てるてる坊主の証言

kou

てるてる坊主の証言

 雨の日は、母親が壊れる日だ。

 幼い少女、朝宮ミクの言葉で説明するなら、それが一番しっくりくる表現だった。さっきまで笑っていたはずの母親は、窓の外で雨音がし始めると、すうっと表情を失くし、まるで魂だけがどこか遠くへ行ってしまったかのようになる。

 食事もとらず、ミクの声にも応えず、ただ暗い寝室の隅で膝を抱えてしまう。ミクにとって、雨は母親を奪っていく悪い天気だった。

 お母さんに、笑って欲しい。

 その一心で、ミクは小さな手で、てるてる坊主を作った。

「明日、晴れにしてね」

 軒先に吊るされた白い塊は、少女の祈りを吸い込んで、静かに揺れていた。

 その夜、風の音に混じって、不思議な声が聞こえた。軒先で揺れるてるてる坊主が、彼女に話しかける。


 ――どうして私を作ったの?


 囁くような、優しい女の声だ。

 ミクはベッドから抜け出し、窓に駆け寄った。

「お母さんに、笑って欲しいから……」


 ――ごめんなさい。明日は雨になるわ。だからお母さんは、また“お兄ちゃん”を思い出してしまうの


 てるてる坊主は謝る。

「おにい、ちゃん?」

 ミクに、兄などいない。聞き返そうとしたが、てるてる坊主は風に身を任せるだけで、もう何も答えなかった。

 翌朝、外は予言通りの土砂降りだった。

 そして母親は、壊れた。

「あなたのせいよ!」

 ミクは工作用のハサミを取り出すと、てるてる坊主をめちゃくちゃに切り刻んだ。

 我に返った時、彼女の前にはボロボロになったティッシュがあった。

 昨夜の不思議な会話も、今しがたの激しい衝動も、すべてがかすみのかかった悪い夢のように感じられた。

「……私、何してたんだろ」

 ミクはただ、ひどく疲れていた。

 けれど、そのサイクルは何度も繰り返された。

 ミクが『お母さんに笑って欲しい』と願う度、軒先のてるてる坊主は口を開いた。


 ――お兄ちゃんはね、水たまりで跳ねるのが好きだったのよ

 ――お母さんの赤い傘。あの日も、雨に濡れてきらきら光ってたわ


 そして翌日には必ず雨が降り、ミクは訳の分からない怒りに駆られて、それを刻み、記憶は曖昧になる。消えたはずの『証言』は、彼女の無意識の底に澱のように沈殿し、少しずつ蓄積されていった。

 ある日、ミクはアルバムを見つけた。

 そこには赤子と、自分にそっくりな笑顔の男の子が、幸せそうな母親と一緒に写っている。

 写真の裏には、掠れた文字で

 『拓也 4歳の誕生日』

 とあった。

 蓄積された『証言』のパズルピースと、『拓也』という物的証拠が、カチリと音を立ててはまった。

 彼女はアルバムを抱え、母親に訊いた。

「お兄ちゃんは、どうしていなくなっちゃったの?」

 母親は狂乱した様子でミクからアルバムを奪い取ると、獣のようにそれをビリビリに破り捨てた。

 拒絶されたミクの心から、『お母さんに笑って欲しい』という純粋な願いは、焼けつくような真実への渇望へと変わった。

 また、彼女は、てるてる坊主を作った。

「何があったの。全部、教えて」

 その夜、軒先の証言者は、これまでとは全く違う、冷徹で無感情な声で語り始めた。それはまるで、事故の目撃者が警察にする供述のようだった。


 ――時刻は午後3時28分。現場は保育園の近くの横断歩道。母親は携帯電話に着信があり、視線を落とした。その時に、長男・拓也の手からボールが道路へ転落。拓也はそれを追って車道へ侵入。右方向から接近した黒のワゴン車が――


 証言は続いた。

 甲高いブレーキ音、母親の絶叫、落ちる傘。

 そして、降りしきる雨がアスファルトを赤く染め上げていく様を、克明に描写しきった。

 この詳細すぎる『証言』は、もはや『悪い夢』では済まされない現実の楔として、ミクの魂に深く、深く打ち込まれた。

 もう、忘れることはできなかった。


【SCP-2321-JP 雨が降るから共に泣こう】

 てるてる坊主と呼称される物品が発話可能となる現象。

 異常性を獲得した、てるてる坊主は自身を作成した人物に対して自身を作った目的を質問し、翌日は雨になる為その願望は叶わないと説明する。

 首を切断されたSCP-2321-JPは異常性を失い、これと同時にSCP-2321-JPと接触した人物が有する対象に関する記憶は不明瞭なものになり、ほとんどの場合、夢の中での出来事であったと認識される。


 雨の夜。

 中学生になったミクは、自室で静かに机に向かっている。

 その手にはロープが握られていた。

 机の上には、一枚の写真が置かれている。

 あの日、母が破り捨てたアルバムの切れ端を、彼女が密かに拾い集めてテープでつなぎ合わせたものだ。

 少女は写真の中の母親に、そっと微笑みかけた。

「お母さん。私が、ずっと晴れにしてあげるね」

 静かに立ち上がると、ミクはロープをしっかりと握りしめたまま、母親の部屋の前に行く。ドアの向こうからは、雨音に混じって、隣の寝室で嗚咽を漏らす母親のかすかな声が聞こえていた。

 蝶番の音が鳴る。

 ミクの部屋の窓辺に、てるてる坊主が揺れることは、二度となかった。

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