第21話「俺は崑崙コロニーが大嫌いなんでね」
赤黒い傷跡の走る右頬に、ふと、ぬるい風が当たる気配を感じた。肉が抉れた古傷のせいか、その部位は、他の身体の場所より敏感なのかもしれない。
そんなことをあやふやな意識の下で思い描き、それから、ゆっくり、重い瞼を持ち上げる。
気がつけば俺は、薄暗い窓のない小部屋に転がされていた。手足は縛られておらず、自由に動かせる。
だとしても殴られた頭はまだガンガン痛いし、触れば瘤ができているしで、気分は最悪だ。まだ胃に残っているアイスクリームをその場にぶち撒けてしまいたいくらいだった。
「やっと気がついたかい!」
目の前の薄闇から唐突に男の声が飛んできて、俺はその部屋にひとりでないことに気がつく。痛む頭を摩りさすりながら身を起こし、目を凝らして見れば、冴えない表情の中年男がそこにいる。猿のような印象の小男だった。
見覚えのある顔だ。どこで見たのか、そうだ、あれは
「あんた……、
問いかけた俺に、男は声を弾ませた。
「ああ、そうだ、俺は蓬莱百貨店外商部の
思った通りの答えと、慇懃無礼な言い草。それが同時に飛んできて、俺は眉を顰める。しかしながら黄は俺のそんな素振りは目に入らないようで、ここぞとばかりに盛んに唾を飛ばしてきやがる。
「こんちくしょう! あいつさえ裏切らなければ俺がこんなところに閉じ込められることはなかったのに!」
「あいつ?」
聞き返した俺に、黄は忌々しげに答える。そしてその返答から、俺は今回の事件の詳細を知るのだ。
「そうだ、オスカー・グーゼンバウアーだよ! 龍地区外商部員の! あいつ、いつもおとなしく俺に従ってるように見せかけて、こんな仕打ちしやがるとは! まったく難民風情の恩知らずめが!」
なるほど、と俺はちいさく頷く。どうやら蓬莱百貨店の裏切り者とは、そのオスカーとかいう龍地区外商部員だけらしい。マネージャーである黄は、巻き込まれただけの存在か。
となると。
「そのオスカーとやらは、えらく男前の欧米系か? こう、髪がくねくねしてて肩ぐらいまでの」
俺は意識を失う間近の記憶を掘り返し、黄に問うた。そう、あいつだ。西王母ちゃんのなかから現れて、俺に一発喰らわせたあの色男だ。
「おう! そいつだよ! そいつが龍地区担当外商部員だよ! ちなみに担当売場は婦人服!」
「
あいつとやらの素性が判明し、俺は大きく息を吐いた。しかし、だからといってこの囚われの身をどうするべきかの答えは見えない。オスカーとやらは俺をどうするつもりなのか。そして、なぜ彼は蓬莱百貨店を裏切ったのだろうか。
そう考え込んだ俺の鼓膜を打つ音がある。それは壁の向こうから聞こえてくる。大勢の人間が蠢く気配だ。低く唸る機械音も合わせて紛れてくる。
すると、その俺の疑問を察した黄が、忌々しげに語を吐いた。
「あの音は改造兵どもだ。この小部屋はな、公園の地下にある改造兵の訓練施設のなかにあるんだよ。改造兵のやつら、いったいこんなところにアジトを作って、なに企んでいるんやら」
「……改造兵……? 訓練施設?」
黄の言葉に、俺の脳髄のなかの空白が一気に埋まる。そうだ、林が言っていたじゃないか。
――傭兵希望の改造兵の密航を助けている奴が蓬莱百貨店にいる――。
そして、志明はこうとも。
――蓬莱百貨店のなかに、
俺は思わず呻いた。
「……つまり、そいつがオスカーか、なるほど……」
やれやれ、結局俺の懸念は正しかったわけだ。林と志明の話は、まさにイコールだった。しかしながら、黄はそこまでの事情を知らないようだ。どうやらこいつはオスカーに利用されただけなのだろう。
そんなことを考えていると、唐突に俺の目を光が射る。ドアが音を立てて、外側から開いたのだ。そして廊下の白い照明を背に立つ長身の男といえば、まさに、今俺が心に思い描いていたばかりの奴だったのだ。
逆光でさえもはっきりとわかる、端正で彫りの深い顔立ちに、白い肌。ウェーブのかかった肩までの髪。身長は百九十はあるのではないだろうか。たとえていうなら、外商部員というよりかは、映画スターのような出立ちだった。
「お出ましかよ。龍地区外商部員、オスカー・グーゼンバウアーとやら……派手にぶん殴りやがって……」
睨みつけながら、そう恨み言を投げつけてみれば、悠然とした笑顔でオスカーは流れるような調子で俺のフルネームを呼びやがる。
しかも、やたら懐かしい名前でも呼ばれた。
「改めて挨拶させていただくよ、好地区外商部員、
「えっ、『エウロパの死の黒豹』って、あんた、あの? あの独立戦争の!?」
黄が驚いた様子で俺の後ろで叫んだ。だけど俺はそっちは丁重に無視することにする。
昔のことはどうでも良かった。
そんなことより、俺には確かめたいことがある。
「俺もお前の声には、聞き覚えがあるぜ」
なおも睨みつけてやれば、視線の向こうでオスカーは整った目鼻立ちをふっ、と歪めて薄く笑う。その顔に向かって俺は言うべきことを叩きつけた。
「大晦日の大納会で、侵入者の手引きをしたのはお前だな」
それから、もっと重要なことを質す。
「……なぜ、
――雑魚に構うな、女を探せ――。
すると、あのパニックのなか聞こえた謎の声そのまんまの声音で、オスカーがさらりと返す。
「俺は崑崙コロニーが大嫌いなんでね」
「……は?」
謎かけのような答えに俺は戸惑う。しかしながらオスカーはさも当然とばかりに、俺にこう続けた。
「そして、この人類社会においてそう思ってるのは、俺だけじゃない。そういうことだ」
そしてオスカーは俺の前でまた、にやり、と頬を歪めた。男前なだけあって、その冷笑も奇妙なほど様になるのが憎たらしい。俺の後ろでは、話から取りこぼされた黄がなにやら喚く声がする。だがそれは放っておいて、俺はさらに大事なことをオスカーに問いただす。
「柘榴はどうした。こんなふうに閉じ込めていたら承知しねぇぞ」
すると、オスカーはわざとらしく肩をすくめながら言った。
「安心しな。お前の大事な柘榴ちゃんはなかなか逃げ足が早くてね。取り逃してしまったよ。流石の俊敏さだな」
強張っていた肩から途端に力が抜けた。
同時に、よかった、という声が脳の奥から響く。俺としては柘榴がこんな扱い受けてたら、と考えるだけで臓腑が黒く澱んでしまうから、柘榴がオスカーの手に落ちていないこと、それはなによりの僥倖だった。たとえ、彼女が得体の知れないなにかだとしても、それは変わらない。
よほど顔にその安堵はありありと現れてしまったんだろう。オスカーはそんな俺を見て緑の目を細めながら口角を上げる。
しかし、奴が次に俺に告げてきたことは、いまの状況がとんでもなく最悪であることを俺に知らしめるものだった。
「肝心の嬢ちゃんは逃がしちまったが、地球にいい土産ができたよ。崑崙コロニーの黒豹とやらは、終戦後十年時が経とうと、地球の奴らには思い出深いからな」
「は……? 地球」
唐突に出てきたそれまでなんの縁もなかった惑星名に、俺は虚を疲れた面持ちになる。するとオスカーは男前の顔を笑いに歪めながらとんでもないことを言い出した。
「そうだ。お前は地球軍に引き渡す」
「はぁ!?」
今度は声が爆ぜた。
そうしてから、俺は志明に教えられたオスカーの素性を思い出す。奴はたしか、グラン・ディアからの難民で、そのグラン・ディアはいまも地球軍と交戦が続いていて、つまりは敵味方であるはずで。
――どういうことだ?
すると、お前の思考などお見通しだ、と言わんばかりの口調でオスカーが口を開いた。
「たしかに、俺はグラン・ティアからの難民だ。だがな、実際はグラン・ディアの工作員でもある」
「なんだってぇー!?」
唐突に明かされたオスカーの素性に、俺の背後でいまだ騒いでいた黄が素っ頓狂な叫び声を上げた。俺といえば、あまりに想定外すぎて、思わずぽかん、と口を開けることしかできやしない。まさか蓬莱百貨店の外商部員に、そんな人間が紛れこんでいたとは。
しかしそれでも、わからないのは。
「ちょっと待てよ。なんでそれで地球の名が出てくる? お前ら、抗争中じゃねぇか?」
すると、呻く俺を前に、グラン・ディア工作員たるオスカー・グーゼンバウアーは緑の瞳を光らせながら、悠然と語り出した。
「説明してやるよ。我らがグラン・ディアはまさに地球と交戦中だが、正直、劣勢は否めない。そこで地球に講和の手土産として渡そうとしているのが、同じ木星軌道にある崑崙コロニーの無力化だ。そこで、グラン・ディアはここ龍地区の
なるほど。だんだんとからくりの全容が見えてきた。霧が晴れるように、徐々に。俺はオスカーを鋭く問いただす。
「ふむ。
「なかなか物分かりが早くて助かる」
「そりゃありがとよ。だがなぜ、グラン・ティアは地球と通じてまで、俺たち崑崙コロニーを消そうとする?」
すると、オスカーが口の端を釣り上げた。薄暗い部屋の空気が、ゆらり、揺れる。
「さっきも言っただろうが。いいか。人類社会の戦乱のなかでいち早く独立を果たしたことに胡座をかき、その後十年あまり、各コロニーでの戦争を餌に肥え太り繁栄する崑崙コロニーを敵視する人間は、あちこちにいるんだ。そうだ、俺たちグラン・ティアだけじゃない。戦火に塗れる人類にとって、いまや崑崙コロニーは共通の敵といっても過言じゃないのさ」
そのオスカーの口調は静かだったが、言葉の奥底からは呪詛があふれ出しているように感じ、俺は背筋をぞわり、とさせる。いや、呪詛というより、底知れない怒りといったほうが良いのか。
そして奴の怒りこそは、崑崙コロニーに向かう人類社会の憤怒の感情そのものように思え、俺の全身にはさらに悪寒が走った。
しばし、仄暗く狭い小部屋には沈黙が満ちた。あれほどうるさく喚いていた黄も、いまはただならぬ雰囲気にのまれてしまって黙りこくってしまっている。その闇の狭間で、俺とオスカーはお互いの顔をただ睨み合うだけでいた。お互いの呼吸だけが小部屋に不気味に響いている。
やがて、先にその静寂を割ったのはオスカーだ。
「……というわけだ。ひとまず、楊、お前を我がグラン・ティアを通じて地球に引き渡す。なに、
そうしてオスカーは部屋から出ていく。俺をこうあざ笑いながら。
「安心しろ、近いうちに嬢ちゃんもとっ捕まえて地球に送ってやる。そうしたら仲良く本物の
目を剥いた俺の視線の先で、オスカーの栗色の髪がゆらり、揺れ、そして消えていった。
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蓬莱百貨店外商部 つるよしの @tsuru_yoshino
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