「つくること」が、わたしにくれたもの

ages an

創作の持つ力とは。

 ――たたんたたん、たたんたたん。


 始発列車が走る音。頭が割れる様に痛い。視界に映る天井は、ゆらゆらとうごめいている。心臓が、どくんどくんと五月蝿うるさく動いている。


 明らかに昨晩の深酒のせいだった。以前は目覚まし時計が鳴るまで熟睡できていたのに。ひどく眠りが浅い。ダブルサイズのベッドに一人でいるのが、無性に広く感じられる。


 起きているのか眠っているのかわからない。いつの間にか時間は過ぎ、目覚ましが鳴る。気怠く体を起こすと、長らく手入れを放棄された私の部屋は荒れ果てている。52平米、2LDK。テーブルには昨晩のストロング系チューハイの缶。キッチンには、使われなくなって久しい愛用の調味料たちがもの悲しく並んでいた。


 洗面所へ向かう。私が私「松田梨香子」だと認識してもらえる様に、顔を作る。

 そして、この部屋から逃げるように。職場へと出かけた。


 以前は通勤中に英会話の勉強をしていたが、その習慣は無くなった。吊り革に掴まったまま、ただぼんやりと虚空を見つめる。二週間ほど前からだろうか。私の胸中は、ある「物語」で埋め尽くされていた。寝ても覚めても、この物語が、胸に取り憑いて離れない。


 最初は、些細な空想だった。それはやがて風船の様に膨らんでゆき、物語としての形を成していった。その物語は、私の胸の中で解像度を上げてゆく。鮮やかな彩りを得て、手触りを持ち、音や匂いすらも感じられた。


 この物語は、私という殻を破り、外の世界へと出たがっている。そんな気がした。

 外へ出さなければ、私の方が、この物語に食い尽くされる。そんな気もした。


 私は決めた。この胸の中の物語を、外へ出してあげようと。


 その夜。職場から帰ると、私はノートPCを立ち上げた。かつて大学で何気なく履修した、「物語の作り方」という講義。こんなところで役に立つとは、夢にも思わなかった。


 この物語のあらすじや、登場人物を整理することから始めた。そして、プロットを少しずつ具体化させてゆく。それは、高校の頃に美術の授業で行った石膏彫刻を思い出させた。創りたい顔の輪郭を決めたら、大まかに石を削り、徐々に詳細にしていく。あの作業に似ていた。


 一通りまとめた頃には、日付が変わって土曜日になっていた。もう眠くて頭が働かない。そのままベッドへと倒れ込んだ。アルコールを摂らずに眠るのは何十日ぶりだろうか。


 ――私は夢を見た。高校生の頃の美術の授業。彫刻の課題。私は黙々と、ある人物の顔を、彫刻刀で形作っていた。


 それは「あいつ」の顔。2ヶ月前までこの部屋で一緒に暮らしていた「あいつ」。


 出来上がった彫刻は、まるで生き写しだった。ほくろの位置や二重の瞼まで、寸分違わぬ細かさ。しかし、その顔は恐ろしいくらいに無表情だった。あんなにも、喜怒哀楽を共にしてきたのに。


 ――たたんたたん、たたんたたん。


 始発列車の走る音が聞こえてきた。相変わらず眠りは浅い。けれど、いつの間にか二度寝をしていて、気がついたら九時を過ぎていた。起き上がると体が軽い。そして空腹を感じた。


 ちゃんと朝食を摂るのは何日ぶりだろうか。買い溜めてあったシリアルを皿に盛り、ミルクを掛けて口へ運ぶ。サクサクと口内で咀嚼しながら、今日この休日の過ごし方を考えた。


 近頃の休日は、この部屋に居るのがいたたまれなくて。でも、どこにも行きたくなくて。明るいうちから逃げる様に酒をあおって過ごしていた。


 今日は、その必要は無さそうだった。

 昨晩の続きをやろう。あの物語を完成させよう。


 今日一日、缶詰になるための物資を揃えよう。近所のコンビニへ買い出しにゆく。小腹を満たすカロリーブロック、カフェイン入りのグミ、エナジードリンク。気がついたら、「あいつ」がゲームに没頭する時の愛用品ばかり買っていた。


 部屋へ戻ると、私は執筆へ没頭した。


 私の物語は、繊細な性格の女子高生「リカ」が主人公のラブストーリーだ。高校の同級生「シンジ」と惹かれ合い、やがて恋人になる。自分でも、面白みの無い月並みな筋書きだと思った。でも、面白いストーリーを作りたい訳じゃない。二人の感情の機微を丁寧に、豊かな文章にしたかった。


 その物語の起承転結における「転」は、シンジに降りかかる困難だった。


 シンジはリカを心配させまいと、平静を保とうとする。しかし、リカはシンジの僅かな心の揺らぎを読み取り、シンジは何か深刻な問題を抱えているのだと推測する。物語のクライマックスで、リカは、意を決して伝える。


「お願いだから、一人で悩まないで。私も一緒に悩ませて」


 その後二人でその困難を乗り越えて、より深い絆で結ばれてゆく。私の胸に取り憑いていたのは、そんな物語だった。


 窓の外が暗くなった頃、その物語は完成した。なぜだろう。無性に、誰かに読んでもらいたくなる。少し考えた後、アカウントを持っていた創作サイトnoteへ投稿しようと決めた。そのアカウントでは「あいつ」に食べさせたレシピを何本か投稿していたが、全て消していた。真っ白になったアカウントへ、その物語を投稿する。


 心地好い疲労感と、ささやかな達成感。私は一人で打ち上げをすることにした。上着を羽織って近所のスーパーへ足を運ぶ。普段は飲まない、少し値の張る赤ワインを奮発してしまった。


 ノートPCの前でワインを飲みながら、書いた物語を読み返してみる。


 ――読み進めるうちに、目から涙が滲んできた。


 なんで、書いていて気づかなかったんだろう。この「リカ」は、私の願望が形になった、もう一人の自分じゃないか。


 私が「あいつ」に言えなかったこと。


「お願いだから、一人で悩まないで。私も一緒に悩ませて」


 リカはシンジに言うことができた。そして、より深く結ばれていく。もし私も、同じ台詞を「あいつ」に言えていたら?違う未来があったかもしれない。そんな私の心の奥底が、この物語を生み出したんだ。そう思えて、仕方なかった。


「あいつ」とこの部屋に引っ越してきたのは、結婚が前提だった。式場を選んだり、どんなウェディングドレスが良いか話したり。新婚旅行はベタだけどハワイがいい、とか。子供は二人欲しい、とか。人生で一番幸せな日々だった。


 けれど、「あいつ」は違った。私に合わせて嬉しそうにしてくれたけど。「あいつ」は体は大きいくせに臆病で、誰よりも責任感が強かった。家庭を持ち、やがて父になること。それに、重圧を感じていたんだと思う。


 浮かれる私の横で、「あいつ」は眠れなくなっていった。始発列車が走り出す前に、目が覚めてしまう。眠くてつらい、と。私は自分の「幸せ」に夢中で、その苦しみに気づけなかった。披露宴には誰を呼ぶかとか、そんな話ばかりしていた。


 そんな私の振る舞いが、「あいつ」の心を、静かに押し潰していったんだ。

 2ヶ月前。私が家に帰ると、「あいつ」は姿を消していた。

 

『本当にごめん。許して欲しいとは言えない。でも、どうか探さないで欲しい』

 

 そんな書き置きを残して。


 涙が、溢れて止まらなくなった。

 何故この物語を書かずにいられなかったのか、やっと分かった。


 「あいつ」のことを話すとき。「寂しい」「後悔してる」「戻ってきて欲しい」。そんな言葉たちでは、私の胸の奥に棲みついている何かは、表現できないんだ。そんな言葉を口にした瞬間、私の内側と外側の世界は、深く深く断絶してしまう。


 「あいつ」が失踪したことは、家族に、友達に、職場の仲間に、何度も話した。話すたびに、気遣われ、同情され、励まされる。でも、何の慰めにもならない。


 この胸の奥を伝えるには、「物語」しかなかったんだ。だから、胸の中に在る最も切実な何かを、メスのような刃物でえぐり出した。それをリカという登場人物に替えて、物語にした。そうでもしないと、私の胸の中の何かは、やがて私自身を喰らい尽くしていただろう。


 テーブルには、涙で水たまりができている。その物語を何度何度も読み返しているうちに、私の意識はどこか深い所へと落ちていった。


 ――たたんたたん、たたんたたん。


 ふと気がつくと、始発の列車が走り始める時間だった。テーブルに突っ伏して、寝てしまったみたいだ。腕が痺れている。額がひりひりと痛い。


 電源が入りっ放しだったノートPCを見た。すると、私が書いた物語に幾つか「スキ」がついていた。この物語を、読んでくれた人がいる。さらに、コメントまで残してくれた人もいる。


 そのコメントは、私の心を暖かく慰めた。家族や友人からのどんな慰めの言葉よりも、胸に響いた。


(お風呂、入りたい。とびきり熱いのがいいな)


 給湯温度を42度に設定し、風呂を沸かした。沸くのを待つ間に、この日曜の過ごし方を考える。


(いい加減、掃除しよう。結婚式場の案内も、要らないから処分しよう)


 物語を書いた夜。読んでもらえた朝。

 創作の力が、私を、前に向かせていた。

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