第12話 沼
聞こえるのは波の音だけ。
波風が肌寒いが、それさえも心地よい。
波打ち際、裸足の僕は浜辺に寝そべって星空を仰いでいる。
星座のことなんて何もわからないけれど、美しい景色だということだけはわかる。
やってきた波が僕の足を洗い、大海に引き返す。
また波風が吹いて、足元に寒さを感じる。
潮が、僕の足に触れて、海の一部になる。
僕の一部が、海を渡って遠く遠くに泳いでいく。僕はどこにだっていける。どんなに遠い場所にだって。
背後の森が揺れる音がして、誰かがこちらにやってくるのを感じる。
僕にはそれが誰かわかる。
「やあ、待ってたよ」
誰もいない夜の海岸に、彼女が現れたのが見えると、僕は砂浜から立ち上がった。
「すごい……こんな場所があったんですね」
夜でも暖かくなってきたとはいえ、ここは波風があるので少しだけ寒い。
海とは反対側の森の、木がざあざあと揺れている。
彼女は不思議の国にでも迷い込んだかのようだ。暗闇でも目が輝いているのがわかる。
「うん。……二人きりだよ。ここには僕と、君だけだ」
僕がいうと、彼女は少し照れて、僕に向き直った。
そして……彼女が僕の名前を呼ぶ。
* * * * *
「おい、圭一!? 聞こえてんのか?」
ふと気がつけば食堂にいた。目の前では堂島が心配そうに僕をみている。
「どうした。心ここにあらずな感じで……」
「あ……ああ。大丈夫だすまん」
「なあ、お前体調悪いんじゃないのか?」
堂島が真っ直ぐこちらを見てくる。
実はさっきも、動画の撮影をしていた。
いつものフォーエイト。パフォーマンスは悪くなかったけれど……僕は、ラストのジャンプに失敗して転んでしまった。
派手に転けたけど、大した怪我はしていない。
堂島はそれを心配してくれているのだ。
「体調は、悪くはないんだ。すまんね心配かけて」
「本当か……?」
僕自身、堂島に鋭いところがある人間だとは思っていない。けれどもこの男は、周りの人間の変化に敏感だ。
いいやつなのである。
この男になら、神郡のことを相談できるかもしれない。
あいつはやはり、僕の後輩なんかじゃなくて、どういうわけか僕を陥れようとしている犯罪者かもしれないということを。
そして、幸い今ここに神郡がいない。
「堂島」
「な、なんだよ。やっぱり体調悪いのか?」
「そうじゃない。聞いてくれ……。いつもここにいるやつ」
「ああ、カンゴオリちゃんだろ? お前の後輩の」
「後輩じゃない!」
「?? どうにもわからんね。俺には別にどっちでもいい話だけれど、
お前と神郡ちゃんが同じ熱量で『後輩だ』『後輩じゃない』……一体どういうことなんだ?」
「そのことだ。お前に相談したいことが……」
僕がいうと、流石に堂島も真剣な顔になった。それは僕の顔がここまで真剣だったことが、今までに無かったからかもしれないが……。
そして僕が、勇気を出して問題を口にする。
「実はあいつは……」
「圭ちゃんセンパーーーーイ!!」
怪鳥カンゴオリの鳴き声がして、僕は頭から机に突っ伏した。
ドタドタとやかましく、こちらに走ってくる。
そして、当たり前のように僕の隣に座る。
「またアタシだけ仲間はずれですかぁ?『宇佐美、神郡、堂島、生まれた日は違えど、飯を食う時間は同じ刻とする!』という、
『桃園の誓い』を立てたじゃないですかあ」
「立ててない!」
「スローガンたてたじゃないですかあ! ワンフォーア、カンちゃん、オールフォー、カンちゃん」
「立ててない!」
隣で、神郡がいつものように口を尖らせている。
……もう騙されないぞ。犯罪者め。
僕が、サンドイッチを取り出すと、真横から手が伸びてきた。
異常にリーチの長い神郡の腕である。
江ノ島のトンビのようにサンドイッチを取り上げて、堂島に渡した。
「センパイのお昼ご飯は、それじゃありませんよー」
「……僕はもう、あのグロテスクなカレーは食わんぞ」
「え! ひど!! 先輩のことを思って作ったのにー!!
まあいいです。今後、先輩の胃に入るものは全てアタシが調理するものですから。早く慣れてくださいね」
「勝手に決めるな!」
「じゃあ勝手に食うものを自分で選ぶな!!」
神郡は立ち上がり、僕の前で仁王立ちになった。
「いいか! 世の中に蔓延るものはだいたいが糖尿病の元なんだ! それを知らないで口に入れ続けてみろ! すぐに両足無くなっちまうぞ! それとカルシウムは牛乳飲めばなんとかなると思ってるお前!
ジャパニーズは、牛乳から摂取できるカルシウムの量に制限があるから、小魚を食べるしかないんだ! それと納豆!」
一体誰に説教をしてるんだかわからない、神郡の講釈がはじまった。
「だから圭一よ! 大人しくこの、神郡ちゃん特性『神郡の沼』を食べるのだ! アタシの目の前で!!」
「食わん!」
「だってだってだってだってー。ご主人様には元気でいてほしいですものー」
我々のだいぶ聞いてられない言い合いを、堂島は呆然とみていた。そして、口を挟んだ。
「なんだかわからないが……」
僕と神郡の視線が、堂島に向けられる。
「仲良いな。お前たち」
「そうなんです!!」
「そんなわけがねえ!!」
僕は頭から湯気を出しながら、食堂を後にした。堂島に相談したかったことが、何もできなかった。
* * * * *
浅尾さんとは、定期的に連絡を取ることにした。
彼女が偽の卒業アルバムを作るアルバイト中、神郡と会話したデータが残っていれば、神郡の罪を証明できるかもしれないとのことだった。
神郡が犯罪者であるならば、警察に頼るのが一番だ。
しかし、現状何か害を与えられているわけではない(事も無いのだが!)
そして、彼女が犯罪組織に関与している証拠もないのであれば、警察の出る幕ではない。
現状、浅尾さんからの情報に頼るしかなかった。
もちろん、浅尾さんの言っている事が本当だとしたらの話ではあるが。神郡が犯罪組織の人間だとして、どうして僕が狙われるのか。
自室のベッドに横になりながら考えているけれど、どうにも思い浮かばない。
僕は普通の大学生だ。富豪の息子でも、有名人でもない。
そう考えると、神郡が犯罪者、というのもなんだか現実味に欠ける気がした。
ふと、あいつが僕の耳元で言った言葉が頭の裏で踊る。
「過去と向き合ってください。アタシ、先輩が思い出してくれるまで絶対センパイを離しませんから」
やっぱり、僕には忘れていることがあるのだろうか。
なんだろう?
うっかり、殺人現場を目撃してしまった?
……だったらこんな回りくどいことをせずに、直接手を下すはずだ。
カンゴオリ。
何が目的なんだ……。
* * * * *
しかし、次の日から僕を待っていたのは別の不条理だった。
結局昨日は色々な考えが頭を駆け巡り、
眠れたものじゃなかったのだが、僕の心配や不安、この睡眠不足ですら、全て台無しになったのである。
まるで僕の心配や不安を無駄にするかのように、彼女はぱったり、僕の前から姿を消したのだ。
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アイス・ビーチ SB亭moya @SBTmoya
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