俺の推しは死んだ

江藤ぴりか

俺の推しは死んだ

 俺の推しは今日、死んでしまった。


 暑さも落ち着いた十月のある日。

 満員電車に押し込まれた俺は、スマホを光らせ、SNSの巡回をしていた。

「#雨宮サキメ」

 トレンドに映る文字に、親指が動く。

 AIの要約は期待を裏切るものだった。


「雨宮サキメ、活動終了。病状は非公開。今後の更新は予定されていません」


「ウソだろ……?」

 俺の呟く声を気にするものはいない。他人の言動なぞ、害がなければ無視される。

 公式アカウントを何度も何度も更新しても、他の子の投稿で埋まるばかり。

 画面から目を離し、窓の外を見てみる。いつもの景色は灰色に見え、世界に彩りがなくなっていた。

 次々にビルが、街が流れていく。



 午前中は仕事に身が入らなかった。

 PCの画面には彼女の笑顔。手を振るさよならは俺からの別れを告げているようだった。

 上司の声も彼女の声に変換され、まるでサッキーに叱られているみたいだ。

 そして、昼休みのチャイムに俺は会社から飛び出した。


 近くの公園のベンチで昼飯もとらず、スマホとにらめっこ。画面に並ぶ「#サッキーかわいい」のタグとともに過去の自分のポストたち。スクロールの手が止まる。

「ヒロさん、いつもありがとう。歌枠って興味あるかも。そろそろ企画してみよっかな?」

 大きな目がまばたき、フリルが揺れ、胸元も彼女の動きに合わせて小さく跳ねる。俺がコメントを読まれた日の切り抜き動画だ。十秒足らずの動画を何度も再生する。

 活動休止になる前日の、貴重な思い出だ。

「いつもありがとう」

 活動当初、一万人にも満たない彼女だったが、今では五万人ほどの登録者数を誇るVチューバーだ。休止しても四万人台を維持している。俺たちが彼女の魅力をずっと伝えてきたからだ。

 彼女の成長が俺の支えだった。――なのに。

「俺の推しは、今日死んだんだ」

 目頭を押さえる。三十を過ぎた男が、公園で泣くわけにはいかない。OLたちのうわさの的になるだけだ。


 昼に買ったコンビニのホットスナックのジャンクな味は、今日は感じられない。おにぎりは夜に回すか。なんだかお腹がいっぱいで喉を通らないんだ。

 十二時半。会社に戻って、外回りの準備にかかろう。仕事に私情は持ち込むな。女はいいな。泣いたら助けてくれるんだろ? ……俺は、誰に見てもらえばいいんだ。



 誰も待っていない部屋は少し湿っている。電気をつけ、カバンを放ってベッドに身を預けた。労働の疲労をスプリングの軋みが受け止めてくれた。

 俺はジャケットを脱いで、ネクタイを緩める。冷蔵庫の麦茶で喉を潤したところで、スマホを取り出すのを忘れていた。ジャケットの内ポケットに手をかけ、光るロック画面に驚愕する。


「雨宮サキメ:ありがとう」


 ありえないDM通知だ。

「すすすす、スクショ! ……あっ」

 音量ボタンと電源ボタンの同時押し。通知は消えた。

「本文さえ、確認できなかった……」

 ため息が画面にかかって曇る。

 あのDMはなんだったんだ。サッキーが、俺に? 夢かうつつか。いや、疲れているんだ。クマがすごいですねーと後輩ちゃんが言ってたし。でも、操作ミスで消してしまっていただけなら? ああ、死んでも推しは俺の心を揺さぶってくる。

 Zを開き、DMのボタンを押す。少しの読み込み後、出てきたのは業者と思われるDMばかり。

「エロ垢で釣られるバカなんて、今どきいねぇだろ」

 サッキーの文字を探すも、徒労に終わる。今日一日で痩せた気がする。


 ――その時だった。

 画面の上のポップアップ通知。

「雨宮サキメ:歌枠するよー」

「――まさか!」

 出てきた通知を押す。配信画面が映し出される。

 懐かしいフリーBGM。右に左に揺れる彼女の笑顔が咲く。サッキーは左端を見ている。きっとコメントと同接を確認しているんだ。

「みんなー! 今日も一日、おつかれさまー。今回はリクエストに応えて、歌を歌ってみるよー! 今日のためにいっぱい練習してたから、最後までよろしくねー」

 間違いなく、彼女の声だ。

「サッキー! ああ、コメントしなきゃ」

 静かなコメント欄。同接数1。俺のためだけに配信してくれている。

「待ってました! ありがとう」

 コメ欄で盛り上げるのが、俺の役割だ。彼女の笑顔が枯れないように。俺が、俺が――。



 スズメが元気に鳴いている。朝日がまぶたを焼いて、ひりついている。

「あのまま寝落ちしていたのか……」

 スマホのバッテリーは切れている。枕の横で充電ケーブルが寝ていた。

「とりあえず、会社で充電するとして……」

 そう言いながら、ケーブルを接続し、一時的に充電する。


 洗面台の鏡に映るひげ面のさえない男。今日はいつもより吹っ切れた表情をしている。顔を洗い、ひげを剃り、髪を整えた。うん、なんだかいつもより顔色が良いような気がする。

 スマホの電源を入れ、朝食代わりの昨日のおにぎりを頬張った。

 画面を見ると、通知欄に「雨宮サキメ:ありがとう」と表示されている。DMでもなく、配信通知でもないなにか。

「……見てくれていたんだな」

 画面を消して、ジャケットの内ポケットにしまう。

 俺は知らなかった。しまった直後、スマホが光り、「配信予定:明日二十二時」と表示されていることを。

 それは俺が見ていないところで消えて、もう二度と表示されることはなかった。


 さみしさは秋の風とともに去っていくだろう。冬が来ても、俺はもう大丈夫だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の推しは死んだ 江藤ぴりか @pirika2525

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ