夏休みが始まる前の短期間だけ帰国子女がクラスに参加することになり、普段にはないシチュエーションの当事者となった教師の視点で物語が進行します。
教師と帰国子女の少年、二人の対話を追う中で、教育現場で形骸化してしまっていたり、見落とされていることについても丁寧に掘り起こされているように感じました。
大切に思うあまり水をやり過ぎれば土が詰まり、水を吸い上げられずに根が腐ってしまいます。成長に必要なのは水を吸い上げ、それを発散すること。返せば、発散なくして水は吸い上げられません。
そのことを理論よりもずっと速く直観的に理解している少年が、大人が用意する鉢の中で埋もれもがいているのです。そのもどかしさに気づいた教師は、学習の基盤となる土壌を改良するとともに、少年の中に滞っていた水を大気へと放出する手ほどきをします。
そのささやかな時間は、ずっと締め切っていた教室の窓を久しぶりに開け放ったような開放感を感じさせてくれました。
ゆだるように暑かったこの夏、少年は屋外の草木のようにグイグイと枝葉を伸ばすことができたのでしょうか。
小学校の教室という狭い空間の中で、他の子よりできないこと、遅れてしまうことは、どんな事情が背景にあろうとも、子どもの心を抉る出来事になってしまう。
そのことに、私は鈍感になっていました。
この作品では、そんな傷ついた少年の心に気づいた教師が、ゆっくりと水や肥料を注いでいくことを教えてくれます。
ここで大切なことは、教師が一方的に注ぐのではなくて、少年に自分自身へ注ぐ方法を伝えて、一緒に注いでいった姿だと思いました。
一方的に注ぐだけでは、少年が一人になった時に困ってしまいます。
最初から少年に任せるだけでは、上手くできないかもしれません。
一緒に注いでいったからこそ、少年はその後も自分に注ぎ続けることができた。
そんなラストがとても温かくて優しくて、胸が熱くなりました。
是非、多くの方に読んでいただきたい作品です。お勧めです!
海外赴任している家族の少年が、三週間だけ日本の学校に入ります。受け入れる教師は気が重い。
それでなくても、忙しい日々に、別業務だからです。
帰国子女とは聞こえが良いのですが、母国語に関していえば、難しい問題が孕むことがあります。
単純に二カ国語を話せたらなどと大人は思いますが、それほど単純な問題でもないのです。
母国語とはその文化背景があって、言葉の問題だけではないことが多く。二カ国でちがった言語を学んだ結果、自分の軸足がどこにあるのかわからなくなる。そんなあやふやな精神状態になりがちです。
とくに日本語は、英語、フランス語やドイツ語といった、語源がローマ時代という類似の言葉とはちがって、文法的にも、まったく異なる言語なので余計にそういった問題が起きやすく思います。
それらを深く考えさせられる、優しくも心温まる物語です。
とても美しい物語。
どうぞお読みください。おすすめです。