革靴

ナカメグミ

革靴

 身長180センチ弱。頭が小さく、手足が長い。腰高。オーダーメイドの細身のスーツが、その外見を引き立たせる。足元には、磨き上げた革靴。黒か、こげ茶色。スーツの上着を脱いでワイシャツをまくりあげると、週に2回はスポーツクラブで鍛えているという、筋肉質の腕が見える。  

 その男は、自分が男性として魅力的なことを知っている。


 私はその男が、大嫌いだ。


 新聞記者は、比較的、垢抜けない男性が多かった。今は男子大学生向けにある、就職用の身だしなみレッスンは、当時はなかった。そもそも新聞記者は、①自分で文章を書こうと思うくらいだから、相当な文字好き、②当然、読書量は膨大で、知識も豊富、③世の中を正したいという、相応の正義感を持っている。この3要素を満たして入社する。ファッションへの優先順位は、総じて低い。なお、3要素を満たして、かつ容姿やファッションセンスに自信がある人は、テレビ記者やアナウンサーを目指す。


 新聞記者は、所属する部署によって、性質もかなり異なる。

 

 政治部(特に東京)は、国の中枢を動かす権力を持つ政治家のまわりにいるから、自分も特別な人間だと思い込みやすい。公共放送のテレビニュースに、ボイスレコーダーを持って政治家のまわりを走る姿が映ると、家族も喜ぶ。首相の外遊の同行取材で、政府専用機に乗ろうものなら、一生自慢できる。ただし、睡眠時間の極端な短さに耐える、体力が必要だ。

 経済部の記者は、財界の重鎮、企業の幹部を取材することが多い。スーツや靴が汚くては、軽んじられる。失礼にあたる。一緒に会食することも多いから、料亭などに詳しい。比較的、数字に強い。

 社会部の取材相手は、政治家や財界人ではない。警察や、さまざまな状況の元で暮らす一般の人だ。警察官は、規律や礼儀を重んじる公務員。高級スーツでは反感を買うし、不規則な勤務ゆえに、記者のスーツも自然とくたびれる。事件、事故や災害の被害に遭われた方を取材するときにも、高級スーツは不適切だ。


 東京で長年、政治部にいたその男は、中でもプライドが高いことで有名だった。社会部のデスク(記者の原稿をチェックする人)が相次いで体調を崩し、人事の巡り合わせで、私が所属する社会部のデスクとしてやって来た。


 その男は会社に着くと、スーツの上着をハンガーにかける。革靴を脱いで、机の下に置く。常備しているサンダルに履き替える。革靴のままだと、足が窮屈で、靴も臭くなる。そして、長い脚を伸ばして机の上にのせ、社内を見渡す。原稿を呼んで、たまに罵声を飛ばす。


 男は時折、妻が作った弁当を持ってきて、職場で食べる。

「わあ。その箸、素敵ですね」。どこかの私大のミスコンで、ファイナリストに残ったことがある女性記者が、すかさず褒めた。正解だ。色とりどりの弁当を褒めても、妻を褒めたことになる。その男の持ち物には、すべて意味がある。箸を褒めるのが正解だ。

「ああ、これステンレスなんだ。長く使えて、カビが生えない」。

木目が美しい箸箱から取り出した箸は、銀色に光った。弁当を食べ始めた。


 男性は、若くて美しい、または可愛らしい、自分に優越感を与えてくれる女性が好きだ。その逆もまた然り。中高年の女性は、若くて美しい男性に調子を合わせて、好かれようとする。不器量で若くもなく、器用にふるまえない私は、完全に彼に嫌われていた。態度から、口調から、それがわかる。


 「ちょっと」。

 ある日、男から呼ばれた。机の真正面に立つ。

「あれ、断っておいたから」。編集局長賞のことだ。少し前、私は教育面で連載を担当した。当時、問題になっていた「学級崩壊」。小学校などで、教師の指示に子供たちが従わず、立ち歩いたり、騒いだりして授業が成立しない現象だ。その連載が、編集局長賞の候補に上がっていた。出世など望んでいない。ただ、自分の仕事が認められたという証は、正直言って、欲しかった。

「ほら、社会部が2回も続けてとったら、角が立つから」。

前回の編集局長賞は、ある企業の食品偽装を暴いた社会部内の取材チームが受賞していた。

 そう、来たか。

 だれに、どう、角が立つのか。

言葉を飲み込み、「わかりました」と礼をして、席に戻った。

 編集局長賞は、政治部が受賞した。著名な老政治家の一生を、政治史とともにまとめた長期連載だ。


 社報に編集局長賞が載った帰り道。私は、自宅近くのよく行く店で、好きなものを買い漁った。ストレスが溜まると、この店に立ち寄る。色とりどりのあふれる品物が、私の怒りを鎮めてくれる。

 

 「いい店だね」。その男は、幹事役の男性記者に満足気に告げて、上座の席に着いた。高級な和食居酒屋の、20人以上が入る個室。今日は社会部の忘年会だ、床の間には、掛け軸と季節の花が飾られている。その男は、しつらえの良い店が好きだ。幹事役の司会で宴席が始まり、1年の仕事の鬱憤を晴らすべく、みんなが酒を飲み、食った。その男も、上機嫌で日本酒を飲む。会は2時間半ほどで、お開きとなった。


 「ああ、俺、履くのに時間かかるから。先にいいよ」。店の玄関で、彼は部下たちに場所を譲った。石張りの床に、黒の革靴を置く。ブリーフケースから、以前に話していた自慢の品を取り出す。真ちゅうの金具が付いた、携帯式の、こげ茶色の靴べら。素材は、農耕馬の臀部の内側からとった革のダイヤモンド・コードバンだそうだ。

 私に臀部を見せてかがむ、無防備な首の右側に、私は大好きな店で買ったそれを、右手で握って勢いよく刺した。

 長さ22・5センチ。環境にやさしい竹素材。百均で買った箸1膳を折った、切っ先だ。

 竹素材の箸は、女性の力でも簡単にふたつに折れる。1本を折ると、どちらの先も、ギザギザの切っ先になる。1膳は2本。だから4つの切っ先。


 片方の革靴を履かぬまま、長身の彼は前に倒れた。首に右手を伸ばしながら、体をくの字に曲げて、じたばたと足掻く。グレーの床に、赤っぽい色が広がっていく。


 「100均にいらっしゃったことは、ございますか?」

 

 私はその男に、礼を尽くして敬語で言った。

 (了)






















 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

革靴 ナカメグミ @megu1113

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説