第43話 豊穣の明日

 卵の世話を終えたロイファが朝食のテーブルに座ってほどなく、部屋の扉が開いていつもの来客が顔を見せた。

「ロイファ、おはよう!」

「おはよう」

 満面の笑顔の少年と、はにかんだような微笑を浮かべた男。

「おはよう、ザントス、キアネス」

 彼女も笑って挨拶を返す。


 兄弟たちは卵にも声をかけた。

「おはよう皇帝セアゼル、今日は天気がいいな」

「皇帝陛下にはご機嫌麗しく」

 卵が返事の瞬きをする。

「うんうん、あいつもご機嫌麗しいみたいだ」

「だな」


 くすくすと笑いをこぼしながら、彼女たち三人は朝食を取り始めた。

 差し込む日光。かすかに届く風と鳥の声。とても気持ちのいい朝だった、目眩がするほどに。


「そういや、あいつの名前、決めたのか?」

 パンをちぎりながらザントスが言ったのに、うーんとロイファは首をひねった。

「それが……どうも。やっぱり、生まれてきて顔を見てからにしようかと」

「そっか」

 ザントスは頷き、キアネスも続ける。

「焦る必要はない。ゆっくり決めればいい」

 王子たちの同意に彼女は少し肩の力が抜ける。

「どんな子かなぁ、皇帝。顔を合わせるのが楽しみで仕方ない」

 卵も同意するように瞬くのが、ロイファはうれしかった。


 と、キアネスが困ったように食事の手を止めた。見ればパンが大きすぎるようだった。

 そしてロイファが動くより先に、ザントスがさっと手を伸ばしてパンを二つに割った。

「……ありがとう」

「いいって」

 礼の言葉を言うのにまだ慣れてない風の兄へ、弟は屈託なく笑っていた。


「ていうか、そのままかじればいいじゃん」

「皇帝の前でそんな不作法はできん」

 ややむっつりと隻腕の兄は答える。

「生まれてきてから真似をされたらどうする」

「えー、いいじゃん」

「お前な……」

 じゃれ合うように言い争いを始めるのを見て、ロイファはつい笑ってしまった。これも、今ではいつもの風景だった。


 しばらく兄弟の仲の良い喧嘩を眺めてから、彼女は頃合いを見て割り込んだ。

「なあそれよりさ、実は一つ、ちょっと困ってることがあるんだ」

 同時に振り向いた兄弟に、口をとがらせて訴えた。

「最近、この部屋にやってくる客がやたらと多い」

 ザントスとキアネスはきょとんとした顔をした。


「ここはそう簡単に、入室ができる場所ではないはずだが?」

「うん、来るのはお偉い方々。ええっと、侯爵様とか、第二王子とあと第六……いや五だっけ? ともかく王子様たちとか」

「え、兄上たちいったい何をしてんだ」

「それがよく分からなくてだな……」

 ロイファは眉を寄せた。

「ご機嫌うかがいだとか何だとか言ってんだけど、別に何をするでもなく。でもっていっつも、裾がずるずるのドレスやら、でかい宝石が付いたネックレスやらイヤリングやら、贈り物だって言って持ってくるんだよっ」

 そんなもん着てたら卵の警護に差し支えるじゃないか! とロイファは握りしめた拳を振って主張する。


 兄弟は顔を見合わせた。そしてザントスの血相が変わり始めていた。

「それ、受け取ってるのか?」

「いや突き返してる。というか男ばっかりなんだ、客」

 彼女は腹立ちまぎれに茶を一気に飲み干す。

「もちろんあたしは男なんかに剣で引けを取る気はないが、それでもその、最近は体がちょっと、なまった気も……」

 最後のほうは口ごもってしまったら、腕組みをしていた少年がすかさず言った。

「剣の訓練に付き合う時間、もっと増やそうか」

「いいのか? 王太子殿下?」


 王太子になってからのザントスはひどく忙しくなり、以前のように城下で遊ぶ暇もなくなっていると聞いていた。

 だが彼はやげに力強く答えた。

「もちろんだ! ロイファが……あと皇帝陛下をお護りするのが、我が国の最優先事項だ!」

 ロイファは念のため、兄王子の方へも視線を向ける。すると彼は苦笑と微笑の間のような顔をしていた。

「大丈夫なんだろうか、こいつ」

「まあ、止めても聞くまい」


 そして王太子ザントスはさらに、ものすごく真剣な顔で言った。

「あと、ここに来られる人間をもっと制限しよう。特に男はぐっと厳しくしよう!」

 そこでロイファは、キアネスだけでなく侍女たちからも妙に笑みがこぼれているのに気づいた。思わずきょろきょろと見回す。

「えっと? 何笑ってるんだ?」

「まったく、気づいていないのかお前は……」

 キアネスの笑みがはっきり苦笑に変わり、ザントスは行儀悪く自分の髪をかきむしった。

「自覚しろ! 兄上たちが狙ってるのはお前だ!」


「えっ、あたし? 皇帝じゃなくて?」

 彼女は仰天する。

「それってつまり、皇帝を狙うのにはまずあたしを除こうとか、そういう?」

「いや違う、いや違わないのか、ともかくだな……」

 何かぶつぶつ声になったザントスを放っておいて、ロイファは考え込んだ。

 この部屋で一日過ごすようになって、どうしても体の鍛え方が少なくなっていた。ここのところは体に丸みが出てきているのも気になっていた。髪を伸ばし始めたのも、軽んじられる原因かもしれない。


「……よしザントス。とりあえずお前たち以外の男がこの部屋に来るのを禁止してくれ。その間にお前を相手に、体を鍛え直す!」

「よっしゃ!」

 何故か少年は喜色満面になった。キアネスがこらえきれなくなったように噴き出した。目をやると、卵もまるで笑うように瞬いていた。

 理由はよく分からないが、彼女まで胸がうれしさで一杯になり始めた。


 愛している。自分は皇帝を、人を、世界を愛している。だから生まれてくる皇帝にも、皆を愛してほしい。

 ロイファの唇が幸せでほころんだ。


 ――こうして皇帝は現れた。そして彼を戴くデイアコリナは、王ザントスと王妃ロイファ、宰相キアネスの下、豊穣な繁栄を誇ったという――。


〈了〉

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The Quest with the Pre-Advent Child 良前 収 @rasaki

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