Last Word Fantasy

脳幹 まこと

繋がっていく言葉


 地平の果てまで続くかのような泥と硝煙の戦場――その中央に、漆黒の甲冑を纏った一人の騎士が立っていた。


 彼の名はなく、ただ畏怖を込めて「黒騎士」と呼ばれていた。

 帝国最強の執行者である彼に課せられた任務は、敵国の重要人物を一人残らず排除すること。その目的達成のために、彼は鏖殺を為そうとしていた。

 感情の摩耗した瞳で、彼は膝をつく最後の生き残りである男、アランを見下ろした。


「最後に言い残すことはないか」


 それは彼が幾度となく繰り返してきた、任務遂行における形式的な問いかけだった。慈悲からではない。ただの儀式だ。

 アランは血反吐を吐きながらも、最後の力を振り絞って顔を上げた。


「……ベアトリスへ伝えてくれ。アキナス、と」


 アキナス。息子の名前だろうか。

 黒騎士は無感動にその名を記憶の片隅に刻み、無慈悲に剣を振り下ろした。


 次なる標的は、国境近くの砦を守る屈強な女騎士ベアトリス。多少の歯ごたえこそはあったが止めるには至らず、黒騎士の刃が彼女の鎧を貫いた。

 同じ問いかけに、ベアトリスは薄れゆく意識の中で、まるで遠い日の思い出を慈しむかのように呟いた。


「セシルへ……伝えて……ストロゥ・ヴェリィ……」


 ストロゥ・ヴェリィ? 妙な響きの言葉だ、と黒騎士はわずかに眉をひそめた。だが、それも一瞬のこと。彼は感傷に浸ることなく、次の目的地へと馬を進めた。


 賢者セシルは、黒騎士の来訪を静かに待っていた。書庫に響く黒騎士の問いに、彼は震える声でこう答えた。


「デニスに伝言を頼みたい……イ、モ……」


 なんだと?


「イモ?」


 最後に言い残す言葉、2文字でいいのか。それは言い残したことになるのか。

 うめき声ですらもっと意味があるだろう。

 思わず問い返すと、セシルはしみじみと頷き、口の端から血を流して事切れた。どうやら毒薬を含んでいたようだ。


 黒騎士の眉間の皺が、さらに深くなる。


 そして、伝言を受け取った商人デニスは、命乞いも虚しく追い詰められ、最後に叫んだ。


「クソォ! あっちに来たら、覚えてやがれェ! せいぜいエドワードに伝えるがいいぜ、モズク、だとなァ!」


 ここで、黒騎士の頭の中で何かが繋がった。


(アキナス → ストロゥ・ヴェリィ → イモ → モズク……)


 まさか。黒騎士は自身の疑念を打ち消すように首を振った。

 国家の存亡をかけた戦いのさなかに、断末魔でしりとりだと?

 ありえない。これは単なる偶然だ。


 しかし、その疑念は確信に変わる。次の標的である老将軍エドワードは、孫娘フィオナの名を呼び、苦悶の表情で言葉を紡いだ。


「愛しいフィオナに伝えておくれ……クッ……パァ……ッ!」


「……続きは『ア』か?」


 黒騎士は、ほとんど無意識に問いかけていた。するとエドワードは最後の力を振り絞り、カッと目を見開いた。


「いや……だめだ……! そこをなんとか……『パ』で頼む……!」


 そう言い残し、老将軍は崩れ落ちた。

 もはや任務への忠誠心なのか、それともこの馬鹿げた遊戯の結末を見届けたいという奇妙な好奇心か。黒騎士は律儀にフィオナの元へ向かった。


 父の訃報と伝言を聞いた少女フィオナは、顔を覆って泣きじゃくる。

 相手が子供であっても黒騎士の冷徹さが変わることはない。容赦なく彼女に剣を差し向ける。


「パパ……」


 その言葉に、黒騎士は初めて、この連鎖の中で人の温かみに触れたような気がした。だが、フィオナは涙を拭うと、きっぱりと言い直した。


「……いいえ、グレースに伝えてください。『パセリ』と」


 強い意志を持った瞳を向けながら、彼女は懐に持っていたナイフで自分の胸を突き刺した。

 血を流しながらもうつ伏せに倒れていくフィオナ。


 黒騎士は天を仰いだ。


 ああ、そうか。食べ物縛りでもあるのだな、これは。

 だとするとアランが述べた「アキナス」は秋茄子あきなす。息子でもなんでもなかった。

 

 彼の心にあったわずかな感傷は、深い呆れへと変わっていった。


 それからの彼の任務は、異様なものとなった。

 リンゴ、ゴーダチーズ、ズッキーニ、ニラ、ラザニア……。

 敵国の要人たちは、まるで古くから伝わる神聖な儀式のように、命を懸けて食べ物しりとりを繋いでいく。

 黒騎士はもはや絶望の象徴というより、死神の顔をした小間使いだった。


 そして、運命の日が訪れる。ある村で追い詰めた男が、次に続く言葉として叫んだ。


「……キナコモチ!」


 黒騎士の動きがぴたりと止まった。彼の記憶は正確だ。数週間前、別の街で仕留めた男が、同じ言葉を言い残していた。

 しりとりは続いている。「キ」から始まり「チ」で終わる食べ物は他にもあったはずだ。キムチとか。黒騎士は、ほとんど無意識に、そして長年染みついた几帳面さから指摘してしまった。


「それはルール違反だ――『キナコモチ』は既に出ている」


 指摘された男は「しまった」という顔で凍りついた。


「どうした」


 次の瞬間、黒騎士の足元の地面が不気味に脈動した。そしてその現象はこの村だけではなかった。黒騎士がこれまで訪れたすべての街で、彼が剣を振るったすべての場所で、土が盛り上がり、草木が吹き飛び、墓石が砕け散った。


 そして、アランが、ベアトリスが、セシルが、デニスが、エドワードが、フィオナが、グレースが――これまで彼が手にかけた者たちが――腐敗した肉体を引きずりながら亡者として蘇った。ついでに瞬間移動もした。彼らの濁った瞳は、一直線にルールを破った男に向けられていた。


「「「「ルール違反ハ、許サナイ」」」」


 地獄の底から響くような合唱と共に、亡者の群れが男に向けて殺到する。


 それはもはや戦いではなかった。人の渦による一方的な蹂躙だ。哀れな男はもちろんのこと、彼の隣りにいた帝国最強と謳われた黒騎士ですら、無限に湧き出る亡者の波に飲み込まれた。斬っても斬っても瞬時に再生し、力任せに襲いかかってくる。鎧は引き裂かれ、肉は喰いちぎられ、彼の意識は急速に闇へと沈んでいった。



 全身を貫く激痛の中、黒騎士は地面に倒れ伏していた。亡者たちは、彼の周囲で静かに佇んでいる。なぜか、とどめを刺そうとはしない。

 彼らはただ、黒騎士が言葉を紡ぐのを待っているかのようだった。


「くッ……フフ……」


 皮肉なものだ。常に言い残す言葉を問いかける側だった自分が、今、それを託す側になろうとは。

 黒騎士の脳裏に、これまでの戦いが駆け巡る。

 帝国はどうなるだろうか。自分が敬愛する王よ。

 我が同士――赤騎士、青騎士、緑騎士、ピンク騎士、白騎士よ――頼む――


 最後の力を振り絞り、途切れ途切れの息で、彼は言葉を紡いだ。しりとりは確か「キ」から始まる食べ物だったはずだ。

 しかし瀕死の彼が辛うじて覚えているのは、ここまでだった。


「……キ…ン…カ……」


 一部の亡者が、起ころうとする事態を察して、黒騎士の首を刎ねにかかった。


 しかし、全ては遅かった。


「ン」


 その瞬間、太陽は月に隠れ、世界から音が消えた。


 黒騎士が「金柑きんかん」の名を告げた途端、彼を取り囲んでいた亡者たちが一斉に天を仰いだ。

 彼らの口から、声にならない断末魔の叫びが上がる。肉体は砂のように崩れ、塵となって風に消えていく。


 静寂が戻った戦場に、ただ一人、黒騎士だけが横たわっている。彼の瞳から、最後の光が失われていく。


 こうして魂のリレーは、久遠ゴールへと達した。

 観客も走者も、既に残ってはいない。

 後に残ったのは、金環日食により薄暗い空と、一面瓦礫と化した大地と、そして誰に届けられることもない最後の伝言だけだった。

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