第32話 語られない罪

 ルーヴェン皇国行政庁の地下会議室は、地上の建築様式とは切り離された場所にあった。

 天井は高いが装飾はなく、壁面には皇国の紋章すら掲げられていない。

 空間は広く、しかし人を迎え入れるための設えではなかった。


 長い机が一列に置かれ、その正面にエーヴァルト・フォン・シュトラウスが座っている。

 手元の資料に視線を落としたまま、すでに会談が始まっているかのような静けさを保っていた。


 向かい側には、クラリスとヘルマンが並んで腰を下ろしている。

 その一歩後ろ、壁際にカレンが立つ。


 武器はない。

 両手は身体の横に下ろされ、視線は正面に向けられている。

 ただ、そこに立っているだけだった。


 エーヴァルトは資料を一枚めくり、淡々と読み上げた。


「アルブレア連邦は、第二次DOLL計画について公式に責任を否定している」


 抑揚のない声。

 事務的な響きだけが会議室に落ちる。


「計画は一部組織の逸脱行為とされ、国家としての関与は確認されなかった、という公式見解を発表した」


 続けて、別の文書に視線を移す。


「騒動の責任者とされた者は、すでに処分済み、もしくは行方不明。記録上、関係者は存在しない扱いにしている」


 クラリスは黙って聞いていた。

 その表情に変化はない。


「アストレア家の処刑についても、同様の扱いだ。そして、クラリス・アストレア。君は反逆者として手配されている」


 エーヴァルトの言葉は止まらない。


「国家転覆を企てた不正行為として、緊急事態法に基づく合法処理。連邦法の枠内では、問題はない」


 会議室には、紙をめくる音だけが残った。


 感情も、悪意も感じられない。

 ただ、アルブレア連邦の一方的な見解が、正確に並べられていく。


「……つまり」


 沈黙を破ったのはヘルマンだった。


「自分らは何も知らなかったと言い張って、全部なかったことにする腹だな」


 声は低く、皮肉を含んでいるが、怒りをぶつける調子ではない。


「死んだ連中は“処理された”。すでに過去のことってわけか」


 エーヴァルトは顔を上げ、視線を向ける。


「証拠はあるんだろ」


 ヘルマンは続けた。


「ゼロタワーのデータも、DOLL計画と第二次DOLL計画の実験記録も。全部揃ってる。それでも裁けないのか?」


 一瞬、空気が張り詰める。


「証拠は、十分だが……」


 エーヴァルトは否定しなかった。


「君たちも知っていると思うが、連邦の司法は連邦のもの。ここにルーヴェン皇国が介入すれば、それは正義ではなく侵略になる」


 言葉は冷静だった。


「我々ができるのは、これ以上の被害を防ぐこと。未来への準備を止めることまでだ」


 ヘルマンは口を閉ざした。


 エーヴァルトは、わずかに言葉を置く間を作り、続けた。


「正義を執行する権限は、必ずしも正義を守るために存在しているわけではない」


 視線は揺れない。


「“正義”。と言ってしまえば聞こえはいいが、それは多くの場合、執行者の傲りに過ぎない」


 その言葉が、会議室に静かに沈んだ。

 エーヴァルトは一度だけ視線を伏せ、そのまま何も言わずにクラリスに資料を渡した。


「……俺が同じ立場なら、たぶん同じことを言うだろうな」


 ヘルマンの呟く声に、正義という言葉が、意味を失っていく。



 クラリスは、そこで初めて資料に視線を落とした。

 一枚、また一枚と目を通し、やがて顔を上げる。


「……アルブレア連邦は、これからも変わらない。変えられないということですね」


 問いかけというより、確認に近い声音だった。


「少なくとも、今すぐには……」


 エーヴァルトは肯定も否定もしなかった。

 沈黙が、その答えだった。


 クラリスは、それ以上を求めなかった。

 これまでの一連の計画と、連邦の意図していたところを理解してしまった。


「もし、今ここで戦えば」


 クラリスは言葉を選びながら口を開いた。


「連邦を敵に回し、再び戦争が起こる。皇国も戦地となり、罪のない人々が犠牲になるだろう」


 視線は、机の上ではなく、遠くを見ている。


「それは……かつて自由連合が行ったことと同じ」


 正義の名の下で、別の正義を踏み潰す行為。

 エーヴァルトはさらに続けた。


「ルーヴェン皇国は、そのようなことは認めない。もしそうなれば、君たちをこのまま自由にしておくわけにはいかなくなる」


 ヘルマンが、小さく息を吐いた。


「殴り返せば、殴った側になるだけだ」


 短い言葉だったが、重みがあった。


「……犠牲が出ない選択肢はない。ティム・ローヴァンは、そう言ってたな」


 会議室に沈黙が戻る。


 クラリスは、静かに結論を口にした。


「連邦を倒すこと……戦うつもりはありません」


 それでも、と続ける。


「わたくしは語ります。残します。忘れさせません」


 それが、クラリスの選んだ道だった。

 クラリスは、資料を一枚だけ抜き取り、静かに自分の前へ引き寄せた。


 エーヴァルトは立ち上がり、最後に告げる。


「皇国は、象徴を作らない。英雄にも、伝説にも、しない」


 会談は、それで終わった。



 クラリスが席を立つ。

 その一歩後ろで、カレンが静かに動く。


 カレンは、視線をわずかにクラリスへ向け、すぐに正面へ戻した。


 言葉は交わされない。

 ただ、付き従う。



 それらは裁かれず、記録にも残らない。

 強者の正義として、静かに積み上がっていく。


 世界は、何も変わっていなかった。


 

(つづく)

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[カクヨムコン11]白の令嬢が拾った戦後の亡霊 ――奴隷市場で令嬢が拾った兵器は、白の屋敷でメイドとして歩き出す。最凶メイドが放つ乾いた銃声が、戦後の街を覆う闇を裂く。 三毛猫丸たま @298shizutama

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