第124話 将軍、拝命

 それは小玉を庇ってだとか、小玉の失敗によるものだとかではなく、小玉とは関係ないかたちで王将軍は敵兵に討たれた。

 小競り合いであったとしても、多かれ少なかれ人は死ぬ。王将軍は今回、その一人になったのだ。


「世にも『まっとうな』戦死だった」


 米中郎将が、皮肉げに笑った。らしからぬ言い方をする彼の顔には、憔悴が色濃く滲みでていた。それは疲労だけが原因ではない。

 わずかな救いは、米中郎将がすぐに指揮をとったおかげで、王将軍の遺体はそれほど損壊されていない状態で回収できたことである。


 かつて清喜が復卿にやってあげたように、小玉は王将軍の顔や手足を拭いてやりながら呟いた。


「夫人に合わせる顔がありません……」

「うぬぼれるんじゃない。将軍が亡くなられたのはお前の力とはまったく関係ないことだ。夫人も将門しょうもんに嫁がれた方として覚悟はできている人だし、お前みたいな小娘に当たることもなかろうよ」

「はい」


 勝利したはずなのに、まるで敗戦したかのように小玉たちは帰投することになった。




 王将軍の突然の死に、まず葬儀のこと、そして人事のことについて、宮城は慌ただしく動きはじめた。

 とりあえず葬儀が終わってからにしてほしい……と小玉は思ったが、葬儀より先に人事のことが話題になるよりはましか、と思うことにする。


 心がどんぞこまで落ちこんでいるので、最近の小玉は小さないいことを見いだそうとする日々を送っていた。

 小玉は人事について干渉する立場ではないので、部下たちと沙汰さたを待っていた。

 そろそろ決着がついてもおかしくないかな? と思ったある日、小玉は米中郎将に呼びだされた。


 ――来たか。


 部下たちも同じことを思ったようで、小玉は皆と目配せしてから米中郎将のもとへ向かった。


「関小玉、参りました」

「入れ」

 王将軍の座っていた椅子には、今は代行として米中郎将が座っていた。


 胸の詰まる思いをしながら、小玉は勧められた椅子に座る。

 仮にも武官なので、多少長い話であっても立ったまま続ける場合が多い小玉たちなので、これはずいぶん長びくとみた。


 しかし、長びく要素があるのだろうか?


 順当に繰りあがれば米中郎将が将軍となり、小玉が中郎将となって彼の補佐となる。

 ただ前者はともかく、後者は順当にいかないかもしれない……なにせ女性での前例がない。もしかしたらそのことで長びくと、米中郎将は思っているのかもしれない。


 ――心配しなくても、抗議なんかしないのに。


 これまでないないづくしの中を突っきってきた小玉であるが、今回は無理なんじゃないかなと思っている。

 そもそも米中郎将が、副官がお前のなのは納得いかんと拒否する可能性だってあるのだからして。そこらへん小玉は、過信していない。

 自らの力量も、米中郎将の中での自分に対する評価も。


 そんなことを考えていたくらいだから、次の展開は予想外にもほどがあった。


「次の将軍はお前だ、関」

「…………」


 淡々と他人事のように(実際彼が口にしているのは他人の人事であるが)、小玉に告げる米中郎将に小玉は絶句した。


 これまで王将軍のせいで言葉を失うことは多々あった。

 自分がこの人を閉口させることも、かなりの頻度あった。

 けれどもまさか、自分がこの人にそうさせられる日が来るだなんて。

 これは自分への意趣がえしかという、ありえない発想が小玉の胸裏によぎる。それほどまでに、米中郎将らしからぬ言動であった。


「……お、待ちください、閣下」


 この人が、よりにもよってこんなときにこんな冗談を言うわけがない。それをわかっていながら、小玉はあえてこう言う。


「たちの悪い冗談は、よしてください」

 だって、これが本当のことだなんて思いたくなかったから。


 これまでの出世において、「男心を焦らす女の真似かよ」と復卿に言われるくらい、嫌だ嫌だと言いながら受けていた小玉ではあるが、今回はそれとは違う意味だ。

 恩義ある人の死と引きかえの出世は、まったく嬉しくない。


「そもそも閣下がいるじゃないですか。なんであたしが候補にあがるんですか?」

「候補ではない。確定だ」

 米中郎将がご丁寧にも訂正してくる。


「ですから閣下が!」

「私は辞職する」

「えっ……」

 この業界、辞めたくても辞められない場合がほとんどだ。逃げだしたとしても犯罪者として追われるはめになるので、中々縁を切れない。


 泰といいこの人といい、みんなほいほい辞めすぎである。なにか特別な伝手つてでも持っているのか……持っていてもおかしくない面々ではある。

 小玉はそこについては、納得した。

「なんだってそんなことに……」


 この出世を喜べない気持ち自体は、小玉にもわかる。小玉よりもはるかに長い間、王将軍を支えてきた人なのだから。その死によって転がりこんできた地位など。

 けれどもそれはそれで、王将軍の遺志を継いで……という思考に至らない米中郎将のことが、小玉は不思議だった。


 米中郎将は、苦笑した。

「自分の人生すべてを費やして支えてきたものが、急に失われるというのがどういうことか、お前は知らないだろう」

 まるで赤子に言いきかせるような様子だった。つまり、言ってもわからないと思っている。

「王将軍を討った敵将は、まだ生きています」

 歯がゆさを感じながら、小玉は仇を討ちたいとは思わないのかと問いかける。


「『やめようよ、そういうのさ』」


 小玉ははっとした。

 それは王将軍が、いつだったかの軍議の際に言っていたことだ。気をはやらせる若い武官をたしなめるために。

 声音だとか表情だとかがやけに印象的で、妙に心に残るやりとりだった。他の者にとってもそうだったらしく、このときのことはたびたび話題になることがあった。


「わかるか? 私は『そういうのはやめる』」

 言いようによっては、遺志を継いでいるとはいえる。

「これで遺児たちがまだ幼いのならば、ここに残って支援を……と考えはしただろうが、な」

 確かにそれは、心残りなんてないなと小玉も納得した。


 王将軍の子どもたちは、もう「遺児」というより「遺族」という年齢である。皆職を持っているか結婚しているかのどちらかだ。

「……今後、どうなさるつもりですか?」

 この人を引きとめることはできないと理解した小玉は、彼の進退について質問した。

「王将軍の死を弔って過ごすさ」

「王将軍の死にとらわれるのは、あの方の本意ではないと思います」


 「やめようよ、そういうのさ」という彼の発言は、そういう理念に基づいてのものだと小玉は理解している。別の意味で囚われても意味がない。

 すると米中郎将は、肩をすくめた。


「なに、嫌がらせだ」


 その仕草、言いまわしが、まるで故人の薫陶を受けたかのようで、こんな人だったっけと小玉は記憶を掘りかえした。

 こんな人ではない。けれどもこんな人になったのだ。王将軍との付きあいの中で。

 多分、自分の中にも王将軍が残っている。



        ※



 大将軍の地位を追贈ついぞうされた王将軍の葬儀は、本人の家門もあって国葬でもって行われた。


 長年彼の片腕として働いてきた米中郎将、そして王大将軍の後釜あとがまして確定した小玉は当然のことながら、その準備に追われることになった。

 準備に際し、兵部ひょうぶ琮尚書そうしょうしょが非常に頼もしかった。やはり持つべきものは人脈である。この人は班将軍の夫人の兄にあたる。

 つまり皇族で、琮王と呼ばれるお立場である。


 付きあってしまえば意外に気さくで、しかも妹である琮夫人よりも親しみやすい人であったが、そもそも付きあいを持つに至るきっかけは、これまた例の「もう片方の犯人」である。

 結局そいつについては名前も教えてもらえなかったが、その代わりに……ということで、班将軍から紹介されたのである。


 ――それ、代わりって言わない。

 と思いつつ、ご厚意を受けざるをえなかった。班将軍の庇護下から離れることになる小玉のことを心配して、班将軍と琮夫人が紹介してくれたことがわかったので。


 今回のことで、人脈があるにこしたことはないと小玉も、必然性を強く感じていた。

 ただ皇族の知人が増えてしまって、小玉はちょっとお腹が痛くなった(気がした)。



 王大将軍の葬儀について、皆弔意を示すが、「それはそれとして出世はおめでとう」という態度の者が多く、小玉はしくしくと胸が痛かった。

 米中郎将の辞職自体について、小玉はすっぱりと諦めている。だが恩ある人の死によって地位を得るということに、わりきれるようになるためにはまだ時間が必要だった。


 実をいうと、小玉の今回の大出世でもっとも喜んだのは文林だった。

 「ついにやったな」と珍しく顔をほころばせる彼に、小玉はあいまいな笑みしか返せなかった。

 きっと彼にはわからない。



「まあ、飲め」

「ありがとうございます」

「夫人も」

「ええ、いただきます」


 ひととおりの始末が終わったところで、小玉は班将軍に呼ばれてお宅に訪問した。

 夫人がとても喜んでくれたことに、心が温まる。


「それで、米はもう宮城を出たのか?」

「はい、先日」

「ふむ……。それにしても今回の人事、ついに『悪い冗談』というものを、理解できるようになったらしい」

「あなた」

 嫌みったらしさが絶好調の状態に戻った班将軍を、琮夫人がたしなめる。お気持ちはありがたいが、小玉は今の言葉を皮肉だとは思わなかった。


「本当ですね」

 相づちをうった小玉は、少し心配だった。



 自分は今、うまく笑えているだろうかと思って。

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紅霞後宮物語 第零幕/雪村花菜 富士見L文庫 @lbunko

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