くすくす、と朱雀の耳元で吉丸が笑う。立川と話をしたその日の夜、二人は待ち合わせて街からほど近い海に来ていた。朱雀の自転車に吉丸も乗って。夜空はすっきりと晴れていて、月の光と車道を照らす街灯がそれぞれ陰を作っている。広くなった歩道に自転車を止め、砂浜へと下りると、サンダルの間にさらさらと入り込む砂がひんやりとしていて、心地良かった。ひとしきり波打ち際で海を見た後、コンクリートの壁に寄りかかって二人とも腰を下ろした。

「秀人、おっかしい。俺は全然いいよ」

「あいつ、本当バカ。意味わかんない」

隣に座る朱雀に寄り添って、吉丸は上目遣いに続ける。

「案外秀人も、朱雀さんのこと悪く思ってないかも」

「冗談でもやめろ」

「そうだね。秀人に朱雀さん渡したくないし。やっぱり却下」

朱雀の頬に口づける。こちらを向いた拍子にさらに唇を重ねる。二、三回で離れようとした彼のあごをとらえて続けた。

「ん……」

「やっぱり」キスの合間に吉丸がもらす。「……だめ。却下。絶対却下」

ちゅ、と唇を音を立てて吸う。

「朱雀さんの恋人は、俺だ」

「だからあんたに言ったんでしょ、付き合ってって……ん」

触れるだけのキス。吉丸は膝立ちになって朱雀と向き合っていた。

「あー……止まんない。なんでだろ。我慢してたからかな」

両手で朱雀の頬をとらえてのぞき込む。その黒い瞳は街灯の光をひとつ、跳ね返していた。

「……全身で秀人意識してた朱雀さん見ちゃったからかな」

 立川に自分の気持ちを伝えようとしていた朱雀の姿。緊張で真っ赤になって、恥ずかしがりながらも拙く言葉をつないでいた。もうこの先二度と、自分以外の誰にもあんな姿を見せないようにしようと強く強く思った。

 あんな姿見せたから、秀人が三人で遊ぼうなんて言い出したんだ。絶対そうだ。朱雀さんのバカ。

「どういう意味だよ」

当の本人の問いには答えず、口を開けたままお互いの唇を合わせる。そっと舌を出して歯列をなぞるとぴくりと朱雀が反応した。邪魔をするように舌を絡ませてくる。相手にせず、上から下まで全部なぞってやった。その後でゆっくりと唇と舌を味わう。もどかしくなったのか、朱雀の手が吉丸の腰を強く抱く。

「ん、……」

「ふっ」

 吉丸が薄目を開けてみると、朱雀は眉根を寄せて悩ましげな表情をしていた。

 うわ、その顔……やばいって、朱雀さん。

 たまらなくなって抱え込むように頭を強く抱くと、朱雀の両手が吉丸の背中や腰をまさぐる。シャツの中に手を入れられて、きつく抱きしめられた。背中を這う手のひらが熱い。

「……朱雀さん、もっと」

「なに」

キスの合間に言葉を交わす。

「もっとして」

 濡れた声にねだられて、ぞくりとした。下半身が重くなる。

 っ、こいつ……。

 朱雀は吉丸の腰を掴み、自分の足に座らせ、背中を掴んで強く抱きしめた。耳元で甘い吐息が聞こえる。そのまま目の前の鎖骨にキスを落とした。

 お互いの硬くなったものが触れていて、全身がさらに熱くなる。吉丸が腰を動かすとジーンズの布越しに刺激が伝わって、くらりとした。しびれるような淡い刺激。

「ばっ……か、すんな」

かすれた声で抗議すると、後ろの壁に頭が当たった。思わず声を上げると、吉丸が片手で朱雀の頭を包み込んで、傍の砂浜に横たえた。

「大丈夫?」

「うん」

そのまま、二人とも相手の身体に腕を回して抱きしめる。身体がぴったりと重なった。息が荒い。ごくりと喉が鳴った。

「朱雀さんの、当たってる」

「……あんたもね」

楽しそうにそう言う吉丸が少し恨めしくなって、朱雀はすぐにそう返した。

 たった今もっと、とか言った声と全然違う。こいつ、まだ余裕なわけ。

 あの一言にあっさり煽られて、朱雀は結構ぎりぎりのところでこらえている状態だった。……絶対にそんなこと、今自分にのしかかっている男に悟られたくない。

 触れたいと思う前に、もう手は伸びている。顔についている砂をそっと払い、唇を撫でるとすぐに吉丸が顔を近づけて来た。唇を合わせて、ついばむように何度も重ねた。

「……うわ、砂食った」

「大丈夫?」

口の中がザラザラする。思いきり舌を出したら、吉丸が自分の舌を重ねてくる。

「んっ」

「うわ、本当ザラザラ」

「だから、そんなことすんな……って」

今度は音を立てて口づけてくる。そのまま身体を倒して朱雀を抱きしめた。

「あーもう……。朱雀さんたまんないなあ」

「あんたは本当、すごいよね」

心からの言葉だ。吉丸は半眼で口を尖らせて言う。

「顔に似合わずって言いたいんでしょ」

「……そう」

 なんというか、こんなに整った顔…女性とも見えるような繊細な顔をしていながら、触れるのもキスも交わす言葉も…ためらいがない。というより、遠慮がない。というか、積極的で、簡単にやってみせる。つられて応じていたら、すぐに服なんて全部脱がせてしまいそうで、頭の中で思い描く欲望を一から全部実行してしまいそうなのだ。

「じゃあ、ついでにひとつ言っていい?」

「なに」

 吉丸は朱雀の耳をぺろりと舐めた。耳たぶを軽く噛む。ぞくっとして、またしびれるような刺激を感じてしまう。

「……今ここで、したいな」

「本気で言ってんの?」

いつもの半眼で朱雀が睨む。恨めしさに我慢ができなくなって、すぐそばの頬をつねった。

「いった! えー本気だって!」

「……あんたってほんと………」

あきれてその後の言葉が出ずに手を離す。吉丸は口を尖らせて不満を言う。

「朱雀さんは思わないの?」

 思わないの? は? バッカじゃねーの?

 思わないわけがない。わざわざそれを聞いてくることがさらに恨めしい。

「……あんまり言いたくないけど俺、男と付き合ったの今これが初めてなんだけど。しかも今まで外でとかやったことないんだけど」

「わー! そうやって盛り下がることなんで平気で言えるのさ!」

「……まさか、吉丸はあんの?」

嘘だろ、と心の底からおののいて訊く。

「なに」

「男……はあるか。外とか……」

「ないよ。けど、お互い好きだってわかって、付き合うことになって、夜、二人っきりになれるとこに来たら普通期待するでしょ」

「海でも?」

「海でも!」

間髪入れずに返されて、返す言葉を失った。

 なんでもかんでも簡単に言いやがる。

 一文字に結んだ唇が震える。目をそらし、いらだたしさに頭をがりがりと掻いた。

 これ、言わなきゃいけないわけ。

「……最初くらい、あんたのことだけ考えてたいんだけど」

「え」

「砂がザラザラするとか、誰か来るかもとか、そんなことに気を取られたくない」

膝の上に吉丸を乗せたまま、身体を起こす。

「…………」

「俺、……そんなに器用じゃないし」

言葉が出なくなった目の前の唇に指で触れる。吉丸が顔を赤くした。

「だめ?」

 朱雀がそう言って上目遣いで見つめてくる。いつの間にか取られていた砂だらけの指に口づけられる。

 ………だめ、って。

 今度は吉丸が口をへの字に曲げる番だった。肩を掴んで、また砂浜に押し倒す。

「わ」

「だったらその代わり、今好きなだけキスさせて」

「ん……」

 噛みつくように口づける。かちん、とお互いの歯が当たった。吉丸は言った通り、好きなだけ朱雀の口の中を味わった。


 お互いに身体の中の衝動が収まるまで、しばらく相手を抱いたまま、波の音に耳を澄ませた。

 吉丸が顔を起こす。朱雀も吉丸も、額や、頬にも砂が付いている。二人で苦笑した。

「……朱雀さん」

手のひらで頬を包み込む。その体温に、朱雀は気持ち良さそうにゆっくり一回、瞬きをした。

「うん?」

「好きだよ」

「俺も……好き」

間を置かずに朱雀が返すと、吉丸はこらえきれなくなったように笑みをこぼした。大きな目が細くなる。

 ああ、今の一番いい顔かも。

 頭をなるべく優しく、撫でてやる。ますます吉丸は笑みを深くした。それを見て、朱雀も自然と笑顔になる。

「あんたが好きだ」

 こんな気持ちを、どうして一時でも押さえ込められたんだろう。過去とか、他の誰かのことが頭にあったからできていたのだとしたら、やっぱり終わらせてよかったと朱雀は思った。

 吉丸が好きで、好きだと伝えることができて、それがとても、びっくりするくらいうれしかった。押さえ込んで、蓋をして隠して。そんなこと、しなくていい。

「へへっ」

 目の前の吉丸は照れ笑いをして、また口づけてきた。

「俺も、朱雀さんが好き」

 それで、相手も同じ気持ちを返してくれること。それは伝えられることの、何倍のうれしさだろう。

 だったらこれからこいつと過ごす毎日は、どれだけうれしいことの連続なんだろう。

 笑ってしまうくらい自分らしくない、惚けた思い。くだらない、ノロけた、バカな思い。

 朱雀はそれがたまらなく楽しみで、また、吉丸を抱きしめた。


(終)

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グッドアフタヌーン 道半駒子 @comma05

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