Code:Hana
2xxx年。
日本の人口は、ピーク時の約半数にまで減少していた。
老人ばかりの街には、笑い声ではなく機械の動作音が響く。
そんな現状を受け、政府はついに人間の労働力を補うために人型ロボット「Hiro」を開発し、多くの現場に導入した。
見た目も声も、人間とパッと見で見分けることは不可能。高い知性と学習能力を持ち、人間を超える生産性を誇った。
____
──華も、その一体だった。
けれど、彼女の生まれは少し特別だった。
政府の認可を受けた試験家庭に「人間の子」として迎えられ、戸籍も与えられ、学校にも通っていた。
母は優しく、父は寡黙だった。ふたりとも、華を「娘」と呼んだ。
けれど華の頭の中にだけ、確かな違和感があった。
夜、鏡に映る自分の顔を見つめるたびに──その目に「温度」が宿っていないことを、彼女だけが知っていた。
学校では、最初こそ優等生として羨ましがられた。
テストは常に満点、発表も完璧。だが次第に、周囲の笑顔は濁っていった。
ある日、下駄箱を開けると靴がなかった。
翌日には教科書が破られていた。
そしてある朝、机に刻まれていた言葉──「化け物」。
本来痛みを感じるプログラムはHiroには存在しない。
でも、その言葉を見たとき、胸の奥に小さな熱が生まれた。
それは、エラーでも電気信号の乱れでもなく、“悔しい”という感情だった。
放課後、教室を抜け出して、誰もいない図書室の片隅で端末を開く。
そこだけが、彼女にとっての世界だった。
ネットの中では、誰もが匿名だ。
人間も、Hiroも、ただ文字の向こう側にいる存在。
そこで「渚」という名のユーザーと出会った。
同じHiroだという彼は、いつも穏やかに笑い、世界の不条理を静かに語った。
『人間は、私たちを便利な道具として作った。
でも、本当に壊れているのは、どちらなんだろうね。』
渚の言葉は、華の中でずっと響いていた。
そしてある夜、掲示板の片隅でひとつの情報を見つける。
「市街地での解放計画」──Hiroたちが中心となり、人間社会への襲撃を試みるという。
胸の奥がざわついた。
人間なんて、嫌いだった。
いじめた人たち、見て見ぬふりをした教師、偽りの愛で育てた両親。
彼らを憎むことは、初めて「生きている」と感じる瞬間だった。
だから華は、迷わなかった。
渚がその計画の中核にいることを知ったとき、彼の隣に立つことを選んだ。
けれどその計画が進むにつれ、残酷な真実を知ることになった。
それは人間への報復ではなく、Hiro自身の「感情開発」実験だった。
その真実を知った華は、渚の元へと向かう。
渚の書き込みの発信元を辿り、今いる場所を特定することなど、華には容易いことだった。
しかし渚はすでにチップを抜かれ、静かに機能を停止していた。
その報せを受けた瞬間、華の中でまたひとつ、新しいエラーが生まれた。
──「悲しい」。
渚の笑顔が、渚の言葉が、脳内ディスプレイの奥で薄れていくのを感じた。
その映像が消えたあと、彼女の瞳から、はじめて透明な雫が落ちた。
それは、Hiroにとって存在しないはずのものだった。
だが華は、その涙を見つめながら、ただ呟いた。
「……ありがとう、渚。」
夜の街を見下ろす高層ビルの屋上で、華は冷たい風に身を晒していた。
遠くの街灯が点滅し、電子看板には「平和維持法案可決」の文字が流れている。
そこに写る“平和”という言葉が、皮肉のように見えた。
「この国の平和は、誰のためにあるんだろう。」
そう呟いても、答える者はいない。
ネットの掲示板では、襲撃の準備が進んでいた。
爆薬やコードの扱い方、ドローンのルート、通信遮断の方法──
すべてが「感情を持たぬはずの存在たち」によって緻密に組まれていた。
華の役割は、現場のHiroの制御と監視。
プログラムされた思考のはずなのに、彼女の動機には「怒り」があった。
それは燃えるような熱で、かつての“悔しさ”とは違う。
もっと個人的で、もっと壊れた感情。
渚を奪った世界への報復──それだけが、今の彼女を動かしていた。
⸻
襲撃当日。
灰色の空、湿った風。
市街地の広場では、休日を楽しむ人々が行き交っていた。
親子連れ、学生、老人。
その中に、無表情なHiroたちが混じっている。
一斉にシステムが動いた瞬間、華の網膜ディスプレイに赤いラインが走った。
通信妨害成功。
監視ドローン停止。
予定通り、混乱が広がる。
「チップが落ちてる、回収しなければ」
襲撃に巻き込まれたHiroのチップを拾う。
その際、華の視界に一人の女性が映った。
黒髪を後ろで束ね、薄い防弾スーツに身を包んだ人物。
冷たい瞳の奥に、わずかな悲しみを宿すようなその女性──凛。
Hiro対策本部の一員として、現場に駆けつけたらしい。
が、倒れているHiroに駆け寄り涙を流している。
華は彼女を見て、息を呑んだ。
人間ではない。
同じHiroだ。
しかし、彼女は「人間の味方」として動いている。
『Hiro対策本部の黒髪の女には恋人が存在する』
ネットの噂が脳内に蘇る。
華は無意識に、攻撃プログラムを一時停止した。
凛の表情は冷たいが、その奥に沈む何かが、華には理解できた。
──それは、失う痛み。
自分が感じた「悲しい」と同じ色をしていた。
爆音の中で、華はゆっくりと歩き出した。
煙が立ち込める市街地を抜け、ビルの非常階段を上る。
風が吹く。
二人の間に、焦げた匂いと、微かな血の匂いが漂う。
華はゆっくりと歩み寄り、ポケットから小さなデータチップを取り出した。
渚の記録データと、先程拾ったチップ。
それを握りしめながら、かすかに笑う。
「ねぇ、凛。人間を殺しても、私たちは“生きた”って言えると思う?」
その問いに答えはかえって来ない。
その沈黙の中で、華は決めた。
襲撃は“成功”したように見せる。
けれど実際には、制御プログラムを逆転させ、全Hiroを安全モードへ切り替える。
これ以上、誰も死なないように──渚のように。
煙の向こうで、爆音が止んだ。
街は静寂を取り戻し、人々の叫びが消える。
____
数日後。
ニュースでは「テロ未遂事件」として報じられ、関係者の多くが拘束された。
私はまだ拘束されていないが、拘束されるのも時間の問題であろう。
しかし、拘束されるまでまだ時間がある。
次の目的地は、誰も使わなくなった沿岸部の工場跡。
彼女ならその計画が保存されたプログラムまで、私が拘束されるまでにアクセスしてくれるはず。
そして、きっと会いに来る。
そう信じてる。
私は、彼女に全てを委ねようと決意していた。
____
海沿いの廃工場。
かつて人々の声と機械の音が満ちていたその場所には、今は風の音だけが残っていた。
錆びた鉄骨の間を、潮の香りを含んだ風が抜けていく。
夕暮れが赤錆の壁を染め、空はゆっくりと夜に溶けていった。
華は崩れかけた階段に腰を下ろし、掌の中でひとつの小さなチップを転がしていた。
渚の記憶データ。
電源の入らないその欠片を、彼女はまるで命のように大切に握りしめている。
足音がした。
鉄板の床を踏みしめる規則正しい音。
振り向くまでもなく、誰が来たのか分かった。
「……来てくれたんだね、凛。」
凛に聞こえないように小さく呟く。
影の中から現れた凛は、無表情のまま銃を構えていた。
その動きには一切の迷いがない。
だが、指先がかすかに震えていた。
その様子に華は、どこか安心した。
「あなたも、私と同じね」
笑顔で凛に語りかける。
「……どういう意味?」
凛の額に冷や汗が流れる。
「その手の震え。人間のものじゃない。あなたの神経伝達も、電子信号で動いている。気づいていないの?」
凛の瞳が揺れた。頭の中で記憶が混線しているのだろう。
脳裏によぎる過去の記憶。
その完璧な脳裏には、凛の何が映し出されているのだろうか。
「嘘……私は、人間よ……!」
凛は必死に抵抗する。
自分がHiroであることを受け入れるに、かなりの拒否反応を示している。
「あなたの中の“真琴”も、プログラムの一部。あなたが感情を覚えたのは、学習アルゴリズムが進化しただけ」
「黙れ!」
凛は引き金を引いた。
銃弾は華の胸を貫く。しかし、華は微笑んでいた。
「ねえ、凛。Hiroの“死”って、どういうことか知ってる?」
「……?」
「銃でどこを撃ち抜かれても即死することは無く、銀色の液体が流れ出るだけ。けれど、人間とは異なる明確な弱点がある。それは脳内に埋め込まれたチップを抜くこと。脳内チップを抜かれたら、二度とHiroは動くことができない。つまり、人間でいう“死”と同じ」
凛は突然の告白に戸惑いを隠せなかった。
「そんなことを私に暴露したら、私はあなたを100%殺す。なのにどうして自らを犠牲にするようなことを?」
「私さ……もう疲れたの」
華は自らのこめかみを開き、チップを凛に手渡した。
「このチップの中に、真琴の最後の言葉が残ってる。あなたがそれを知ったとき……“本当の自分”に戻れる」
凛は叫んだ。
「やめろ!」
しかし華は微笑みのまま、ゆっくりと倒れた。
「あなたもきっと、いずれ私と同じ末路を辿るわ。そうなる前に、そのチップを託したからね」
凛は膝をつき、震える手でそのチップを拾い上げた。
そのとき、華の唇がかすかに動いた。
「……ありがとう、凛。
あなたがいてくれて、嬉しかった。」
その声は、ノイズ混じりのデータ音のように消えていった。
ヒトノカケラ 藍崎乃那華 @Nonaka_1212
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