◆剣 山◆
茶房の幽霊店主
第1話 剣 山。
※(店主の体験談です)
※(プライバシー保護のため地域・固有名詞などは伏せています)
※※※※※
絵を勉強するため専門学校に通っていた頃の出来事です。
家の二階、寝室隣の一室は描きかけの絵と画材置き場にしていました。
二階は絵をすぐ描くことができるよう、画材や絵具、紙類であふれて、それらの“におい”で充満していました。
乾き切っていない絵などの置き場に困り、廊下までカンバスやイーゼルを出していることも常でした。
※※※※※
片道1時間半の学校から帰ってきたのは、夜19時頃だったと記憶しています。
夏場だったので日が沈んで間もなく、夕闇前の二階の青い廊下へ足をかけたとき、それが目に入りました。
提出物を出し終えたところで、廊下の荷物は片づけていたのですが、通路の端に丸い何かが落ちています。
『画材をしまい忘れたのかな』そう思い近づきました。
電灯を点けなくてもどうにか見えるのは、手のひら大の茶色い【剣山】でした。華道で花を活ける際に使うあの道具です。
“なぜ、【剣山】が廊下に?”
大昔、母が華道を嗜(たしな)んでいたのは聞きましたが、生まれてこのかた、家の中で一度も花を活けている姿を見たことがなかったのです。
大叔母に無理を言われ習い事へ行かされたのだと愚痴を言っていたぐらいですから、華道が好きではないのだと思います。
しかし、園芸は父の影響で楽しむようになり、家の庭には様々な植物が植えられ、これが夫婦のコミュニケーションとなっていたようです。
日曜日の朝は必ず決まった番組を二人で観て、季節で植える花について語り合っていました。
※※※※※
拾い上げた【剣山】はかつて母が使っていたものなのか、大叔母が家へ来た際、母の手習い用に置いていったものなのか……。
知る由もありません。
もしかしたら、何かのきっかけで【活け花】をする気になったのかもしれないと、空いていた100円均一の収納ケースに入れて、机の引き出しにしまいました。
その後、母から何か話すでもなく、私との揉め事などもなかったので、
【剣山】の存在は忘れかけていました。
電車に揺られていつも通り帰宅し、晩御飯を済ませてから、描き上げてしまおうと思っていた2号サイズの絵に向き合い、
二つ並べたイーゼルの間に視線を落とせば、また【剣山】が針を上向けて置いてあります。
収納ケースに入れた先日のサイズより一回り小さいものです。
絵を描くため【剣山】を借りた覚えもなく、二階は以前、父方の祖父が使っていたので、残していったタンスや本などが置いてあるものの、華道に関係する道具を目にしたことがありません。
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少し小ぶりのそれを手に取り、再び収納ケースを覗きましたが、一番最初に見た【剣山】はそのままでした。
私の知っている両親は、文句があるなら直接何度でも言ってきます。
わざわざ描きかけの絵の下に【剣山】を置きに来ているとしたら、精神状態が良好であるとは思えません。
大人の顔色を伺いながら行動する子供でしたので、目に見えて“おかしくなっている”なら気が付くのですが……。
二個目の【剣山】を同じ収納ケースに入れ、今度は違う本棚の下の引き出しに入れました。
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出所の分からない物が置かれていた時点で、親のどちらかに言えばいいと思うのですが、 この家ではもっと“おかしなこと”が起こるため、無関心でいるのが当たり前の対策だったのです。
親戚たちも来ると奇妙な体験をするので、実家への訪問を避けていました。
一度、山鳩の生首だけが勝手口の内側に転がっていたのを母が発見して、
『あなたがしたの?』と問い詰めてきました。
私は子供の頃から動物が好きです。
『食べるためでもなく、命を奪うことはない!』と激しく反論しました。
10歳の頃まで狩りの上手な三毛猫を飼っていたのですが、その猫もとっくに虹の橋を渡っていましたので、『イタチが硬い頭の部分だけ置いて行ったのだろう』という見解で終わりました。
数日後、台所の流し台に、頭部が引きちぎられた亀の亡骸がポンと置かれていたらしく、小学校から帰っていた私は、『さっきまでなかった!』と恐慌状態の母を落ち着かせるのに苦労しました。このとき、父は朝から仕事で不在でした。
こういった経緯から、【剣山】の件を報告するのが億劫になっていたのだと思います。
“たかがこれぐらいのこと”
冷静に考えれば不可解すぎるのですが、感覚を鈍化させていないと起こる現象に日常を保てなかったのかもしれません。
※※※
週末は月曜日の準備のため【水貼り】をしていました。
木製パネルへ水で濡らした紙をぴったりと貼り付け、ホチキスで固定してから日陰で乾燥させるのですが、手早くしないと紙がヨレてしまいます。
【水貼り】作業は、絵具が着くのを防ぐため寝室横のスペースで行っていました。
ホチキスをサイドテーブルの上に置いていたので、視線はパネルへ向けたまま片手を伸ばした時、中指の爪のすぐ下に痛みが走りました。
ホチキスの芯の部分が当たったのだろうと、少し傷ついた指を確認してからテーブルの上を見て硬直します。
一輪挿しで使用する小さな【丸剣山】が置かれていたのです。
水貼りの準備中にサイドテーブルを移動させたので、存在しているはずがないものです。
混乱して膝をついた姿勢から立ち上がり、一歩後ろへ下がったのですが、右足のかかとへ激痛が加わって、何もない場所に両足を避けてから、置いていた紙を持ち上げました。
銀色に光る【角剣山】が姿を現し、喉元へ不快な脈動が発生して、全身に冷や汗が吹き出してきます。
紙の上から少し踏んだだけでもかなりの痛みでしたが、出血はしていませんでした。
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狼狽したまま息をつめていると、ねっとりと、何かがほくそ笑むような嫌な空気を感じました。
頭の中でブチッと、タコ糸が切れたような感覚とともに、
『ふざけるな!!! 私は痛いのが嫌いなんだよ!!! いい加減にしろ!!!』
喉が裂け震えるほどの怒声を発していました。
爆発した怒りは収まらず、部屋に置いていた作業用の白手袋を装着してから、紙の上に【丸剣山】と【角剣山】を叩きつけました。
本棚の下の引き出しに入れていた二つの【剣山】もまとめると、そのまま紙で包んで一階の台所まで走って移動し、高さのある大きめのクッキーの空き缶を食器棚から取り出して【剣山】どもを紙ごとぶち込みます。
フタを閉じて周りをガムテープでぐるぐる巻きにして、追加で十字に何重も封をしてから、人がいない庭に放り投げました。
父が園芸用に使っているシャベルを納屋から引っ張り出し、雑草が生えているすみっこの土を深さ1メートルほど掘り返して、【剣山の棺】となったクッキー缶を思いっきり叩き込んで穴の中を睨みつけます。
気が済むまでシャベルの先で何度も殴りつけ、缶が変形したのを見届けてから、
『二度とするな。わかったな』
暗い声を浴びせた後、土を被せて完全に埋め、周りと同じようにならしてから汚れた白手袋をゴミ箱へ捨てました。
憑き物が落ちたかのように気分は爽快で、流れる汗をシャワーで清めてから、二階へ戻って水貼り作業を終わらせました。
両親はそろって遠方へ出かけていたので、一部始終を知る者はいません。
怒りに任せた行動は一度きりで、なぜ激昂していたのかさえよくわかっていませんでした。
※※※※※
家の庭は、園芸好きな夫婦が競い合うように次々と植え替えをしているので、多少掘った跡があっても誰一人気にしていないのです。
あれから、家の中で【剣山】を見ることはなくなりました。
もし、私が見た夢でないとしたら、今も実家の庭には【剣山の棺】が埋まっているはずです。
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【記録の追記】
同じ時期、二軒隣に住んでいた、当時80歳を迎えたおばあちゃんが、
『昔はよくタヌキに話しかけられたんよ』と急に話し始めました。
内容は人間を遊びに誘うものでした。
『人の言葉を話すのですか?』と聞いたところ、
『違うよ。黒い空間で、頭の中に文字が浮かぶ』のだそうです。
※(日常生活での言動に異常はなく、その日も普段どおりでした)
突然現れた【剣山】に関しては、最後まで何もわからず、再度同じことは起こらなかったのですが……。
狐、狸、ニホンアナグマ、イタチを見かけることが普通だったので、性悪のムジナが家の周辺をうろついていたかもしれません。
◆剣 山◆ 茶房の幽霊店主 @tearoom_phantom
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