第19話 名勝「九寨溝人造自然公園」

 目の前に広がるのは、とても自分が人工の大地にいるとは信じられないような光景だった。


 原生林のなかに浮かび上がる数多の大小の湖。その水はエメラルドグリーンに輝いていて、周りの緑と相まって神秘的な雰囲気を醸し出す。同じくくうに浮遊する滝からは冷たい水しぶきが飛んでくる。その滴の冷たさに、俺は思わず頬を撫でたが、そこは寸分も濡れてはいないのだ。


 俺と柘榴、それに数多の観光客が乗ったトロッコはその驚くべき景観の中をゆっくり進む。皆、一様にヘッドホン、それにサングラスを装着した姿だ。もちろん俺らも。

 ヘッドホンを通じて聞こえてくるのは、観光ガイド案内だ。無理矢理愛想良さげに抑揚をつけた人工音声のエコーは、少し耳に障る。



九寨溝きゅうさいこうは成都の北西四百キロメートルの高地にある、二十世紀に発見された名勝地です。我が九寨溝人造自然公園は、地球上にあるその名勝地を崑崙コロニーの卓越した技術にて宇宙空間に再現したものです。その広さは三百平方キロメートルを誇り、その広大な面積のなかに、地球上の九寨溝を凝縮した景観を再現しています――」


 そんなわけで俺と柘榴ざくろはいま、ロン地区の観光名所たる九寨溝きゅうさいこう人造自然公園パークにいる。むろん、志明ジーミンにより龍地区への潜入を命じられたからだ。

 しかしながらよりによって、市街部ではなく観光名所に足を運んだのは、柘榴がこんなことを言い出したからだ。



「私ね、せっかく龍地区に行くなら、行きたいところがあってね」

「なんだよ、どこだよ」

九寨溝きゅうさいこう人造自然公園パーク

「はあ? あの観光地? 馬鹿野郎、デートじゃないんだぞ。俺らは仕事に行くんだ」


 そうしたら、柘榴は黒いキャンディのような瞳を悪戯っぽく瞬かせて、こともあろうにこんなことを言う。


「私はデートでも別にいいんだけどな」

「ばっか。君みたいなお嬢ちゃんとデートなんかできるかよ。行くならもっと好みのいい女と行くさ」


 すると柘榴がぷくっと頬を膨らました。


「楊さん、つれないなあ。私はもっと、あなたのことが知りたいのに」


 その仕草だけが年相応だ。セリフとの乖離がはなはだしくて、俺はその瞬間眩暈を感じる。


 俺たちは志明の命令を受けた後、作戦会議と称して社食の片隅に陣取っていた。本来なら極秘の話をするような場所ではないが、皆が退勤した後の社食は誰もいない。そのうえ最低限の照明しか灯っていない薄暗さで、密談をするのに最適な空間であった。

 もっともドリンクバーも営業終了しており、俺は渋々自販機で缶飲料を買う。脳が疲れているので、ミルクと砂糖がたっぷり入ったカフェオレにした。


「それはそうと、ちゃんと理由があるのよ。九寨溝人造自然公園に潜入する理由」

「なんだ。だったら早く言ってくれよ」


 俺は熱いカフェオレを喉に流し込みながら不機嫌を隠さずに言う。もう時刻は十時を過ぎていて、いつもだったらとっくに家にいる時間だった。

 すると柘榴がこんなことを聞いてくる。


「楊さん、西王母せいおうぼちゃんって、知ってる?」

「知っているぞ。昨年、独立戦争十周年記念式典を記念して作られたキャラクターだろ。なんというか、名前にそぐわず不細工な仙女の」

「そうそう。でもね、いま崑崙コロニーではティーンを中心に、それがブサかわいい、ってすごく人気なの。で、いろんなキャラクター商品が作られてるんだけど、その販売ライセンス、実は蓬莱ほうらい百貨店が持っていて、それだけ人気があるのに、崑崙こんろんコロニー中で蓬莱百貨店でしか販売されていないのよ」

「ふうん……」


 全然知らなかった。

 こういうとき、俺はとことん世の中の流行りに弱いと痛感する。接客業としてあるまじきことだが、だけどそれがなんだというのか。

 そんな顔になった俺の前で柘榴は語を継ぐ。


「でも、もうひとつだけ販売されている場所がある。そこが龍地区の九寨溝人造自然公園のお土産売場。名目上は公園には崑崙コロニー内外からたくさんの観光客が訪れるから、その客目当てで特別に卸している、ってなってる。でもおかしくない? この我らが蓬莱百貨店がそんな特別なことしているなんて」

「まあ、それはそうだな」

「私ね、思うに、その商売を通じて、蓬莱百貨店と龍地区でなんらかの取引があったと思うのよね。だとしたら、龍地区のマネージャーと外商部員がその取引に関わっているとしてもおかしくないわ」


 やっとそこで俺は柘榴の真意を悟った。なるほど。


「だから現地に行こうってのか」

「そういうこと。他にあてもないしね」


 それからしばらく、俺はカフェオレの缶に視線を落としながら、考え込んでいた。これは一理あるのか、どうなのか。

 しかしながら、他に手がかりがないのも確かだ。


 結局、数分後、俺は顔を上げてこう言葉を放った。

 そして、そのままの勢いで、先ほどから頭に渦巻いている疑問を吐き出す。


「わかった。なら、とりあえずそこに行こう……だが、俺は柘榴、君にも聞きたいことがあるのだが」

「なに?」

「柘榴、君は大納会の夜……なんでバックヤードの事務室に素っ裸でいたんだ? しかも俺に会いたい、なんて、わけのわからないこと言ってただろ、あれはなんなんだ?」


 強い口調でぶちまけてやった。だけど柘榴といえば、動揺する気配はまったくなかった。彼女はボブカットの頭を傾けて、さらりと返す。


「あら? そうだった?」

「覚えてないのか? そのうえ窓から飛び降りただろうが。あそこ十三階だぞ、なんで無事なんだ? 君といえば再会して以来、なにからなにまで謎だらけだ。俺はバディを組むにあたり、その辺をはっきりさせたい。謎だらけの相手とは、仕事したくないんでな」


 とりあえず言いたいことは言ってやった。さあ、これでどう出られるか。

 俺はごくり、と唾を飲み込み柘榴を睨む。


 そんな俺の視線の先で、柘榴はしばし黙りこくって、なにかを考え込んでいた。赤い唇もまっすぐに結ばれ、どうしたものか、といった面持ちだ。

 やがて、その唇が再び、動いた。


「……私にも言いたくないことがあるの。特に楊さん、あなたには」


 その声といえば、えらく寂しげな声音で、俺は思わず心の臓をどきり、とさせる。


「どういうことだ」

「ねぇ……こういうことにしてくれないかな。私、この仕事が終わったら、楊さんと兄さんの墓参りに行きたくて」


 刹那、俺の脳裏に浮かんだのはセルゲイの顔だ。

 そう、あの……クリスマスツリーの前での人の悪い笑顔。


 それを噛み締める及び、なにも言えなくなってしまった俺の前で、柘榴はただ一言こうとだけ言った。


「そうしたら、兄さんの墓の前で、話すわ」


 柘榴はそう夜の社食の闇のなかで微笑んだ。それもまた寂しげで、切なげで――。

 結局俺は――それ以上彼女を問いただすことができなかった。



 それが三日前のことだ。

 というわけでいま、俺と柘榴は龍地区の九寨溝人造自然公園にいる。

 宇宙港からも専用列車が走っているほどの、崑崙コロニー有数の観光地だけあって、なるほど、その景観にはただただ圧倒される。俺はサングラスを通して見る、目の前を通り過ぎる幾つもの湖や滝を言葉もなく簡単の面持ちで鑑賞していた。


 むろん、ここは木星軌道に浮かぶ崑崙コロニー内なので、その光景はサングラスを通して視覚と知覚に働きかけてくるメタバース空間に他ならない。だが広大な敷地のなかをトロッコで巡るので、広大な自然のなかを移動しながら見て回る体感を得られるのが、ここの人工自然公園の売りだ。つまりは五感のすべてを人工的に刺激することで、壮大な自然空間のなかを回遊する感覚が得られるのだ。


 まったくもってよくできた造りで、たとえなにからなにまで作り物とわかっていても、俺は無言で見入るしか術がない。


 鳥の囀りと木の葉がざわめく音がイヤホンから流れてくる。さらには、蒼い風の匂いが嗅覚を刺激する。

 そこに重なるはこんなアナウンスだ。


「多数の湖と滝を擁する九寨溝は、三つの谷から成り立っています。悠久の昔から生い茂る原生林に数々の見どころが点在し、回遊するには数日を要します。この九寨溝人造自然公園では、そのすべてを凝縮してみなさまに短時間で体感していただけます。これぞ自然と人智の奇跡の融合といえましょう。それでは次に巡りますは、明鏡倒映池めいきょうとうえいいけ。こちらは棚田状に二百近くの透明な池が織りなされており――」


 新たに浮かび上がる景観におおっ、と周りの客から何度目かの歓声が上がるのが聞こえる。

 なお、柘榴の声はしない。トロッコに乗ってからずっとサングラスをかけているので、隣にいる彼女の様子を窺うことは叶わない。たぶん、俺と同じく絶景に見惚れているのだろう。


 だが、俺といえば、背中に嫌な感触をトロッコに乗ってからずっと感じている。その感じはどんなに素晴らしい光景が目に入ろうと、けっして消え去らない。


 ――誰かに見張られている気がする。


 俺はさりげなく髪をかきあげるふりをしながら、サングラスの端子に触れる。そして手探りでスイッチを探す。

 ほどなくそれらしき突起が手に触れたので、静かにそれを押す。


 すると、メタバース空間は消え失せ、ただの暗闇が目の前に広がった。サングラスをしながらだからはっきりとはわからないが、かなりのだだっ広い建物のなかだ。そこを俺たちはトロッコで揺られている。


 ――と、するとここに入ったときから見張られているのか……いや、そのもっと前か?


 感覚を研ぎ澄ましたが、それ以上は掴み取れない。

 そうこうしているうちに、トロッコは出口に近づきつつあった。



 建物を出、トロッコを降りれば、途端に瞳を射る陽光が眩しい。

 それとて疑似太陽光なのだが、たっぷり味わわさせた渓谷のメタバース空間から出てきたあとの身には、それすら自然光のように感じてしまう。


「綺麗だったわねえ。地球にある現地はもっとすごいのかしら。でもいいもの見たなぁ」


 隣を歩く柘榴はこんなことを俺に囁いた。しかも身体ときたら俺にぴったり密着してる。これではほんとうに側から見ればデートそのものだ。歳の離れたカップルに見えれば上等だが、いいとこ若い愛人をつれて歩いているおっさんにしか、俺は見えないかもしれない。


 俺も柘榴も当然今日は私服姿だが、俺といえばよれたモスグリーンのジャケットに皺のよったスラックスなのに、対する柘榴ときたら、胸元に大きな白いリボンがついた真っ赤なワンピースときたもんだ。任務中だというのに、えらく気合いの入った服装だ。とても似合っているとは思うが、隣を歩くおっさんとしては落ち着かないことこの上なく、褒める気にもなりやしない。


「あー、けっこう神経集中していたから疲れるものね。なにか甘いもの食べたいなぁ」


 赤いスカートの裾を揺らして歩きながら、柘榴は挙句の果てにそんなことを言い出した。俺は呆れる。


「……君、本当にデートのノリだな……」


 すると柘榴が人差し指を唇に翳して、もう片方の手で前方を指さした。そちらを見れば、そこにはひとつの店があった。


九寨溝きゅうさいこう人造自然公園パーク売店・お土産物売場』


 その店に掲げられた看板を見て、俺はなるほど、と頷いた。

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