黒鵠 ~くろくぐい~

武江成緒

黒鵠 ~くろくぐい~





 上古かみつよのころ、時のみかどしらの宮にいましまして天下あめのしたらしめておられたのお話です。


 宮を造らせたもうにあたり帝は、柱と壁とのことごとくに、天下のくさぐさのものを描かしめて、万物よろずのことを宮に再現うつされようとお考えになられたということです。

 そのために、みやこちかつ国ぐには言うに及ばず。おおしまの百のちまた、千の村々。南のあおき島々から、北の雪ぶかき国まで。あさひかがやく東の浜辺から、夕雲たなびく暮の磯辺まで。

 そうしてしまじまより召されし、ももたりを超ゆる絵のたくみら。




 その技を比べ、試し、りてすぐりて、その果てに残ったものが、二人の匠でありました。

 一人は西の港にて、山川草木蟲魚禽獣のことごとくを鮮やかに表して、描いたものが生命を得たりて動き立つとまで讃えられた、花浦はぬらの匠。

 いま一人は、天にまで通ずるというたかみねしまより来たりて、とあるうまひとの家の壁に描きあげた夜空の様が、星の一つ一つことごとくまことの夜天と相違たがいなき色と輝きを放ったという、鞍崗くろかの匠でありました。


 数多あまたの匠らを退けられ、ついまえに残された二人の匠。

 いずれがより優れたる技の持ち主か、きわめたもうそのために、帝が授けられた御題。

 それは、卵でありました。




 はるか北のはてに荒れ狂う、日の輝きすら届かぬというおおいなる溟。

 その黒い怒濤になぶられるももの白き島々のその彼方、果ての果てなる島の水辺にて巣をはぐくみ。

 荒波をすら凍えさせる北のきわみの冬が近づけば、その血肉を凍らされるその前に、万里の空をはるか越え、宮からも遠からぬあわうみへと舞い降りるしらくぐい、その卵。


 それは北の混じりなき雪の中にあってさえ、ぼうと輝きをはなつほどに、この上もなくみわたった白さをもつと言い伝えられ。

 そのかたちもまた、あまが下に翼はためかす鳥どもの産むなかで、かくも美しきものはなし、と語られておりました。


 人の手になるものでは、これより白きものは無しとうたわれるたえの紙に、何をも加えることなくして、ただ真白き卵の姿のみを描けと、左様にみことを下されました。






 みことを受けて花浦はぬらの匠は、おのたちに急ぎ戻り。

 門人家人らをひきいて大旅の支度をととのえ、言い伝えにしか知るよしもなき北の果てをめざしてはるばるちました。

 千のやまを踏み越えて、万の波を押しわたり、しらくぐいの巣と卵とを訪ね歩いて回りました。


 けれども、いかに冷たき川の瀬を、いかに寂しきうみのほとりを巡れども、言い伝えらるるがごとき、この上もなく白く美しき卵はいずこにも見出せることはありませんでした。

 いかに多く、いかにくさぐさの鳥の巣をまなこにおさめ、親鳥の秘めて隠すその卵をめつすがめつ狙い見れども、これぞまさしく御題にかなうその卵というものは、ただの一つも腑に落ちることはありませんでした。

 忠心まことあふるる門人家人が、一人、また一人とたおれ、とうとうたちを出でしその時の半分にまで成り果てて。

 しらくぐいの卵をこの目に刻みつけるまで決して生きては帰らじとの花浦はぬらの匠のおもいもついくじかれて、怖ろしき北の果ての冬にわれつつ、元来たる旅路を帰り来たのでした。




 旅を終え、数も知れず目にした北の鳥たちの卵の色と形とを、思いだしては照らし合わせ。

 何としても紙の上にしらくぐいの卵の色と形とを描き落とさんとうめもだえる花浦はぬらの匠のその耳に、ひとごとが伝わり流れ入りました。


 一つは、みことを下されてより鞍崗くろかの匠は、宮の北の山にひらくいわのなかにこもりきり、一歩たりとも外へは踏み出てはおらぬとの事。

 いま一つは、その鞍崗くろかの匠がいわの外へと歩み出て、それ即ち、その絵がえがきあげられたとの事。


 疑いとも、ねたみとも、怖れとも知れぬ想いが、花浦はぬらの匠のなかに立ちのぼりました。




 鞍崗くろかの匠の籠りしいわは、夜ともなればくろぐろとかげの渦まくようで、誰一人として近寄るものはありませんでした。

 鞍崗くろかの匠その人も、峰のふもとまで担ぎおろされ、七日七晩、いまだにその目を醒ますきざしも見えぬとささやかれておりました。


 かつて北の果ての海と地とを歩き尋ねたその脚で、花浦はぬらの匠はふらふらと、そぞろ歩きでもするかのごとく、宮の北の山の岩を踏みのぼり、谷を飛び越えて。

 人の目があったならば、その有様は魂抜けて彷徨さまよ鬼神おににも見えたことでしょう。

 月の光がただ一筋のみ照らすなか、まるで風がふらりと吹き入るかのごとくに、花浦はぬらの匠はいわの中へと入りこみました。


 夜よりも黒いその闇のなかに、かすかな月のかがやきを受けて、その絵はぼうと光をたたえておりました。

 あれだけ果てなる地を歩き、まなこを凝らし、門人家人を数多失い、それでも目にすることの叶わなかった形と白さが、目のまえにありました。


 それは偶然たまさかのことでしょうか。それともほんのわずかながらも、何かしらのおもいあってのことでしょうか。

 ゆらりと動いた花浦はぬらの匠は、その足元の陰のなか、さらに黒い墨をたたえたひらをびしゃりと踏み抜いて。


――― この上もなく白く、うるわしく丸かった、その中にただ一点、真黒なが刻まれました。


 花浦はぬらの匠がいかに声をあげたのか。それとも声すらあげなかったか。それは聞く耳なき山のなか、誰も知る者はありません。


 ともあれ、いわより吹き出る大風のごとくに、山肌を逃れ降りる影が、月に照らされておりました。






 日が経って、みかどはふたたび、花浦はぬらの匠と鞍崗くろかの匠をしらの宮のまえへと召されました。


 花浦はぬらの匠の顔は青白く、まるで冷たき月の光がおもてに貼りついたかのごとくでした。

 鞍崗くろかの匠は床につけた面をあげる兆しもなく、暗い影がわだかまっているごとくでした。

 みかどまえに、二葉のしらたえの紙が広げられました。

 みかどは眼を見張られました。


 花浦はぬらの匠の手掛けた絵は、紙のなかに丸い形が描かれて、ただ、それだけでありました。

 丸い形のその中より、何かがすぽりと抜けたようなその有様。

 墨で細く描かれたその形の丸さすら、あらゆる角をすべて抜かしたかのごとくで、居合わせし人々は、ぞくりと肌を震わせました。

 しかしそれも、鞍崗くろかの匠の絵が広げられるまででした。




 鞍崗くろかの匠の手掛けた絵は、紙のなかに丸く、そして深々と、暗闇が凝り固まったかのごとき黒が描かれておりました。

 一点の白さもなく、光を照り返すこともなく、紙のなかにひろあなが空いたとて、とてもこれほど黒々とはすまいと思われるほどで。

 身じろぎする者、ぐらりと体を揺らす者、床に倒れ伏す者すらあらわれる中で、みかどは問い質されました。


 あまが下にこの上もなくみて白きと伝えられるしらくぐいの卵。

 それを描けと申したるに、なにゆえに、黒き絵を描き参ったか。




 答えて申す鞍崗くろかの匠の声はまるで、こくとうとうたる闇のなかより響きわたって来るようでした。




―― やつがれは、賜りし月日をいわの中に籠り、おのが中にひたすらに、この上もなく白く、この上もなくうるわしき丸きすがたを描きあげておりました。


―― 魂のなかに、それがついに浮かんだその時、僕はその魂を、紙の上に表したのでございます。


―― 然しながら、ああ然しながら、紙の上に表せしその魂に忍び寄り、わずか一点、黒を塗りし者がおりました。


―― この上もなく白く表されし魂。それが黒く塗られしとき、それはいやしたの、並ぶものなき黒へとち、くのごとくに闇黒と変わり果てた者にございます。


―― くありては、もはやこの身もまえに在ることは叶わず。まことしらくぐいまう北のそらへとぬばかり。




 そう申して、鞍崗くろかの匠があげたおもては。

 ひろあなの闇より黒く、紙の上に表されし黒く丸い形と寸分たがわぬ様でありました。


 その二つの黒より、ばさばさと、無数の黒きくぐいどもが現れては、あふほとばしるがごとくに宮の内より飛び立っては、北の天をさして流れ去ってゆきました。




 黒きくぐいどもがすべて飛び去ってしまったその跡には、ただ一葉の、何も描かれぬ紙だけが残り。

 その傍らでは、花浦はぬらの匠が、あらゆる色を失ったがごとくに白々とした姿でこと切れておりました。






 北の国の冬の夜が、暗く、ながいものとなったのは、あるいはこの時からであると言い伝えられております。




《了》

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黒鵠 ~くろくぐい~ 武江成緒 @kamorun2018

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