神婿

玄道

神婿

 昭和五十五年 十月 富士 青木ケ原樹海

 

 私──曽野文恵その ふみえと夫の純平じゅんぺいは、疲れ果てていた。

 

 息子の幸治こうじが、行方を眩ませて半年が過ぎ、樹海探索も、もはや週末の恒例となっていた。


「おう、文恵。仏さんだよ」


「ええ……女物の服ですね」


 場所が分かるよう、目印に極彩色に塗った杭を立てる。


 訳もなく、こんなことをしているのではない。


 ◆◆◆◆


 二ヶ月前。


 幸治の文通相手が──戒田依子いましだ よりこという女性だった──手紙を寄越したのだ。


『幸治さんは、富士の樹海にいるはずです。命を絶ちに向かったのではありません』 と。

 

 勿論、私も夫も、卒倒するほどに驚いた。

 

 自殺でないなら、何故樹海などに。

 

 何があるというのか。

 

 樹海は、昼でも鬱蒼と暗く、時折仏を見つけては"幸治ではないか"と絶望した。

 

 そして、傍らの遺留品の名が他人のものであることに、安堵する。

 

 ──夫婦で『羅生門』の鬼婆をやっているのだ。何と浅ましいのだろう。

 

 罪悪感から、せめて通報はする。

 

 私の思いと裏腹に、遺族からの感謝の手紙は束になっていった。


 ──救われぬ死者達を救う、生き仏にされてしまう。

 

 その現実が、さらに私を追い詰めていく。


 次第に、夫婦の会話もなくなっていった。

 

 ◆◆◆◆

 

 何をしているのだろう、もうこんなことは止めて、私たちの人生を生きるべきではないのか。

 

 否、幸治のいない世に、未練などない。

 

 だが。


 血眼になって樹海を彷徨う私たちは、この世の者に見えているのだろうか。

 

 幾度となく、このまま二人で死のうと考え、思い直す。

 

 ──幸治、どこにいるの?

 

 ◆◆◆◆

 

 十一月になり、周囲は私たちを案じ始めた。

 

 高齢の夫婦に、冬の樹海など、それこそ自殺行為だと。

 

 そんな日の事だった。

 

 妙なものを見つける。

 

 毛皮のある……子供?

 

 よくよく見ると、角も爪もある。口から、血の滴る栗鼠の屍が垂れていた。

 

「ひっ」

 

 とうとう、怪異まで見つけてしまったのか。

 

 鹿とも熊ともつかぬ子は、しかし全体として人間の子にも似ている。

 

「もし」

 

 純平は話しかける。

 

 堂々と、臆することなく。


 それは、"ぺっ"と栗鼠を吐いた。

 

「なに」

 

 ──言葉を返した。

 

「人を探して……います。貴方は、この富士の樹海の……神様でしょう。三十くらいの、痩せた男をご存じではありませんか」

 

「あなた」

 

 純平の袖を掴む。

 

「かみさま? えっと」


 神に、人の考えなど通じるものか。人の方からも、それは同じことだ。


「とうちゃーん」


 父ちゃんだと。


 ──神に、父が……親があるというのか。


 神の子の声に、やがて現れた父は……捜していた幸治だった。


 私は、意識を失った。


 ◆◆◆◆


 気がつくと、洞穴の中に寝かされていた。


 外はもう夜だった。


 周りには、半獣半人の神の子らが眠っている。その数、四柱。


「起きた?」


 幸治が、覗き込んでいた。


 いなくなった時のまま、格好も顔も何一つ変わらない。


「幸治、何? 何をしているんだい……この方達は」


 幸治は、嘆息して言った。


「母さん、父さんには話したけど」


 純平は、押し黙っている。


 ただ、吐瀉物の臭いがした。


「妻のみことです」


 促されるまま顔を向けると、美しい女性が、巫女のような装束で座っている。


 命さんは、唇を堅く結び、こちらを見ていた。


「命さんは……話せなくて、依子さんが書いてたと思うけど」


 そんなことは、手紙に記されていなかった。


 こんな、禍々しい事実は。


「……なら、この子達は」


「ああ……俺が、言葉は教えた。鹿乃子かのこ樹理じゅり文代ふみよ純子じゅんこ……」


 そんなことは訊いていない。


 私は、嗚咽した。


 息子が、山の神に見初められたからではない。



 ──こんな化け物と契りを結んで、あまつさえ仔を産ませたなど、許せる筈があろうか。


「幸治」


「かあさ……」


「もう親でも子でもありません、貴方の事は死んだと思って生きていきます。そこの命さんとお幸せに」


 純平は、何も言わなかった。


 神の婿は、諦めた顔で私たちを見た。


「命さん、樹海の出口まで案内してくるから」


「要りません。行きましょう、あなた」


 私たちは、慣れた足取りで樹海の闇へ踏み出す。


 無言で、その場を去り、二人で泣いた。


 自死遺族からの手紙が届くことはなくなった。


 そして、夫婦の間の会話すらも。


 <了>

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神婿 玄道 @gen-do09

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