食欲の向こうを覗きたい
遠部右喬
第1話
「ふぐの子糠漬け」という珍味がある。河豚の卵巣を糠で漬けた、石川県の郷土料理だ。
強めの塩気とねっとりと濃厚な旨味に大変白米が進むと聞くが、屹度、酒はそれ以上に進むだろう。享保の租税覚書に「ふぐの身の糠漬けを献上した」と記述があるらしいので、この頃には既にふぐの子も食されていたのではないか。魚卵、糠漬けと言う組み合わせに食通も酒飲みも胸アツの、歴史ある食品である。
因みに、糠漬け後、更に酒粕に一か月程漬け込む「ふぐの子粕漬け」と言う珍味もあるらしく、こちらは福井県や新潟県で作られているとのことだ。
現代に生きる我々は、河豚にはテトロドトキシンが含まれていることを知っている。江戸時代を生きた人々も勿論、経験則として河豚毒の危険を知っていた。
河豚毒は筋肉よりは内臓に、中でも大事な卵の塊である卵巣には特にたっぷりと含まれている。その卵巣を何年もかけて塩と糠に漬けると毒抜き出来るのだが、毒が分解される過程は、未だに科学的に完全に解明されてはいないらしい。ある研究では、ふぐの子を糠漬けにすることで起きる発酵は、減毒効果に貢献していないとの結論に至ったようだ。
では、減毒化の秘密は塩蔵と塩抜きにあるということなのだろうか。浸透圧で毒を押し出すのなら、それの溶けた水の処理はどうしたらいいのだろう。テトロドトキシンは水に不溶と聞いたことがあるが……あるいは、時間を掛ければ塩や水が毒素を分解出来るのだろうか。だとしたら塩と水のやる気に驚嘆しきりである。もはや万能薬じゃん……。
さて、現代科学でそれならば、先人達はどうやってこの調理法を確立したのかという疑問が湧く。ここからは完全なる推測……という名の妄想である。
恐らく、一直線に塩蔵 →糠漬けという流れにはならなかっただろう。手間暇を惜しまず、時間を掛けて出来上がる品だ。相当な試行錯誤の末、現在に連なる製造工程に辿り着いたに違いない。
1.河豚の卵巣を食べる →死亡
2.河豚の卵巣を塩蔵 →塩抜き後、実食 →死亡
この段階までで相当数の犠牲がありそうだが……しかし、人々は決して諦めなかった。「まだ何か出来ることがある筈」、彼等はそう信じ、更なる手段を思い付く。白米文化となった江戸時代、精米時に出る糠は様々な形で生活に利用された。その代表的な例が、食材に風味と栄養を加えてくれる糠漬けだ。石川県と言えば加賀百万石、自然、身近な存在だっただろう米糠を利用したのではなかろうか。
3.河豚の卵巣を塩蔵 →塩抜き後、樽でしばし糠漬けにして実食 →死亡
この結果を以てしても加工を諦めなかったとは、かなり満足のいく味だったのだろう。実際、ふぐの子を口にした者全員が亡くなった訳ではないだろうから、改良に対する手応えもあったのかもしれない。
4.あ、もう少し日数稼げばいけるんじゃない?(気付き) →河豚の卵巣の塩蔵期間を延長 →入念な塩抜き後、樽でしばし糠漬けにして実食 →運が悪いと死亡
ここまできたらもう一声だ。
5.河豚の卵巣を一年以上塩蔵 →入念な塩抜き後、樽で糠漬け →追加で塩気と水気を加えたら毒抜きが進むのでは?(更なる気付き) →重しを載せたまま、糠漬けの縁からイワシの魚醤を注いでみる →一年程寝かせたそれを食べる →魚醤の風味も加わって、美味い! →死亡フラグからの脱却に成功
当然ながら実際はこんなチャラついた感じではなく、大勢の人間が真剣に知恵を絞り、丁寧な仕事を積み重ねた果てに技術として確立したのだろうが、大まかな流れはこんな具合だったのではないだろうか。
ここに至るまでに、どれほどの犠牲があったのかは分からない。が、何故そこまでしてふぐの子を食べようとしたのかは、もっと分からない。
例えば、酷い飢饉等で終りの見えない飢えに苛まれ続け、目の前の塊が食べ物かそうでないかと判断する間もなく手を伸ばす、それが偶々河豚の卵巣だった、ということであれば理解できる。心身共にぎりぎりの状態で「食べなければ死ぬ」=「食べれば死ぬ」という図式が成立する時、どれだけの人間が目の前の誘惑に勝てるだろう。
しかしこれは、すべてを貪り尽くし、ペンペン草一本生えていない状態で成立する話だ。3でふぐの子の毒抜きに米糠を利用するまでもなく、その米糠を食べる筈だろ、と己にツッコミを入れておく。
なら、いざと言う時の備えとして、流通に乗せられないような余り物を加工したという事だろうか。それにしては、完成までにあまりにも手が込み過ぎていまいか。簡単に手に入り売り物にならない程度に微妙な味だが安全なもの、加工の手間がもっと少なく済むものは他にありそうだ。いざという時の備えに態々危険度の高いブツを使う必要はないのなら、そもそも1から2へ発展するとは考え辛い。
では、初めは偶然出来た、というのはどうだろう。
どこぞの店で、中ってでも河豚を食べたいという数寄者の集まりでもあって、大量に河豚の内臓が余る事態になった。だが、そのまま放置して誰かが誤って口に入れてしまったらことだ、取り敢えず樽にでも放り込んでおこう。で、それを忘れ、或いはそれを知らない誰かが上から塩をどばー……うっかりすることは誰にでもある訳で、ここまではあり得なくはない話に思える。それに、これならば後に樽から発掘されたそれを塩抜きした理由も、何となく想像がつく。
単純に「何だこれ?」と思い、正体を確かめるべく水洗いしてみたのだ。
で、食べてみたら美味しかった……いや、食べるかなぁ、これ……?
仮に、すっかり湿気た塩から現れた謎の動物質の何かを口にする勇者が居たとして、その勇者は恐らく食中毒で亡くなった筈な訳で、その亡くなり方から謎の何かの正体はある程度の推測が可能だっただろう。やはり、3以降の工程に辿り着かなさそうだ。
いっそまったく発想を変えて、始めは凶器として作られた、と考えてみることは出来ないだろうか? 名物、珍味と偽って、消したい相手に食べさせるのが目的だった……とすれば。
誰がどんな状況でどんな相手に食べさせかったのかは分からないが、手間暇かけた仕掛けを用意する必要がある立場の人間だったのかもしれない。河豚の食中毒は早ければ食後三十分以内に始まるらしいので、アリバイ作り等の時間稼ぎに任意の時間に食中毒を起こせる様な方法を試した末、無毒な「ふぐの子糠漬け」が偶然に出来上がったのだ。
結果として、本当に名物として作り続けることになったというのは、あり得ない話ではない……か……?
この考え方だと、4の段階で限りなく失敗だということになる。3と4の間をうろうろすることはあっても、5に発展させる必要は無い。しかも、この説だと効果時間を計るための実験が欠かせない。
最初は気の毒な動物達が犠牲になるだろうが、最終的に人間での実験は避けて通れない。凶悪な罪人等を被験者に選び、処刑前に食べさせ経過観察する。彼等の処刑が覆ることは無いので、実験の結果がどうあっても構わない。この世に罪人がいる限りいくらでも実験を続けることが可能だ。
だが、他のもっと刑の軽い罪人たちの間で、いずれ噂になることは考えられる。
「あれを食わされたら、処刑の合図だ」
彼等が娑婆に戻った際、そう口伝で広まったりはしないだろうか。どんなに美味しくても、そんな噂が立ったものを相手に食わせることは、ましてやその後名物として売り出すのは無理があるだろう。
どうも、どれもしっくりこない。想像力が足りないだけと仰るならその通りではあるのだが、やはりこの技術は「美味しいものを食べたい」、若しくは「美味しいものを食べさせたい」という、食欲の先にある想い、ある種の愛が生み出したのではないかと思えてくる。
多くの国の食文化で見られる主食の殆どが穀類や芋類であり、炭水化物、つまり糖質を多く含んでいる。それらの中には、人体に有害な成分を含み、毒抜きや灰汁抜きが必須なものも少なからずある。しかも、人体は生のでんぷん質を消化吸収できるようになっていない。効率よく栄養にするには、精製だけではなく加熱処理という面倒な手順が必要だ。それでも毎食の様に食べるのは、炭水化物は人体のエネルギー源として即効性が高い上腹持ちも良いという、手間を要するだけのメリットがあるからだ。
だが「ふぐの子糠漬け」は違う。摂食は必須では無いのだ。勿論これは「ふぐの子」だけの話ではなく、「なんで態々……」と呟きたくなる、通常なら食材にしないだろうもの全てに言える。他にも食べられるものがある状況で、何故敢えてそれを食べるのか。
その答えはやはり「美味しいから」がしっくりくる。贅沢? それはそうだろう。文化とは、ある種の贅沢を内包している。草食獣の食生活を「草食文化」とは呼ばないように、生きると言う事の延長の、そのまた先に文化は花開く。食に限らず、あらゆる気候土壌にそれぞれ適した文化があり、その中には、他から見たら多少バグって見えるものが含まれて当然と言える。
そして真の国際派とは、そういった様々な文化に柔軟に対応出来る精神を指すのだろう。
そんな訳で、真の国際派を目指す私は現在、「ふぐの子糠漬け」に興味津々なのだ。勿論、それ以外の美味しい文化を知ることは吝かでは無く、特にアルコールとの関係性等は、今後とも積極的に体験していく所存である。
食欲の向こうを覗きたい 遠部右喬 @SnowChildA
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