なのであり普通・普遍的な人間は存在しないというのが、基本的には平成の世において奨励された個性主義の残滓なのだと理解していますが、個性主義と多文化主義、および多様性重視の戦略が失敗してからというものの(とくに911といった象徴的な出来事とその後の対テロ戦争の顛末に代表されるように)排外や排斥が浸透して(あるいは可視化されやすくなって)インターネットは差別的な言動に満ちていますが、それはそれとして、みなが「普通」になったので「特別な人」が作りづらくなった、男女それぞれの性役割は名目上撤廃され自由恋愛を始めとする自由競争は賃金、総資産、労働時間、経験年数、経験人数、年齢、身長、体重、スリーサイズ、子供の数、フォロワーの人数、「いいね!」やリツイートの数、PV数、持っている土地の広さ、自分が所有している物の数など、その多寡はともかくとして、数値を競い合うものでしか無くなったわけですが、資本主義社会と新自由主義とが手を取り合って形成してきた競争社会のゲームの様相は、現実社会のルールとそのまま一致しており、争いは絶える事がなく、人々は人々を殺し合って喰らい合って生きているのだと解釈していますが、その中で自分こそが正しい、自分の考えている事が、自分の創作物が一番だ、という考えは、やはりそれぞれが個別の事象や歴史を有している所以なのだと思うのであって、「みんなそれぞれが特別」という幻想あるいは欺瞞は、ある種の真実でありながら、同時に「自分が特別だとみんながそれぞれ思っている」という普遍性もまた、存在している事は確かなわけです。

 上記の悪文は読まれる事を想定していません。読まれるように書いていないからです。すると何もかもが曖昧になる。読み飛ばしながら、分かる所だけを拾い読みする。みんな隅から隅まで契約書の内容を読んだりしないでしょ(プロならともかく)。それでいいんだと思います。文章の意味を読み解こうとする、解釈しようとさせるのがいわゆるところの純文っぽさなのだと思いますが、それ自体がエンターテインメントとして機能できれば儲けもんですよね。謎解きや解釈のゲームはよくあるもので、ミステリなんか書ける人はすげーんだなーと感じますが、非競争的な教育制度が(子供たちを象徴的に去勢して)少子化や労働意欲の低下をもたらしたのだとも思いませんか?

 この文章は日本語で書かれていますし皆さんも多くが普通に日本語で思考し生活していると思いますが、いずれそれも出来なくなる日が来る不安があるのではないでしょうか。それは侵略だとか戦争によるものではなく、けっきょくは自ら瓦解する形によって。子供たちは生まれなくなり言葉と表現は規制され続けるのだから。内的な表現規制が良心であるならば外的な表現規制もまた良心によるものなのか抑圧や排外であるのか。日本人が日本人であるゆえはこの膠着語に分類される言語だと思うんですが、それを守ろうと日本語で表現し続ける事はナショナリズムに分類されるのか、考えた事はありますか? 詩を始めとする言葉は押韻やリズムをその言語に依存しており何かしらの要因でその言語が消滅してしまった場合、我々は、我々の言葉を誰にも届ける事もできないし、理解される事もなくなる。それは文章を書く人間にとっての恐怖ですよね。私は恐怖しています。

 「自分は普通だ」とか「自分には突出する物を持っていない」という人が居てもいいし、「自分は特別だ」とか「自分には才能がある」と思っている人が居てもいいんだと思います。それは小説の内容もそうで。どうせ誰にも理解されないんだから。各々が各々の特別の事象を持っていて、共感とは互いの内面の表面を滑り合うだけで、各々の音は違うのだから、共感や感情移入のハーモニーとは、協和音なのか不協和音なのかという差異でしか無いのだと自分は思います。インターネットは暴力的なノイズ・ミュージックに満ちていて、そこに音を見出すか、雑音として捉えるかは人それぞれのように思います。我々は「みんなと同じ」と「あなたは特別」と相反する言葉を与えられ続けてここまでやってきました。たぶん目指す幸福の形が違うんだと思います。幸福がどんな形をしているか見た事がありますか? 放射線が奇形を産んだり障害や病気は、鬱病や精神病は(あるいは死や暴力は)不幸であると恐怖していると思いますが、それもまた個性や特別ですか?

 そのように皆がこころの内では思っている事が幸福の形なのかもしれないと思いませんか? 普通でありたいと願う事と特別でありたいと願う事に違いなんて無かったんです。いちおう企画という体で怪文を垂れ流しているのでルールめいたものを記しますが、カクヨム上の「企画」のルールとして『自主企画ごとに定められた参加条件をよくご確認の上ご参加ください。』と明記されているので、“書かれた文章を確認のうえで”集まりたきゃ集まればいいんだと思います。それが我々がコミットメントしているはずの自由であるとか自由意志と呼ばれるものであるはずだ

参加方法

参加する小説の設定画面で、自主企画欄にある「『自分は他の人たちとは違う特別な存在だ(私だって普通の人たちのようになりたいのに)』と思っている普通の人間ども」を選択してください。

運営より

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主催者

ウェブ上では名前も性別も年齢も所属も不詳の、匿名。 On the web I'm just an ordinary Anonymous Coward. ------【!注意 必ず読んでください】-…もっと見る

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