第42話 新たな朝

 柔らかな寝床の中で、ふっとロイファは目を覚ました。まぶたを開ける。

 透明な天井から、春の日の光が降り注いでいた。早起きの小鳥の鳴き声も聞こえる。彼女は身を起こし、うーんと伸びをした。そして広い部屋の中央に目をやって、にっこりと笑った。

「おはよう、皇帝セアゼル

 子供樹カルフィンに埋まった卵は、返事をするように輝いた。


 彼女は寝台から降りて、用意されていた水で顔を洗い身支度をする。それから、置いてある小さなベルに手を伸ばし、一つ軽く振った。

 リーンという澄んだ音が響いてすぐに、「失礼いたします」という声とともに侍女たちが入ってくる。


「御水をお持ちしました」

「ありがとう」

 受け取って、ロイファはさっそくに樹に柄杓ひしゃくで水をやる。太い根本の周囲ぐるりに、丹念に少しずつ。


 その次は、清潔で柔らかな布で卵の表面をやさしく拭っていった。

「どうだい、皇帝?」

 くすぐったがって笑うように、卵は瞬く。

 その間に侍女たちは朝食の用意を調ととのえ始めた。


   ◇


 朝の支度を終えたザントスは足早に自室を出た。彼にとって最も大事な予定に気が急いて、廊下を半ば走り出そうとする。が、

「王太子殿下!」

 突然声をかけられ振り返る。壮年の男、ドウグフル侯爵が駆け寄ってきていた。

「ご機嫌麗しゅう存じます、殿下」

 呼び止められて正直不機嫌だったが、とりあえずザントスも応じないわけにはいかない。

「ご機嫌よう、侯爵。なんか用か?」

「はい、是非とも王太子殿下のご明言をいただきたく、参上いたしました」


 意味が分からないザントスが首を傾げると、侯爵は身を乗り出した。

「南方四領と王都を結ぶ街道の管理、我がドウグフル家にお任せいただきたい件でございます」

 はて、そんな話はザントスには伝わっていない。というかその街道はメルリフル伯爵――暗黒期によく耐えてゴルラン領に善政を敷いた――に任せることでほぼ決まっていた。


 ザントスが困った顔をしたためだろう、ドウグフル侯爵はれたように、

「なにとぞ! 幾度も嘆願書を始め様々献上申し上げておりますのに、殿下からは何のお返事もいただけていないのは何故でございましょう!?」

 これはつまり、賄賂を何度も贈ったのに、と言っている。ザントスに受け取った覚えはない。この辺りの応対はすべて――。


 そこへさらに声がかけられた。

「失礼いたします、王太子殿下」

 低い歌うような声。兄キアネスが慇懃に礼をしていた。

「お急ぎになりませんと、お時間でございます」


「だよな! 俺、急がないと!」

 これ幸いとその場を立ち去ろうとしたザントスに、侯爵が「殿下!」と追いすがってくる。それを遮ってキアネスが割り込んだ。

「王太子殿下はこれから皇帝陛下にご挨拶に向かわれる。控えよ、ドウグフル侯爵」

「キアネス殿下……私は、あなたに何度も……」

 侯爵はうなった。

「用件は、後ほど私がうかがおう」

 それで兄弟はさっさと侯爵を置いて歩き出した。


 充分離れてから、ザントスは兄に話しかける。

「あのさ、ドウグフル侯爵からの賄賂って、どうしたんだ?」

 キアネスは涼しい顔だった。

「それなら、『どうぞお役立てください』と言われたので、売り払った上でその金を王都の救貧院に回した」

「そんなこったろうと思った……」

 ザントスは苦笑する。

「あとは私に任せろ。上手くあしらっておく」

「頼んだ」

 裏の取引に向いていない弟は、向いている兄に丸投げした。


 ついでに思い出した話題をザントスは兄へ振る。

「南方四領への街道って言えば、再整備はどんな感じなんだ? メルリフル伯爵だけに任せられそうか?」

「それが、少し問題がある」

 キアネスは顎に手を当てた。

「整備工事を行う人夫の数が足りなさそうだと報告があった。周囲の村からかき集めても難しいようだ」


「それって……周りの村が、みんな飢えで壊滅しちまったとか……?」

 半年前の旅で見た、困窮の極みにあった村々。あの衝撃的な光景がザントスの脳裏をよぎった。

 ところがキアネスは少し違うことを言い出した。

「それもあるが、理由として最も大きいのは、生き残った村人が村を放棄して都市へ移動してしまっていることだ」

「え、じゃあもう黄金期になったんだし、村へ戻ってもらえばいいんじゃ」

「そうしたい者も多いようだが、再移住は進んでいない。移るのに先立って必要な、資金のない者がほとんどなのが原因だ」


 気がついたらザントスも、顎に手を当てていた。兄弟で同じ仕草。

「だったらさ……村へ戻りたいやつらに、国庫から金を援助してやればいいじゃん」

 キアネスはぱちりと瞬いてから、にやりと笑った。

「私も同じ考えだ」

 驚くザントスの肩を兄が叩いてくる。

「お前も分かるようになってきたな」

 えへへと弟は照れ笑いをした。

「細かいこと、必要な額の計算とか、してもらえるか?」

「心得た」

 頼りになる兄はうなずく。


 実際、こういった実務も兄のほうがよほど向いている。ザントスだけでなく周囲の者もそう考えているだろう。

 兄にハメられなければ、兄こそが王太子になっていたのに。ザントスはまたつくづく思った。


 ザントスは本当に、キアネスに次の王位を譲るつもりだったのだ。しかし兄は帰国するや否や、なんと「オストコリナへの内通」を現王や国の上層部に対し告白するという行動に出た。

 当然キアネスは投獄され、ほとんど間を置かず死刑に処せられることになった。


 兄の行動にザントスは仰天した。兄の死を何としても阻止しようと奔走した。だが大罪人を救う協力をしてくれる者は、幼なじみの父アデルフル公爵を含め、誰一人いなかった。

 それでもザントスは、ない頭を振り絞って必死に策を考えた。考えて考えて、たった一つだけ方法を思いついた。実行するかは悩んだが、それしかないと思い切った。


 ザントスは、自分が王太子になると大々的に公言を始めた。その上で、自分の慶事の前に死刑を行うことへ強硬に反対した。

 国に皇帝をもたらした随伴者アレシオの彼に周囲が逆らえないでいるうちに、急いで立太子式を設定させた。そして、身分高い者を初めとする多数の列席者が見守る式典の場でいきなり、「王太子の名で」恩赦を実施すると宣言した。もちろん対象は、兄キアネス。


 策は見事に成功した。だが、牢から解放するため自ら赴いたザントスに、兄は驚く様子も見せずに逆ににやりと笑って、

「これでお前が次の王だな」

と言った。

 それでやっと、ザントスは自分がキアネスにハメられたことに気づいたのである。


 その後ザントスは兄に向かって、生母の遺言を完全に破ってしまったことへの文句を思いつく限り延々と並べ立てた。するとキアネスは、「大丈夫だ。私がついている」と答えたものだった。


 こうして今、ザントスはキアネスと並んで歩いている。

 きっとこれからもずっと、並んで歩いて行くのだろう。それはとても心強く、また幸せなことでもあると、ザントスは思っている。

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