正しい犬の愛し方

ふじた いえ

第1話

犬と人間の歴史は、他の生き物と人間の歴史とは全く違う。特に、江戸時代からこっち、犬の立ち位置の変化は激しすぎる。あまりに変化が激しすぎて、多くの人が誤って解釈していたり、その価値観を憎んだり、迷ったりしている。そして、もはやどうやって犬を愛するのが正しいのか、分からなくなっている。


ここで一匹の犬の話をしたいと思う。

名前をリュウという。中型。柴犬程度の大きさだ。 


「同情するなら金をくれ」の決め台詞で、当時、流行っていたドラマに登場する犬に似ていたので、リュウ。

 

だからこれは、その頃の話。


捨てられた仔犬と、小学校低学年の子供。なんというドラマティックな出会いだろう。捨てられた仔犬を囲んだ子供達は、そこで初めて自分たちを取り巻く現実に目を向ける。


「うちは団地やけん、犬は飼われんと思う」

「うちのお父さんは動物アレルギーやけん、無理。コキュウコンナンになる」

「うちは赤ちゃんが生まれたばっかりで、お母さんがいつもイライラしよる」

「うちはリコンして、ボシカテイやけん、そぎゃん余裕はなかと思う」


子供達は、友達がそれぞれに大変な問題を抱えていることを知る。そして、仔犬の命を託すのは誰か良いか、真剣に考える。こんな学びは、ペットショップから買った、リボンがついた箱から現れる仔犬との出会いでは得られない。


「ノリ君は?」


従弟は無口な男である。四十年以上の付き合いだが、ノリは大抵の会話をこの二つで済ませていた。


「うん」

「うんにゃ《いいえ》」


ノリは、友達みたいに大変な理由が思い浮かばなかった。でも、なんとなくふわっと一つ浮かんだので、心の中でそっと呟いてみた。


「ばあちゃんと、お母さんが、いつも喧嘩しよる」


ハードルの選手で女学院まで出た大正生まれの祖母は、博識かつスポーツ万能。体育祭の借り物競争で「眼鏡をかけたお婆さん」というお題に自ら名乗りを上げ、生徒を引きずってゴールしたような人だ。そんな祖母と、五人姉弟の末っ子で、昭和二十年代生まれ、レースクイーンの先駆けで、やんちゃな奥さんの反りが合うわけがなかった。


強烈な祖母と母親に、口を開く前に勝手に意思決定され続けたノリは、無口中の無口になった。


「ノリ君ちは広い日本庭園の庭のあって、弟も、お父さんも、お母さんもおっし、祖母ちゃんももおっし、いえちゃんもおんなるし……」


一緒に暮らしてないのに、何故か年上の従姉である私のことも加点された。


「ね、ノリ君とこで良かよね?」


ノリはここでも、好きな女の子に意思決定されたわけだ。


しかし、ノリはリュウに直ぐ飽きた。ノリの弟も、直ぐ飽きた。だから、私の記憶の中のリュウは、敷地内に張り巡らされたワイヤーに係留されていて、いつもシャーシャーという音を立てながら庭中を走りまわっていた。単にひとりで走り回っているだけだけど、祖母と叔父にお世話されつつ、なんとなく楽しそうだった。


けれどリュウは、時々、脱走した。

そして、直ぐ帰って来た。

あの頃は、首輪も迷子札も、エアタグもGPSもぶら下げてない犬が、街中を闊歩していた。それが普通だった。


名札をぶら下げてなくても、みんなリュウのことを知っていた。


叔父が首輪を変えようと、連結部分を補強しようと、リュウは簡単に脱走した。そして、直ぐ帰って来た。どこに行ってるんだ?その理由は、直ぐに判明した。

ノリの家から坂道を降りた所に、攻撃的な大型犬がいた。リュウは脱走する度に、その犬を「ひと咬み」して帰って来ていた。もちろん、叔父は慌ててそのお宅に謝りに行った。


「よかよか、うちの犬がおちゃっか《意地悪》でやろ」


飼い主さんは笑ってそう言ったらしい。今なら、もっと大ごとになることだろう。

叔父曰く、リュウはこの辺りのボスで、悪い犬をシメて回ってるらしかった。それを聞いた時、リュウは十歳を超えていた。しかもリュウは中型犬。通常、中型犬は十五キロ程度、大型犬は二十五キロ以上をいう。あのやんちゃな大型犬は、リュウよりだいぶ大きかった。もちろん、大きいから強いとは限らない。中型の咬み止め役の猟犬が、百キロ近い猪を仕留めることもある。でも、あんなに呑気で、いつもご機嫌なリュウに、そんな一面があるなんて。そういえば、一度しか来たことがないのに、脱走してうちに遊びに来たことがある。賢い犬だった。賢くて、人懐っこい犬だった。


祖母にじゃれては、

「やっとで立っとっとに!」と、怒られていた。


パワフルな祖母だったが、九十歳を超えたら、流石に「やっと」な状態になった。


リュウが十五歳になった頃、祖母が九十二歳で亡くなった。リュウは顔つきもしょぼしょぼのおじいさんになって、目も耳も老化していた。けれど嗅覚だけは健在だった。葬儀で帰省した私の匂いを嗅いで、リュウは緩やかに尻尾を振った。しばらく会ってなくても、リュウは私を覚えていた。


「ばあちゃんが、死んだ」


社会人になったノリがリュウの傍に蹲って、大声を上げて泣き出した。ノリはロン毛の茶髪になって、身体も骨ばって、背も見違えるように高くなっていた。リュウにはきっと、ノリの泣き声は聞こえていない。リュウがノリの傍に近寄って、髪の匂いを嗅いだ。ノリの外見が変わっても、自分の目や耳が衰えても、リュウには匂いでわかる。あの時、自分を抱き上げた小さな子供が悲しんでいると。


「ばあちゃんが、死んだ」


もう一度、ノリが言った。ノリはおばあちゃんっ子だった。「うん」と「うんにゃ」しか言わないノリが、それ以上の言葉を発して泣くほど、祖母の存在は大きかった。


祖母が亡くなり、四十九日が過ぎた頃、リュウが脱走した。今度はみんな心配した。なぜならリュウは、目も耳も老化しているのだから。


家族総出でリュウの「シマ」を捜索した。


「しょぼしょぼのおじいさんのリュウが、遠くに行く筈なか。きっとその辺におるよ」


けど、どこを探してもリュウは見つからなかった。


「今日は遅かけん、明日、役場やら警察やらに聞いてみっばい」


薄暗くなって、叔父たちはリュウ捜索を一旦、中止した。

みんなの頭には、最悪のことばかりが浮かんでいた。車に轢かれて、死体は草むらに捨てられたんじゃないか。ドブに落ちて死んだんじゃないか。そして、リュウが来てから、今までのことを思い出した。


リュウは、その人生の殆どを、庭に繋がれて過ごしていた。張り巡らされたワイヤーにリードを繋がれ、シャーシャーと走り回っていた。ご飯はみんなの残りもの。最初は可愛がったが、その後は適当にあしらった。みんな口には出さなかったが、同じことを思っていた。


「リュウは、幸せだったか?」


もう、リュウには会えないのか。これが長年、飼った犬との別れか。叔父は後悔で、押し潰されそうになっていた。


ノリは、最初にリュウと出会った時のことを思い出していた。あの時、他の家に貰われて行ったら、リュウはもっと幸せだったんじゃないか。あの時、ちゃんと断らなかったから。あの時、自分がちゃんと発言しなかったから……。


次の日、リュウは意外な場所で見つかった。祖父母と、幼くして亡くなったノリの妹が眠る墓の後ろだ。人生は悲しいことも多いけど、そこまで酷いもんじゃない。 神様はノリから、一度に祖母とリュウを取り上げなかった。もう一度、リュウを愛するチャンスをくれた。



ノリの直ぐ下の妹が幼くして亡くなった時、祖父が言った。

「一族が眠る山奥の墓に入れるのは、偲びない。敷地内に墓を建てよう。そこならみんなの笑い声が聞こえて、寂しくないだろうから」


リュウはその墓の後ろで、散らばったドッグフードにまみれて眠っていた。近くに、ドッグフードが半分入った十キロの袋がある。

あんなに心配していたリュウが見つかったのに、あまりに想定外の再会であったので、みんなの頭はややバグった。


「心配させて、呑気に寝て!」

「こんドッグフードは、どこから持って来たとや!」


けど、目も耳も衰えたリュウには聞こえていない。満腹で幸せそうに微睡んでいる。その顔を見て、みんなの怒りは安堵に変わった。


みんなで手分けしてドッグフードの持ち主を調べた結果、例のやんちゃな大型犬の家だと分かった。


「よかよか!ばってん、あん年寄りのリュウは、どぎゃんして袋ば運んだんだろうか」


リュウがドッグフードを持ち去ったことよりも、十五歳にもなる老犬がどうやって重い袋を抱えて坂道をのぼったのかが話の中心となり、みんなで笑いあった。

リュウは、ドッグフードの袋を咥えて坂道をのぼったんだろう。それより、室内にあったドッグフードを、どうやって持ち出したのだろう。例のやんちゃな大型犬とは師弟関係となり、

「これ、兄さんのお母さんにお供えしてください」

って感じで貰ったんだろうか。……、謎は深まるばかりだ。


それから数日後、リュウが死んだ。

「リュウが死んだもん。通夜も葬式もせんけん。ばあちゃんの墓の傍に埋めてやっけん」と、叔父から連絡があった。そこに埋めると言って、ノリが譲らなかったらしい。ここ数日、リュウはノリと一緒の布団で寝ていた。反対する苛烈な母親にも、はっきりそうすると宣言した。


「ばあちゃんが極楽浄土に行くけん、リュウはお供ばする為に逝ったとやろう」


動物行動学的に考えれば、違った理由が見つかるだろう。けれど私達はそう言って律儀な「忠犬リュウ」だと頷き合った。犬というのは、なんと愉快で愛らしい生き物なのだろう、と。



江戸時代からこっち、犬の立ち位置の変化は激しすぎる。あまりに変化が激しすぎて、多くの人が誤って解釈していたり、その価値観を憎んだり、迷ったりしている。そして、もはやどうやって犬を愛するのが正しいのか分からなくなっている。



でもどの時代であっても、どんな環境であっても、犬の愛は変わらない。

人間のように、犬は他犬との幸せを比べない。

いつも全力で、目の前の私達を愛してくれる。

目の前の、アナタが全てだ。

そのことだけは、はっきりしている。



その愛に値する、

人間でありたい。

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