都市器官観測録:立入禁止区画

ささやきねこ

【閲覧注意】地図にない地下通路見つけたから潜入してみた【都市伝説】

高架の影に埋もれるようにして、フェンスが半壊していた。

 誰かが切った跡がある。ワイヤーは乾いた金属音を立てて垂れ下がり、その向こうに巨大な通気口が口を開けていた。


「……これ、完全に当たりだろ」


 誰に向けたともなくそう呟いて、ライトを点ける。白い円錐が闇を切り取った瞬間、内部からぬるい空気が押し返してきた。

 熱気でも冷気でもない。乾燥した、どこか甘い匂いのする空気。


 鉄格子を越えると、靴裏が床に触れた。

 コンクリートのはずなのに、反響が鈍い。音が奥に伸びず、足元で吸われる。


「……なんだよ、この匂い」


 洗剤のようで、柔軟剤のようで、焼けた砂糖のようでもある。肺の奥に張りつく。

 喉の奥がすぐに乾いて、舌がひび割れそうになる。


 通路の両側一面に、無数のケーブルが束になって這っていた。

 整然と編まれ、幾何学模様のように壁を覆い尽くしている。


「配線……って量じゃねぇな、これ」


 指で触れた瞬間、違和感が走った。

 冷たくない。

 ゴムでもビニールでもない。

 柔らかい。ぬくもりがある。


 反射的にライトを壁へ近づける。

 灰色のコンクリートに見えていた表面が、光の輪の中でわずかに波打った。


 ――縮む。

 ――戻る。


 呼吸だ。

 壁が、微細に呼吸している。


 ライトの映像が一瞬乱れ、砂嵐のようなノイズが走った。

 鼓動が勝手に早まる。胸の奥で硬い音がする。


「……いや、気のせいだろ」


 そう言って一歩引いた瞬間、背後から乾いた摩擦音が響いた。


 ゴゴゴ……ゴゴゴゴ……


 水音ではない。

 岩がこすれる音でもない。

 巨大な石臼が、空回りしながら擦れ続けるような音。


 振り返る。

 入ってきたはずの通路が、そこにはなかった。


 壁が盛り上がっている。

 ゆっくりと、しかし確実に、通路の“穴”そのものが肉のように塞がれていた。


「……道、ここだろ」


 叩いた拳の衝撃が、中へ、内側へと吸収される。

 反発がない。

 硬いのに、拒まない。


 足元から、再びゴゴゴ……という音が近づいてくる。

 床が震え、微細な振動が骨に直接伝わる。


 走る。

 だが距離が縮まらない。

 いくら走っても、同じ壁、同じケーブル、同じ呼吸音。


 左右の壁が、ゆっくりと迫り始めた。


 ミチ……ミチ……


 乾いた圧縮音。

 空間そのものが折り畳まれていく。


 肩が擦れる。

 ジャケットの表面が削れる。

 火花が散る。


 細いパイプスペースが目に入り、反射的に滑り込む。

 金属と金属の狭い箱状の隙間。


 ――直後、足に重さが乗った。


 引かれる。

 下からではない。

 横から、壁そのものに。


 離れない。

 靴底が、床に癒着したように動かない。


「……っ!」


 無理に引き抜いた瞬間、壁が盛り上がった。

 灰色の表面が割れ、柔らかい内部組織が露出する。

 そこへ、足首がゆっくりと沈み込んでいった。


 押し戻そうとすると、逆に締め付けられる。

 まるで柔らかい万力だ。


 両側の壁が脈打つ。

 ミチ、ミチ、ミチ。


 蠕動のリズム。


「……コンクリじゃ……ねぇ……」


 声が震えたのではない。

 喉が、乾燥でうまく閉じなくなっていた。


 ジーンズの繊維が灰色に変わり始める。

 水分が奪われ、繊維の隙間にセメント質が侵入していく。

 布が、都市の組織へと書き換えられていく。


 足が――“壁の一部”になる。


 視界が傾いた。

 カメラが地面に落ち、斜めに固定される。


 映っているのは、壁と癒着した片脚だけだった。

 布と肉と建材の境目が、ゆっくりと消えていく。


 奥から、最後に小さな音がした。


 カチリ。


 巨大な装置が、正常動作に復帰したときの乾いた作動音。


 ――それきり、信号は途絶えた。

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