第27話 Rの化身

「お母様。この方ってもしかして……」

「まさか、俺たちの本当の……」


「あ、あなた……あなたなの?」


綾は信じがたい光景に口元を震わせる。


「その通り。綾、キミのご主人だ。キミが土中にいる間、東京へ戻ってきているところをラヴィーズが拉致してこの場所へ被験者として特別に迎え入れたのさ。狂犬病の研究の一環として、半永久的にね。社会的に生きていない存在だけど今はこうして地下に何年も生き永らえている生けるしかばねさ」


「なんで? 夫が何をしたというのよ! どうして夫が捕まらなくちゃいけないのよ!!」

綾の涙は叫び、加速する。


「綾、キミは狂犬病の症状が悪化すると高確率で意識が飛ぶことがこれまでの研究データからわかっているんだ。キミは土葬される前、病院での入院期間中に何度も暴れたことがあってね。鎮静剤で何とか押さえつけるシーンは見ていて痛々しかったよ。そんな中、綾、キミは愛する夫の腕を一度噛みついているんだよ。介抱しようと手を差し伸べたその時だった。残念ながら、そのとき彼も狂犬病に感染してしまったんだ」


「そんな……」


記憶のない綾。胸の前で両腕をクロスしながらガタガタと震え始める。

肩に手を当てて支えるようにする颯馬。

強かな語調で告げる。


「母さん……そんなこと信じなくていい」


母の心に寄り添う。

零司から放たれる偽りの言葉に耳を貸すなと反抗する。


「事実なんだけどな。ま、別に信じなくてもいいんだけどさ。緒凛くんの感染をキッカケにみんな噛まれるのを恐れて病院スタッフは狂犬病ウイルスの予防接種を大々的に行ったんだ。ボクやここで働くスタッフ全員がね。まぁボクにとってはキミと身体の関係を結ぶ時も予防効果も含め二重の意味があったというものさ。緒凛くんには感謝しかないよ。ボクたちの関係を良好に保つためにもね」


「自分の研究のために夫を連れ去ったのね。この人でなし!」


「恩義を感じてほしいものだね。ラヴィーズが彼を治療しなかったら彼は当の昔に死んでいたよ。綾、キミの感染したウイルスは強力なものだったんだ。普通のウイルスより大脳への移行性や増殖が速く、かつ致死性の高いタイプさ」


零司の隣の万田緒凛は黙している。


聞いているのか、聞いていないのか、声を出して答えられないのか分からない。

虚ろな表情に薄汚れてこけた頬。

わだかまりの色で黙殺された意思が、虚空のように宙を眺めている。


「普通の人間が感染したら三日以内に99.99%死亡する。治療はラヴィーズにて迅速に行われたよ。そして次の日に綾、キミは死亡した。そしてご主人との合意のもと、土葬された」


颯馬は綾との秘密のゲームでこの情報の一部を共有しているが、夫・緒凛の話は完全に初耳だ。

奇妙に辻褄が合う展開に気味の悪さを覚える。

莉乃は初めて受ける情報にまみれ、何が何だかわからないといった顔つきだ。


「綾も緒凛さんも親族が誰もいなかったからね。ラヴィーズ管理下での半永久的な治験を条件に病院の名義で死亡届を提出させてもらったのさ。そして二人は地下の住人となった。離れた場所同士でね」


颯馬の想像を超えていくと同時にAIボットの【リリィ】の言葉が呼び起こされる。


万田夫婦はともにラヴィーズの手中に落ち、この世から社会的にその存在を抹消された。


そして狂犬病治療という名のもと、生物兵器の開発に利用された。

被験者という同じ地下の同居人として。


「だからAIボットも本当のお父さんもお母さんも死んでいると言っていたの?」


莉乃は思い出すように涙ぐんで言葉に出してしまう。

理性が思うように働かず、半ば感情的になっているようだ。


「AIボット?」綾はいぶかしむ。


「うん。私の持っているPCと一緒に使っているAIボットがね、お父様とお母様の名前を教えてくれなかったの。今は死んでいないって、その一点張りだった」


「そ、そんなことを調べていたの?」


「あぁ、それはちょっとした出来心でさ」


颯馬はそれとなく打ち明ける。

零司は以前綾との会話を反芻はんすうする。


「もしかして莉乃さんが使っているPCってT大生協の購買部で買った廉価版かい?」


「えっ? そうだけど……それが何?」


「ふふっ……それ、僕がプログラムしたPCなんだよ。僕の頭脳に入っている記憶容量が大学の情報科学センターに記録されていてね。リアルタイムでその情報が更新される仕組みなんだ。平たく言えば僕のもっている記憶情報が莉乃さんのPCとAIボットに直接的に繋がっていて、相互に情報を引き出せる環境になっていたんだ。正規版じゃないから五万円台で折り合いをつけて購買部に許可を取って販売させてもらった運びさ」


綾が零司から録音した情報とリンクしている。

莉乃は自分の扱ってきたデバイス――PC、AIボットのリリィ。

すべてが零司と繋がっていたと本人の口から明かされると改めて身震いする。


「だからご両親の死亡届の情報をAIボットの【リリィ】が引き出せたというのか?」


情報が奇妙にリンクしていく。

まさかコイツに調べた内容が漏れていたなんて……

事実を受け止められない颯馬は莉乃を見やると優しく抱きしめた。


「颯馬くん?」

「俺とお母さんだけを信じろ。あとは何も考えなくていい」


颯馬の鎖骨にあたる彼女の頭の動きから、それを無言の同意と受け止める。


「家族愛だね。僕たちは見えないところで繋がっていたと思うと感慨深いね」


聞こえのいい言葉も、心にもない表情で平然と言い放つ。

家族を思う張り付いただけの顔。

下卑げひ双眸そうぼうが目尻を垂らした。


「ここには緒凛くんのほかにもたくさんの被験者マルタを収容していてね。旧日本軍の非人道的な生体実験の名残でみんな勇敢に戦って死んでいったよ。戦没者といっていい。新型狂犬病ウイルス―― R・X ――に狂い果てながらその命を全うしたんだ。その中でも。これは奇跡さ」


重力に逆らうように高らかとに舞う賛美の言葉――

恍惚に染まるしたり顔は嫌悪の象徴として……


最後の言葉の音が床に転がった、その時――



ズガァァァーーーン!!!



近くで凄まじい発砲音がした。

耳をつんざく衝撃が、それまでの感慨をいとも簡単に吹き飛ばす。

直後――赤い警告音が治験フロアに鳴り響く。


『ヴィィーン! ヴィィーン! 治験フロアのセキュリティゲートが破壊されました。治験フロアのセキュリティゲートが破壊されました。侵入者に注意してください』


「なんだ! 何事だ!?」零司は声を荒げる。


「調べます!」側近のエージェントの一人がスマホで内線通話を始める。


『繰り返します。侵入者に注意してください』


物々しい雰囲気に焦燥感が募る。

身を寄せ合う家族三人。

零司側にいる緒凛とは物理的に離されている。


「ゼロ様、病院側の通路が破られそこから侵入者を複数確認。ウイルス増殖炉は無事です。新型のウイルス【RX-3Z】漏洩の可能性はないとのこと」


「そうか、わかった」


非常時だが、零司は落ち着いている。

しかし、苛立ちの種は確実に彼をむしばんでいるように見える。

先程までの余裕の表情はずるりと抜け落ち、充血した目には焦りの色が泳いでいる。


「ゼロ様って……零司くんのこと?」

「ラヴィーズの総帥だから、そんな呼び名なんだろうぜ」


高鳴る鼓動――

黒すぎるサングラス越しからは依然として表情が読めない。


「零司くん、アラームが鳴り響いているんだけど……大丈夫なの?」

綾は激しく眉根を寄せている。


零司をまとう黒いオーラが脳内イメージとして結ばれていく。

憤怒、苛立ち、憎悪……様々なネガティブが色濃く染め上げていくように。


零司は天を仰ぐ。


「あぁ、最悪な気分だよ。ムカムカしてきた……」


それから天井の照明を眺めるように眼鏡を光らせると、内ポケットに手を忍ばせる。

そして取り出したのは一冊の小さな黒い書物――

厚めだがポケットに入るハンディサイズ。

それを隣にいる緒凛に手渡すと、無言で彼は受け取った。


「零司くん……それは何?」

「僕からのメッセージだよ。だって」


次の瞬間――背後から硬質な靴音が連なって近づいてくる。

そして金属の構える音が遅れて耳朶じだを打った。


「警察だ! その場で手を上げろ!」


「警察?」


「これはこれは。警察の方々。こんな辺境の地へ何の用です?」

零司はおどけて見せる。


「手を上げなさい!」


仕方なく、従う零司。

緒凛に目線を配る。


「万田緒凛おりんさん・綾さんを拉致・監禁した疑いで逮捕状が出ている。おとなしく署へ同行してもらうぞ」


「……」


「朔夜零司! 組織的逮捕監禁罪ならびに営利目的等略取及び誘拐罪の疑いで逮捕する!」


ガシャン!


無抵抗に手錠をかけられた零司の両腕。

身体の前方にその自由を奪われる。

側近や後方にいたスーツ姿の男たちも同様に警察に捕らえられていく。


「さぁ、来るんだ!」


零司は今一度、緒凛を目配せをする。

緒凛はこれに応じるように首肯しゅこうする。

そして振り向き様、綾の顔を見て微笑む。


「ラヴィーズは不滅なり!」


瞬間――零司の狂気に満ちた笑顔。

放たれた最後の言葉。


最後はせめて苦し紛れの笑みで終わらせようというのか。

しかし、目を赤くした綾はまったく動じなかった。




案外、呆気なかったな……警察がきちゃあアイツもおしまいか……

颯馬は零司の背中を見ながらため息交じりに思う。


「あなた! あなた! 大丈夫?」緒凛に駆けつける綾。

身体を揺するとわずかにうなずくような仕草を見せる。


「私よ! 綾よ! わかる?」


「お母様、大丈夫?」莉乃が綾と緒凛に近づく。

「えぇ、大丈夫よ。この人が私たちの本当のお父さんよ」


この人が……俺たちのお父さん……

初めて見るがその伸び切った髪と見窄みすぼらしい身なり。

顔の表情が読みにくいうえ、無言を貫いている。


こんな地獄のような場所にずっと幽閉されていたからなのか。

人格を破壊するほどの劣悪な環境と気の遠くなる時間の経過がそうさせたのだろう。


「と、取り敢えず良かった。早くここから出よう」

「そ、そうね」


颯馬の言葉に同意すると綾は緒凛を正面から抱きしめていく。

自然なのか、で交わされる言葉はなかった。


ここまで来たらもう警察に任せるしかない。

全身の力が抜けるようだ。

これまで来た道を引き返すのは正直気が引ける。

可能なら病院側から出たいところ……

そう思ったとき、後ろから聞いた事のある声を受ける。


「よぉ。無事だったか。バカ息子!」


振り向くとそこには伴誠二郎の姿。

初めて見る警察官としての英姿がまぶしく映った。


そして思いがけないハグ。


颯馬はこのとき生まれて初めて父親の体温を知る。

思わず瞳が大きくなる。

少し気恥ずかしくなる颯馬は自らその抱擁を解いた。


「親父……来ていたのか」


「あぁ、以前お前のGPSのデータをスマホで共有した甲斐があったぜ。夜になっても帰らねぇからGPSの同期データを調べたんだ。不忍池しのばずのいけを示しているから只事ではないと踏んでよ。康チンにも連絡したんだ」


誠二郎の後ろを見ると莉乃の父親である中村康一が誠二郎と同じ身なりで歩み寄ってきた。


「莉乃、無事だったか!」

「お父さん!」


父と娘は抱きしめ合う。

莉乃は涙目になって嗚咽おえつを漏らして泣き始めた。

康一は莉乃の背中を優しくでて落ち着かせている。


「よく頑張ったな」

「うん」


父と娘の愛情あふれる美しい抱擁。

綾はしばし眺め入る。


――生みの親よりも、育ての親、か……


薄汚れて冷淡な緒凛の身体。

温めようと今一度ひしと抱きしめる。

自身の親としての立ち位置を、そのままの姿勢で心に刻んだ。


光と闇――それぞれの抱擁。

そして、愛のことばの有無。

決定的な相違がそこにはあった。


「よくここがわかったね!」莉乃の弾む声に疲労の色が薄れていく。


「あぁ、夜九時になっても帰ってこないから心配したんだ。そうしたら颯馬くんのお父さんの伴誠バンセから連絡を受けてな。スワンボートの時間はとっくに終わっているのになんでGPSが不忍池しのばずのいけのど真ん中を示していたからここを疑ったんだ」


娘の言葉に康一は白い歯で快活に結んだ。


希薄な抱擁を解いた綾は父娘に向かい合う。


「あ、あの。大事なところ、恐れ入ります。万田綾と申します。先日に続きまして本当にありがとうございます」


ヨロヨロとふらつきながら頭を下げる綾。


「先生のことは存じ上げておりますよ。だいぶ弱っているようですが、歩けますか? 救護班も来ているのでそちらにお任せください」

「だ、大丈夫です。それよりここに来られたこと、あるんですか? 普通じゃ入れないところなのに……」


「話せば長くなりますが、今から十七年前、ここで誘拐事件がありました。子ども二人を人質に立てこもった【東京地下拉致事件】で、おおやけにはされていない秘匿事件です。その際にここ秘密結社【ラヴィ―ズ】へと潜入を果たした経緯があるのです」


「そ、その子ども二人って……」綾の口が震えていく。

「はい。そこにいる万田莉音くんと万田莉愛さんです。二人とも大きく成長しました。先生のおかげです」


康一は莉愛を育ててきた一人の父親として二人を眺める。

綾の瞳はゆれては滲み、像を結べない。


「あなた方が、私の子どもたちを助けてくれたのですね」

声を震わせながら大粒の涙を流す綾。


誠二郎と康一は相槌を打つ。


「本当にありがとうございます。感謝してもしきれません」

深々と頭を下げる綾。

それに続く緒凛。


「いいんですよ。私たちが来た以上、もう大丈夫ですから」


康一は優しい口調で継ぐ。


黒いスーツ姿のエージェントたちが次々に連行されていく。

エマージェシーアラームに溶け入るように歩み出す、零司とエージェントたち。


その後ろ姿がどこか、都市伝説の崩壊色に重なっていく。


「これでラヴィーズ秘密結社もおわりか……」

莉乃は遠い目で独りちる。


「いや……」


颯馬はにわかに否定すると示唆するように深意を結ぶ。


「これが始まりなのかもしれないよ」

「始まり?」


「うん。ラヴィーズ狂犬病ライフはこれから始まるんだ」


【R】狂犬病に感染している万田家の四人――緒凛オリンアヤ莉音リオン莉愛リア……

私たちは【R】ラヴィーズの化身として、新たな人生を生きていくことになるだろう。


東京地下の都市伝説の探求は、静かに幕を閉じた。


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2026年1月14日 06:25 毎日 06:25

Rの化身 刹那 @hiromu524710

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