あの日の短冊と2回目の初恋

晦 雨夜

第1話 もしもう一度彼女に会えたら、その時は……

冬を象徴するように、外では雪が降り積もる2月中旬。

推薦で一足先に受験戦争から抜け出していた俺――陽向蓮ひなた れんは、4月からの大学生活に向けて実家の部屋で少しずつ断捨離や荷造りを始めていた。

ふと目を向けた先に佇む学習机には、マーカーがはみ出して色がついていたり、彫刻刀で削ってしまった傷が残っていたりと、まさに歴戦の机と言える様相だ。

小学生のころから使い続けた学習机ともお別れかと思うと、少し哀愁に浸ってしまうのも無理はないだろう。

引き出しの中にも懐かしいものがたくさんあったよなと、そう考えながら開いてみたところ、奥の方に何やら見慣れぬ紙切れがあった。


(なんだこれ?

 昔描いた絵が恥ずかしくて隠したとか、そんな類のものか?)


内容は全く思い出せないが、とりあえず紙切れを取り出してみる。

どうも下半分が千切れて無くなっているようだが、細長くて上に小さな丸い穴が開いているこの形は、いわゆる短冊というやつではないだろうか。


(なんでまたこんなものが……?)


そう思って裏面を見てみるとそちらには文字が書いてあり、正しくは今見てる方が裏面だったらしい。

改めてその短冊の表側を見てみたところ、「もしもう一度葵に会えたら、その時は」と書いてあった。

残念ながら下半分が無いせいで続きはわからないが、この字は間違いなく幼少期の自分の字だ。

これはいつ、何のために書いたのか。

気にはなるがどうにも思い出せず、一旦気分転換に他の荷物の整理に戻ることに。


そんな折、タイミングを見計らったかのように、押し入れから小学校の頃の卒業アルバムが出てきた。

懐かしいなと思いながら開いてみると、かつての幼い友人たちが元気に遊んでいる写真がずらっと並んでいた。

これは授業参観、あれは運動会などと、イベントを思い出して次々とページをめくる手が、ある写真を見た瞬間に止まった。

その写真は、小学5年の頃に引っ越しで県外に行ってしまうクラスメイトのために、クラスで七夕会をした時のものだ。

そして思い出す。

あの千切れた短冊は、引っ越す葵に向けて書いたものの笹の葉に飾られることの無かった、幼き日の俺の気持ちだったと――




さて、少し昔話をしようか。

当時俺の通っていた小学校は、1学年1クラスで平均25人ずつ×6学年で全校150人程度という、いわゆる田舎の少人数タイプだった。

もちろん良いこともあり、学年問わず顔と名前は一致するし、6年間ずっとクラスメイトが変わらないから基本的に仲も良かった。

そんな小学校時代のクラスメイトの一人が水瀬葵みなせ あおいだった。

天真爛漫という言葉がよく似合う少女で、誰にでも明るく優しく接していた記憶がある。

誘われれば外で運動もするし、一転して教室で静かに読書してる時もあった。

そんな彼女との学校生活がずっと続くと思ってたのだが、残念ながら現実はそうじゃなかった。

5年生のある日の朝、担任の先生からクラス全体にこんなお知らせがあった


「突然ですが、葵さんは今年の夏休みに引っ越すことになりました。

 一緒にいられるのは夏休み前の7月終わりまでです」


それまでずっと、葵のことはクラスメイトの一人って認識だったし、多分向こうも同じだったと思う。

それが変わったのは、確か5年生の6月頃だったか。

ある日の帰り、下駄箱で靴を履き替えて家に帰ろうとした俺は、葵が校舎裏に向かって歩いていくのを見つけた。

何をするのか気になり、少し離れて後を追いかけてみたのだが、その先で葵は……泣いていたのだ。

葵は柱の裏にいたこともあり、離れた俺の場所からでは実際の姿は見えなかった。

それでも、時折鼻をすするような音と、何より彼女の言葉がその事実を物語っていた。


「……なんで……どうして……っ。

 ……やだ……いやだよ……なんで……ひっこさなきゃ……なんないの……。

 ……まだ……みんなと……いっしょに……いたいのに……っ」


いくら幼い俺でも、この場で声をかけるべきではないことだけは直感的にわかった。

これは本来見ちゃいけないものだったんだと、なるべく音を立てずにその場を後にした。


流石にあの光景は一晩寝た程度じゃ忘れられるはずもなく、何より葵の本音を知ってしまったからこそ、何かしてあげたかった。

そう考えた俺は、翌日担任の先生に相談したんだ。

夏休みに引っ越してしまう葵のために、クラスで七夕会をやらないかと。

このとき先生が「もちろんだ、ぜひやろうじゃないか」と悩むことなくOKしてくれた姿は、当時の俺にはとても格好良く見えた。


善は急げと言わんばかりに、早速この日の帰りのHRで先生は七夕会のことを発表した。

流石は小学生と言うべきか、通常の学校生活ではまずやらないイベントに対し、反対する人は誰もいなかった。


俺はというと、別に発案者だからと自慢したいわけでもなかったし、むしろそれでいじられるのも照れくさいから、さっさと帰ろうとしていた。

しかし、下駄箱に着いたところで葵に呼び止められた。


「……あの、蓮君。

 ……その……さっき先生からね、七夕会は蓮君のアイデアなんだよって聞いて……。

 私が引っ越しちゃうからその前にって言ってたって……」


「……いや、ほら……。

 何もないまま引っ越すなんて、悲しいじゃん。

 折角ならクラスみんなで楽しいことして別れた方がって、ただそれだけだよ」


「……うん。

 ……私もね、みんなとの楽しい思い出、もっと欲しかった!

 だからね……あのね……」


そう言って一呼吸置いた葵。


「ありがとう!蓮君!」


この時だ。

そう、この時だったんだ、俺の……絶対に叶わない初恋は。


それから先のことはあまり覚えてない。

心臓が早鐘を打ち続け、まだ6月だってのに体がやけに熱かった。


次の日から俺の日常は変わってしまった。

やけに葵のことを目で追ってしまうし、ふと目が合うと勝手に嬉しくなる。

……別に向こうはこっちに特別な感情は無いのに、本当におめでたいよなって、今ならわかる。

けど、あの頃の俺にとってはそんな些細なことですら日常が輝いて見えるほどだった。

もしかしたら、1か月と経たずに終わりを迎えることが決まっている、そんな儚さ故だったのだろうか。




そんな日々を過ごしながら、気が付けば七夕会の日になっていた。

まぁ、七夕会といっても所詮は小学生のクラス内イベント。

特別なことはなく、とにかくみんなで遊んで遊んで遊びまくっただけだ。

そして最後に、先生の持ってきたちょっと小さい笹の葉に、一人一つ短冊を結ぶ時間があった。

実は、書く内容に関しては事前に話し合いで決めていて、みんな自分の願い事じゃなく、葵に向けたメッセージを書いてあげようって流れになってた。


……ここまで話せばもうわかるだろう。

俺の机の引き出しにあった短冊はまさにこの時書いたものだ。

結局この時の俺は本心を書いて結ぶことはできなくて、何かありきたりな応援の言葉を書いたはずだ。

そして、笑顔と涙の入り交じった顔で、俺たちは1人の仲間を見送ったのだった。




それからは小学校卒業、中学校生活、高校生活と人生の節目ごとに自分の日常も忙しくなり、何時ごろからか葵のことを思い出す機会も減っていた。

今だって、短冊とアルバムが無ければ、これほどはっきりとは思い出していないだろう。

それでも一度思い出してしまうと気になるのが人という生き物。

どうせなら入学式までの期間で、何か葵の情報を探してみてもいいかもしれない。

……まぁ、仮に分かったとして、会いに行くのかって言われると正直何とも言えないけど。


さて、そうと決まれば早速動き出したいところだが、そもそも何をすべきなのだろうか。

残念なことに、俺は高校受験もスポーツ推薦で進学してしまったために、小学校~中学校まで一緒だった友人の大半と離れてしまった。

加えて俺の場合、スマホを持ち始めたのは高校からだから、中学までの友人達の連絡先もほとんど知らない状態である。


(マイナスなことばかり言っても仕方ないし、ダメ元で数少ない友人たちに聞いてみるか)


片手に収まる程度の数しかいないとはいえ、奇跡のような確率で何か起こればいいかと思い、友人たちに「小学校のころ引っ越した子ってどこに引っ越したか知ってる?」とメッセージを送ってみる。

案の定と言うべきか、結果は火を見るより明らか。

「知らない」ならまだマシで、「そんな子いたっけ?」と言い出す奴もいた。

……まぁ、俺だってついさっき思い出したようなものだから、人のことは言えないんだけど。


ずっと現実逃避してても仕方が無いし、現実的なことを考えよう。

まだ高校生である俺にできることって何だろうか。

まず、本人の連絡先は知らない。

当時のクラスメイトの連絡先もほとんど持ってない。

小学校の頃の担任の連絡先なんて、当たり前だけど俺のスマホには入ってない。

SNSだったらと思い、試しに葵の本名を入れてみたけど、何も出てこない。

当たり前だが、今時本名でSNSをやる奴も少ないだろう。


(……あれ?

 もしかして、実は俺の状況って詰みなんじゃね?)


そう、普通の高校生にできることなんて、たかが知れている。

お金もなく、車も乗れず、人脈もない。

過去の初恋を思い出して、まるで今またその熱が再燃したかのように意気込んでみたものの、空回りに終わってしまったわけだ。

本当に会いたいならもっと頑張れる?

諦めるのが早い?

そう言われるのもわかるんだけど、こればっかりは俺個人じゃどうにもならないのが現実ってものだ。


そんな、架空の傍観者Aに対して文句を言いながら、部屋の整理に戻ることにした。

ただ、どうしても諦めきれなかった俺の意地……というよりは、このどうしようもない現状に抗った証を何か残したかった。

だから俺は、季節外れの七夕会を一人でやることにした。

もちろん笹の葉は無いから、あの半分に千切れた短冊に続きの言葉を書き足した後は、栞代わりに卒アルの七夕会のページに挟んでおくのだ。


「もしもう一度葵に会えたら、その時は」


今の俺が改めて祈るとしたらなんだろう?

実はあの時好きだったんだと伝えたいのか?

いや、それは違う気がする。

多分だけど、今言われてもあっちも困るだけだろう。

じゃあ何か。

葵のおかげで俺は……そう、初恋を知った。

毎日がキラキラとして鮮やかに色づくような体験ができた。

俺がすべきことは、俺の好意を押し付けることじゃない。

ありきたりで終わるはずだった、そんな俺の人生を変えてくれた葵にだから言えること。

そう考えると、書くべきことは多分、これしかない――




「最大限の感謝を伝えたい」




チュンチュンと鳴く鳥の声を、半覚醒中の俺の耳が拾う。

目を覚ました俺の視界に映るのは、引っ越したばかりで見慣れない部屋の景色。

二度寝の誘惑にどうにか抗いつつ、大学へ行く準備を始める。

流石に入学式で遅刻するわけにはいかない。

大学初日ということで、ちゃんと20分前には大学に到着し、慣れないスーツ姿で入学式に臨む。

眠たくなるようなお偉いさんの長話を聞き流しながら周囲に目線を向けるが、もちろん知り合いはいない。

ここからの4年間、どんな風に過ごしていこうか。

気の合う友達はできるだろうか。

レポートってやつは俺でもちゃんとできるものなのか。

そんな近い未来に意識を向けていたら、どうやら入学式も終わるようだ。

引き続き校内に連れられ、明日からの授業に使うテキストの配布や、大学特有の単位に関する話を聞く。

そうして入学初日の説明を聞き終えたところで今日は解散とのこと。

無事に入学式が終わったと母親にメッセージだけ入れながら、明日からのことを考えていたところで声をかけられて足を止める。




「……あの……もしかして、蓮君?」




わざわざスポーツ推薦で県外の大学に進学したのに、初日から俺の顔と名前が結びついて声をかけてくる人なんていただろうか。


「……あぁ、確かに蓮は俺の名前だけど……」


そういいながら振り返った俺の目の前には――




とても懐かしい雰囲気を身に纏いつつも、記憶の中より幾分か大人びた、初恋の子本人がいた。


目の前の子が葵だと認識した途端、まるであの時に戻ったような感覚になる。


(……ったくなんだよ。

 これじゃあまるで、俺が初恋をしたときと同じじゃねぇか)


懐かしい鼓動の速さと体の熱さに、内心で自嘲気味な笑いが出る。


「やっぱりそうだ!

 懐かしいね~、小学校以来だったよね?」


俺の内心なんてお構いなしにそう言って笑う彼女は、やっぱり記憶の中の葵のまま。

いや、実際にはたくさん変わってもなお、あの天真爛漫な部分が残り続けたんだろう。


そう思ったら、俺も葵に変わった部分を見せたくなった。

だから、まずはあの短冊に報いるためにも感謝を伝えてみよう。

そして俺の初恋を終わらせたら、そこから先は――




2回目の初恋を始めようじゃないか。

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