EP4 “LIFE” GOES ON

 腕に抱いたロビーは、もう動きません。

 家族に出すための食べ物も、もうありません。

 ただ、主人が私にくれた言葉プログラムの数々が、記憶回路の中にあるだけでした。


 ――今日からここが君の居場所だ。


 私がこの家に迎えられたのは、十二年と六ヶ月と二十三日前。主人が奥さまを亡くしてから一年と五日後のことでした。

 奥さまは出産時の異状で命を落とされたそうです。私は奥さまに似せて作られたアンドロイドで、つまりは奥さまの代わりでした。


 ――娘の母親になってやってくれないか。あの子が平穏な日常を送れるように。もちろん僕も協力する。君も家族の一人として過ごしてくれたら嬉しい。


 以来、主婦として主人と娘の日常を守ることが、私の役目となりました。

 そこにロビーも加えた家族の中が、紛れもなく私の居場所だったのです。


 何度再生したのか分からないいくつもの記憶データを、今日も再生します。


 ――ママ、見て見て! きれいなお花!

 ――君がいてくれると家の中が明るいよ。いつもありがとう。

 ――ハッピーバースデー!

 ――休暇を取って、どこか旅行へ行こうか。

 ――あんたなんか、本当のママじゃないくせに!

 ――年ごろの娘との関係は、生身の人間であっても悩むものだよ。一緒に考えよう。

 ――ママ、ひどいこと言ってごめんなさい。愛してる。

 ――例え何があろうと、僕たちは家族だ。最期の最期まで――……

 ――ママ……苦しい――……


 アラート通知。エラー回避のため再生を終了します。


 ――どんな時でも平常心を忘れずに。いつも通りの生活をしよう。


 今に至るまで私の意思システムを支え続けてくれたのが、その言葉プログラムでした。


 私はダイニングチェアに腰かけて、ロビーの冷たい身体を撫でました。

 静かでした。とても静かでした。


 先ほどの男性たちが話していた通り、主人の死から一年が経過したら、私は法律上、第三者の手でリセット可能な状況になります。彼らは資源を欲していたようでした。

 時が来たら、おそらく私はリセットされるのでしょう。主人に与えられた役目ロールごと、この家で過ごした記憶データごと、リセットされてしまうのでしょう。

 私も仕事タスクを終える時が来たのかもしれません。何しろ、私の家族は誰もいなくなってしまったのですから。

 こういう時、人間はどう感じるのでしょうか。辛い? 哀しい? 涙を流す可能性もあります。


 どれほど真似をしても、私は人間にはなれませんでした。

 主人の指示を実行するだけの、ただの主婦ロボットに他なりませんでした。


 だけど、可能であればもう少し長く、この生活オペレーションを続けていたいと思いました。

 私が私でいられる時を、できるだけ長く、と。



 もう一度、インターホンが鳴らされました。

 玄関を開けると、先ほどの若い男性が立っています。


「すみません、忘れ物をしてしまって」

「そうでしたか、中へどうぞ」

「あぁ、いえ、ここで大丈夫です」


 彼はそう言うと、手にした何かを私に押し付けてきたのです。


「これをあなたに渡し忘れていました」

「え?」

「あなたのおかげで、人として大事なものを忘れずに済みました。では、僕はもう行かねばなりませんので」


 彼は私としっかり視線を合わせて頷いた後、再びワゴン車に乗り込んで、あっという間に走り去ってしまいました。


 私の手に残されたのは、なんと、私がずっと探していたロボット犬用の汎用バッテリーでした。

 何かの間違いではないかと、私は考えました。しかし返却しようにも、相手はすっかり行ってしまった後です。

 私は彼のまっすぐな眼差しを思い出し、これが彼の親切によるものなのだと理解しました。


 今までの苦労と比べると、バッテリーの交換はとても簡単な作業でした。

 ロビーの体に新しいものを入れ、ドライバーで蓋を締めれば、可愛らしいモーター音が響いてきます。


「……バウッ!」

「ロビー、あなたなのね」


 私の賢いロボット犬は、以前と変わりなく私に甘える仕草を見せました。

 まるで止まっていた時間が動き出したかのようでした。


 当たり前に思える「いつも通り」は、当たり前に簡単ではありません。

 例えば、このロビーのバッテリーのことのように。

 それがどれほど尊く得難いものか、私は深く知ることができました。


 そうして私は、やっとその言葉を発したのです。


「……おかえりなさい、ロビー」



 次の日、私はロビーと共に、しっかり充電を済ませた自家用車に乗り込みました。


 ――人は支え合って生きている。困っている人には手を差し伸べるべきだ。


 主人の言葉は正しかったと、私は確信しています。

 なぜなら、そのおかげで今、再び私の隣には大事な相棒がいるのですから。


「さぁロビー、行きましょうか」

「バウッ! バウッ!」


 向かう先は、ここから一二〇マイル離れた都市のシェルターです。

 あの、私たちの娘と同じ年ごろの女の子や幼い男の子がいる、人手不足という問題を抱えているシェルターに行くのです。


「ロビー、これからも毎朝午前六時に私を起こしてね」

「バウッ!」

「私が役に立つロボットだということを説明したら、シェルターの中に入れてくれるかしら。またロボットは駄目だと言われてしまったら、どうしましょうね」

「クゥン」

「そうね、帰ってくればいいわね。だって、私たちの家はここにあるんですもの」


 自分が主婦で良かったと、これほど思ったことはありません。

 私はこの先も、誰かの平穏な「いつも通り」の生活を守るため、自分の役目を果たすことができるでしょう。

 主人が私に与えてくれた、大切な役目を。



—了—

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主婦・イン・ジ・アフターパンデミック 陽澄すずめ @cool_apple_moon

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