膨張した記憶のはなし
雛形 絢尊
プロローグ
彼は要領が悪い。それは悪口なんて部類のものではない。
そもそも生きることに対して、全てに対して要領が悪いのだ。
そんな彼の相談を聞いたのは20分前。そう彼がなくなる20分前だ。
彼は咄嗟に私を呼びかけて足を止めさせた。
なんだよ急に、と彼にいう。
すると彼は開口一番に「もう容量が少ない」と言ってきたのだ。
私は軽くあしらうように「スマホの話か?」なんてことを言った。
いやいや違うよ、記憶の容量の話さ。と彼が端的にいう。
「記憶の容量?そんなことあるのか?」というと「ある、君にはないのか」というのだ。
「ないよ、記憶の容量があってたまるかよ」なんてことを聞いたらこう返ってきた。
「それがさ、あるんだよ。君にはわからないと思うけど」
「ああわからんけど。それがどうかしたのか?」とまた彼に問いかけた。
そうしたら7年という年数、その言葉が彼の口から出るようになった。
「7年ってなんだよ」と私は問いかけた。
すると彼は私の目を見ていった。
「寿命が延びる、っていったら嘘だと思うだろう?」
「ああ嘘だと思うさ、そんなことあり得る訳ない」
「それが本当だと言ったらどうする」
「どうするも何も」私は話している途中に一瞬冷静になった。
「それって本当なのか?」
「ああ本当さ」
本当なのか、と私は言った。特に何もいうことがなかったのか、彼の言葉を漸く信じたのか。
「首根っこ」
「なにさ、急に」
「首根っこのここ、この部分がボタンになってる」
彼は人間の共通武器のようにそこを指差した。こういうふうにな。
「何を冗談を」とまじまじとその部分を見ると、骨と同化しているのか、スイッチ状になっていたのだ。
「リセット」
「は?」
「リセットをかけないといけなくなった」
なんだよリセットって、慌てながら彼に言った。
「7年おきにリセットしなきゃいけないのさ、嘘だと思うだろう?」
いや、そうだ、今の今では嘘としか思えない。
冗談はよしてくれと彼にいって、彼が笑った。
「俺がずっと生きている、生きているってことを言っても嘘だと思うだろう?だがな、間違いじゃない。俺は本当にずっと生きている」
7年、その周期でそのスイッチを押し、リセットする。そのリセットの定義が全くわからないが、兎にも角にも生き続けるにはそのスイッチを押さなければいけない。
「自分で押すことはできないんだ。だから頼んだぜ」
「いやいや、そんないきなり」
彼はこんなことも言い始めた。
「記憶の容量がもうたくさんになったんだよ。だからお願いさ」
私は唾を飲み込んで彼にいう。「そんなこと、そんなことしたらリセットされちまうんだろ?記憶からなくなっちまうってことじゃないのか?」
「ああそうさ、その通り。でもこのスイッチにはワケがあって、こんなルールがある」
「ルール?どんなルールだよ」
「ルールさ、必ず”親しい人間でないといけない。スイッチは正常に作動しないんだ。だから街で見かけた見ず知らずの人に対して言ってみるとしよう。この背中のスイッチを押してくれって。でもそれは正常に働かない。ただスイッチがかけられるだけでリセットには至らないのさ」
「じゃあどうすれば?」
彼はまた自分の首根っこのあたりを指さした。
「ここを押すんだよ、たのむ」
「押すっつったって」
「ほら、押して」
「嫌だね」
「ほら」
データを消去、いままでやってきたどんなテレビゲームのデータ消去よりも躊躇する、当たり前だ。だってなんにせよワケがわからないのだ。
「その代わり」
「その代わり?」
「お前との記憶が全てなくなるんだよ」
頭が真っ白になった。咄嗟に真白く。
「記憶がなくなるって、どういうことだよ、なあ」
「ああ、訳がわからないだろ?でもそうだ、そうなるんだよ」
「訳がわからない」彼は普通に話している、だが私には何一つ理解することができない、そんな時間がずっと続いている。
「その七年間が丸ごとなくなってしまうってことさ」
まるごと、まるごとなくなってしまう。記憶が、彼との記憶が丸ごと。
「そんなことできる訳ないだろ」
彼は私の声を遮るように言った。
「これまで何人もの人にスイッチを押してもらった。その記憶は確かにあるんだが、おかしなことに顔が思い出せない。それらの思い出が思い出せないんだ」
「そうなれば、俺の顔も、思い出もなくなるんだろう?」
彼はしばらく口を窄め、「まあ、そうだ」といった。
続けるように彼はまた「たのむ、頼む押してくれ」と言った。
「いやだ、押さない」
「押せ」
私は彼の目をしっかり見つめてその場所、首根っこの部分に手をかけた。
しかしながら身体、私自身が選んだのは押さないこと、押さずに彼の首根っこに触れた。
「どうして、どうして押さないんだ」と彼は感情をむき出しにしていう。
「言っていた話、思い出した。最後に終わるならばどこでどうするかって」
私は彼の言った通り、というか、彼が言った真逆のことをやったんです。
やってしまったんです。
そしたらそのまま彼は動かなくなってしまいました。
膨張した記憶のはなし 雛形 絢尊 @kensonhina
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