ミステリーといえば、不可能を可能にするトリックや、それを暴く探偵役の名推理といった謎解きの愉しみは何にも代えがたいもの。そしてその知的遊戯とさまざまな「知」との相性の良さも、魅力のひとつです。
『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎)など、ミステリー小説史に名を残すペダンティック(衒学的)な名作たち。
もう少しライトなミステリー小説でも、自分が知らない分野の専門知や教養、「あるある」がしっかり描かれていると、謎解きとは別軸の読みごたえがあって嬉しいですよね。
あっと驚く作中の仕掛けや妖しい雰囲気、ジェットコースター的な展開にどっぷり浸かりながら、さまざまな分野の知識や教養が手に入る。今回はそんな4作を集めました。
日々寒さが増していくこの時期、安楽椅子ならぬコタツを根城にして、物語を楽しみながら多分野の知識を身につけてしまいましょう!
雑居ビルの一室に事務所を構える俳人探偵と歌人探偵。ある日俳人探偵のもとに、「誰も出していないはずの句が句会に現れる」と相談が持ちかけられてーー。
俳人、歌人のふたりの饒舌な会話を楽しんでいるだけで、句会や季語など、俳句、短歌に関する知識がすんなりと頭に入ってきます。
また、すでに句会をはじめ短詩形文学に親しんでいる読者も多いと思いますが、作中で展開される、デジタル時代の句会のありかたや、定型をどう考えるかなどのさまざまな問いは、探偵たちのトークに参加したくなるような、地に足のついた実践的なリアリティに満ちています。
プロが垣間見せてくれるこういう視点が楽しいんですよね!
まえがきには「まともなミステリは期待しないでください」と書いてありますが、きっちり推理小説の型を踏襲した展開に、鮮やかなキレのあるラスト。一読して唸りました。
会話の節々に感じられるふたりの人物造詣や関係性も、一筋縄でいかない魅力たっぷり。
昔話としてちらっと登場する過去の難事件もとても面白そう。特に、歌合(うたあわせ)に「デスゲーム」とルビの振られた難事件……ああ、続編が読みたい!!
歌人・小説家として活躍する著者による満足度の高い一作です。
(「謎解き+教養! 知的ミステリー」4選/文=ぽの)
「低血糖」を意味するタイトルのとおり、身近にありつつ知らないことも多い栄養学が事件解決の鍵となる作品です。
主人公は管理栄養士かつ医大で犯罪栄養論を研究する岩園真帆。大学時代の友人・湖香の死をきっかけに、彼女が勤務していた大手チョコレートメーカーで相次ぐ不審死の疑惑を追うことに。その謎は、やがて真帆たちの大学時代に起きたある事件とつながっていきます。
主人公の研究する、栄養や食生活と犯罪の関係、という切り口がまず興味深いのですが、そうした栄養学の知識はもちろん、大企業の代替食品開発と医大の内部事情をめぐる骨太な世界観、そのリアリティのある記述は読みごたえたっぷり。
美しく聳える六甲山脈を背景に展開されるクールな企業ミステリーかと思いきや、学生時代の旧友や恩師、所属大学の同僚、さらには元夫など、さまざまな人物が交錯しミッシングリンクが繋がれていくので、読んでいて油断できません。
さらに主人公の真帆はⅠ型糖尿病を患っており、定期的にインスリン注射が必要な状態。このタイムアタック要素もスリリングな読み心地をもたらすのです。
連載中の物語もいよいよクライマックス。ぜひリアルタイムで遭遇してほしいです。
ちなみに同じ著者の前作『ランビエの絞輪』(完結済)も、栄養学と新薬開発をモチーフにしたミステリー。こちらもおすすめです!
(「謎解き+教養! 知的ミステリー」4選/文=ぽの)
不慮の事故から意識を取り戻すと、江戸時代の町医者の娘〝お花〟に転移していた法医学者の主人公。転移した時代で、江戸を揺るがす、酸鼻をきわめる変死体の謎に挑みます。
お花は、検屍の手引書として当時実際に用いられていた『無冤録述』などに記載のある検屍手法に加え、現代の法医学の知識、さらには犯罪心理学やノンバーバル・コミュニケーションの知識を駆使し、難事件を解決に導いていきます。
現代法医学や江戸時代の捜査手法のトリヴィアルな読みごたえもさることながら、行動心理学を使い、関係者の身振りや身体反応から隠された心理状態を読み解いていくさまは、明日から人を観察するときに着目したくなる実用性も感じさせます。
時代小説を読み慣れていなくても、この作品の視点人物は現代人なので、かなり読みやすいと思います。短編連作という形式も、気軽に手をつけられていいんですよね。
また、クールで淡々としながら故人や弱い者の声を誠実に聞き、真実を探ろうと懸命に考え続けるお花と、そんなお花を軽んじず尊重する同心の源三郎は、信頼に裏打ちされた理想のバディ。実はお仕事小説としても読んでいて気持ちいい作品です。
(「謎解き+教養! 知的ミステリー」4選/文=ぽの)
「魔法使い」と呼ばれた調香師である祖母の工房を受け継いだ仄香。ある日工房に隠された「十戒」と名付けられた10本の香水を見つけたところから、日常を揺るがす事件に巻き込まれていきます。
ファッションの一部というだけでなく、ひとの精神や神経にも深く作用する「香り」。
この小説では、人智を越えたミステリアスな力を持つ「魔香」の謎を追うストーリーの中に、香りの種類や作用はもちろん、香水の原料や歴史、保存法、さらにはフェロモンや嗅覚に関する知識など、関連する様々な教養がちりばめられています。
また、作中の重要なモチーフである、旧約聖書の「モーゼの十戒」の物語での展開の仕方も面白く、物語全体の独特な世界観を作り上げています。
謎の「十戒」を中心に妖しげな雰囲気を醸し出す本作ですが、いいバランスだな、と思うのが、仄香と幼馴染・郁の関係性。互いを想い合いつつ揺らぎのなかにいるふたりの関係……絶妙! 多感な高校生の心情を丁寧に追った学園ものとしても楽しめます。
現在連載中の本作。ますます深まっていく「十戒」の謎とともに、幼馴染の関係のゆくえにも大注目しています。
(「謎解き+教養! 知的ミステリー」4選/文=ぽの)