第20話 なるほどこれは不測の事態だ

 意気揚々と売店兼土産物売場に踏み込んだ柘榴ざくろは、まずはずんずん売店のフードコーナーに向かう。そしてこともなげに俺にこう声を投げた。


「私、アイスがいいなあ。どうせならここでしか食べられないやつがいい」


 そう言いながら壁のメニューを柘榴は悠然と指差す。


「『九寨溝きゅうさいこうアイス』かよ……ふざけたネーミングつけやがって、単なるバニラのアイスクリームじゃねぇか」


 完全なる観光地価格の値段に目を剥きながらそうぼやいていたら、柘榴はさっさとオーダーをし始めていた。


「このアイスふたつください、あ、トッピングに『五花海ごかかいゼリー』つけて」

「は、ふたつ? 俺はいらねぇよ?」

「なに言ってるの、甘いもの好きなくせに。なんだったら私が奢ろうか?」


 そこまで言われると断りようがない。

 結局俺と柘榴はコーンに詰められたバニラアイスクリームを並んで舐めることになった。いい値段だけあってなかなか美味いのが悔しい。ことに上に乗ったエメラルドグリーンのゼリーはレモン味で、酸味が爽やかだ。一応俺が全額支払っておいたが、絶対にあとで経費として請求してやる。


「美味しいー!」

「……だな」

「あら、なんか気のない返事。まぁた食べさせてほしいのかな?」

「……」


 ――対柘榴の精神的疲労手当も請求してぇよ、俺は。


 そんなことを考えながら柘榴と隣り合ってアイスを食べ、売店の中に目をやれば、やたら混雑しているコーナーがあった。なんだか得体の知れないぬいぐるみが山盛りにディスプレイされている。

 壁に貼られたポスターに躍る文字といえば、こうだ。


『入手困難! 西王母せいおうぼちゃんレアグッズ!』


 そこには今崑崙こんろんコロニーで柘榴いうところ人気沸騰中らしい「西王母ちゃん」が並んでいた。


 いうまでもなく西王母とは、崑崙コロニーの名前の所以である伝説の地、崑崙山に住まう天界の女王である。


 だが、目の前に置かれた「西王母ちゃんぬいぐるみ」を見る限り、女王の威厳は……ない。黒髪を結った髪型や派手なピンクの羽衣こそそれらしいが、頭身は三頭身で、頭がめちゃくちゃでかい。その顔立ちといえば目は垂れパープルのアイシャドウは濃く赤い口は大きく、その上ニタァと笑っている表情なものだから、女王というよりよく世俗にいる世話焼きオバハンの面持ちだ。日本のばあちゃんの家にあった「おかめ」のお面に似ているかもしれない。


 つまりは、なんというか全体にゆるく、かつ、ブサイクなオバハン人形なのである。


 ――これかぁ。これが……かわいいのか……。最近の世間の若いもんのセンスはわからんな……。


 だが、俺の目の前では老若男女の観光客がそれらをお土産に、といそいそ品定めしている。

 そして、だ。

 さらに視界の片隅で揺れる物体に気づき、それがなにかと見てみれば、なんと、等身大着ぐるみの西王母ちゃんがゆらゆら身体を揺らして愛想を振り撒いてるではないか。


「……」


 あまりにもカオスな光景で、俺はすかさずこめかみに痛みを感じる。


 ――頭が、痛いぜ……。


 ところが……その次の瞬間に、俺が感じ取ったのは頭痛だけじゃなかったのだ。

 一言で言えば、ものすごい悪寒。または、強い敵意。それが俺の背筋を駆け巡った。


 ――これは……。


 そうだ、トロッコに乗っていた最中、ずっと頬を刺していた、あの嫌な感じ他ならなかった。それがいまやさらに強度を増して、俺の五感をぐさぐさと刺してきている。


 目を瞑る。そうして、ゆっくり息を吐き、気分を落ち着かせるとともに、感覚をフラットにする。いつも戦場でしていたように。胸元に手を翳し、懐の銃を確認する。

 そして目を再び開き、俺は視線を向ける。その敵意の方向に。


 刹那、俺の視界に映り込んだのは……なんと……店頭で愛想を振り撒く西王母ちゃんの着ぐるみだったのだ。



 さらに次の瞬間、爆ぜたのは柘榴の声だ。


ヤンさん、伏せて!」


 突如柘榴がそう叫びながら、高く飛んだ。床にぶちまけられたアイスクリームが白い飛沫を上げる。他人事のように、俺はその瞬間、ああ、勿体ねぇな、と意識のどこかで呟いた。俺の分は食べ終わっていたが、せっかく買ってやったというのに。


 その上を跳ねる柘榴のシルエットは、まるでスローモーションのように俺の目には写った。空に躍る胸元のリボンと赤いワンピースの裾、その下から伸びたしなやかな脚、風を切るボブカットの黒い髪。

 そして耳元で光る赤いイヤーカフ。


 その光景を引き裂くように銃撃音が店内を走った。悲鳴を上げる観光客に押され、床に散らばる数多の西王母ちゃんぬいぐるみ。転がりながらも無数の顔はそのままニタァと笑っていて、俺にはそれがなんとも不気味で気持ち悪い。そしてそれらを踏み締めてこちらに銃を向けているのは、まったく同じ表情の西王母ちゃん着ぐるみときたもんだ。


 ――カオスというより、こりゃもはやホラーな光景だな。


 そんなことを思う間もなく、西王母ちゃんの胸元に飛び込んだ黒い影――柘榴はすかさずそのどでかい胴体に赤いワンピースをひらりはためかせながら、一発蹴りを炸裂させた。しかし、西王母ちゃんは揺るがない。揺るぐどころか、飛び込んできた柘榴の身体に短く太い手を回し、そのまま柘榴を投げ飛ばそうとする。


「柘榴!」


 今度叫んだのは俺だった。俺は銃を西王母ちゃんに向けて、ぶっ放す。だいぶ弾道はぶれたが、あれだけでかい図体だ、当たらないことはないだろう。

 ところが、銃弾が跳ね返される音が響いた。


「はぁ? そんな防弾チョッキ、ありかよ!?」


 あまりの理不尽さに俺の口からは間抜けな叫びが漏れてしまった。するとその俺の前で西王母ちゃんは、ゆさゆさと身体を揺すりながら、ゆっくりと方向転換し、のそのそと店の入り口、そして外へと移動し始めた。


「店の外に出るよ、楊さん」

「ああ」


 俺は柘榴の声に短く答えると、西王母ちゃんの背を追って売店から躍り出た。



 側から見ても奇妙な光景だったと思う。


 よたよた歩いていた西王母ちゃんは、屋外に出るや、でかい図体に似合わぬハイスピードで疾走し始めて、おかげで俺と柘榴は全速力でその後ろ姿を追わねばならなかった。

 外は数多の観光客が行き来する、広葉樹が植えられた芝生が広がる公園の外縁で、時刻といえば午後の二時、疑似太陽光の輝きも麗らかな昼下がり。そんなのどかな光景のなかを西王母ちゃんと俺らが追いかけっこをしている。


「お母さん、あれ、西王母ちゃん!」

「なに、あれ? なにかのアトラクションかなぁ」

「それとも映画の撮影!?」


 そんな声が方々から飛んできて、俺は駆けながらまたも頭痛を覚えた。そりゃ、そう思われても仕方ない妙ちきりんな光景なのは認めるが、こちらは真剣勝負なのである。五月蝿い黙ってやがれ、と弾む動悸をよそに俺は毒付く。


 前を行く西王母ちゃんは心憎いほどに絶妙なスピードで走っていた。高く結った黒髪と、派手なピンクの羽衣がボヨンボヨン弾む後ろ姿は奇怪そのものだったが、その背は近づいたかと思えば遠ざかる。そして距離を取ったかと思えば立ち止まり、こちらを窺う素振りを見せる。そして追いつきそうになれば、また全速力で走り出す。


 まるで俺らを嘲笑うかのようで、俺と柘榴は次第に西王母ちゃんのペースに翻弄されつつあった。


 ――いや、これは……。


 嫌な感じがする。脳髄の奥で、危険信号がちかちか点滅しているような。

 俺は俺の前を飛ぶように走る柘榴に声を投げた。


「柘榴、深追いするな! ここの土地勘は俺らにはないんだから!」


 だが柘榴はあっけんからんとこう返してくる。息も弾んでない。


「そうは言っても、奴を逃したら、私たちにはなんの手がかりもないのよ」


 そのうちに周囲の光景が変わってきた。観光客の姿はいつしか消え失せ、代わりにすれ違うのは公園の従業員らしき人間。芝生も緑も消え失せて、気づけば俺たちの追跡劇は公園のバックステージに移っていた。

 道は狭まり、あちらこちらに備品や什器、掃除用クリーンマシンなどが無秩序に置かれている。そんな狭苦しい空間だというのに、前を行く西王母ちゃんの距離は縮まらない。

 このままでは逃げられる、しかし、だがしかし……。


 ――俺たちは奴に誘い込まれている! これは罠だ!


 やっとそう気づいたとき、西王母ちゃんの動きが止まった。そうして西王母ちゃんがゆっくり、こちらを振り返る。

 ニタァと笑うオバハンのどでかい顔が、俺の視界に入る。そして、柘榴を狙って西王母ちゃんの手にぎらり光る銃口も。

 俺は叫んだ。


「柘榴! 止まれ!」


 その声に柘榴は振り向き、その動きが一瞬止まる。その間隙を使って俺は西王母ちゃんの銃を狙って一発撃った。

 ガチーン、という音がして、続いて西王母ちゃんの手から銃が転げ落ちるのが見えた。命中したらしい。俺はとりあえず安堵の息を吐く。


 ところが、そこからが西王母ちゃんの本番だったのだ。

 なんと、いきなり西王母ちゃんが俺めがけてでかい身体ごとダイブしてきたのである。いきなり視界は、アイシャドウの濃ゆい垂れ下がった目と、ニタァ笑いの赤い口に覆い尽くされ、俺は一瞬息をするのも忘れるほどにたまげて、喚いた。


「その! デカくて! キモい顔で! 迫るなよ!」


 しかしながら抗議虚しく、西王母ちゃんの着ぐるみに俺はあっという間に押し潰された。どんがらがっしゃん、と通路に置かれていたあらゆる用具が巻き込まれて倒れる大音響が耳を打つ。


 そうしてバックステージの通路に仰向けになった俺の頭上には、いつの間にか見知らぬ男の姿があった。肩まで掛かるウェーブのかかった栗色の髪の男だ。歳は俺と同い年くらい、だが顔の彫りは深く、俺と違ってめっぽう男前。鋭い目付きの瞳は緑色、肌の色も白いから欧米系なのだろうか。


 そしてそいつがこんなことを呟いたものだから、俺は奴が着ぐるみのなかから、まさに今出てきたところだということに気づけたのだ。


「ああ、ようやく出られたよ。窮屈だったな」


 そう言いながら、奴は手にしていた銃の銃身で、着ぐるみの下で動くこともできない俺の頭をひと殴りした。

 後頭部に鈍い痛みが走るとともに、目の前で火花が散る。


 そのとき俺が闇に落ちていく意識の狭間で考えたことといえば――ここまで振り回されておいて、実に馬鹿馬鹿しいことながらも、やはり柘榴が無事かどうかで――。


 つまり、やはり俺はセルゲイの言葉を忘れられないのだ。


 ――柘榴のことを頼むよ――。


 俺は結局、どこまでもあいつのあの台詞に囚われている。

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