ファストフード店で

「……あれ」

 長かった夏休みも残り数日となったある夕方。東山門の駅ビルのファストフード店にやってきた立川は、少し戸惑った。約束の時間より二十分も早く着いたのに、既に待ち合わせの相手が先に来ていたことと、さらにもう一人そこにいたからだ。

「あ、久しぶり」

 奥の席に座っている彼は、すぐに立川に気づいた。相変わらずその笑顔は見る人すべてを惹きつける。整った顔立ち、白い肌、大きな目。先ほどまで立川がたっぷり浴びていた暑苦しい真夏の太陽光がガラス張りの店内にも差し込んでいるが、この男にはまるで敵わない。立川の元恋人の、吉丸だった。

「……早かったな」

 手前に座っているのは、待ち合わせ相手の朱雀だ。ほっそりとした顔立ちに切れ長の瞳、短めの黒髪。長い手足を狭いスペースに折り曲げて収めている。この男こそ真夏の青空が似合いそうな姿であるが、その表情が晴れやかであったことはほとんどない。

 そんな二人が向かい合って座っているのを見てなんとなく、立川はピンときた。数日前朱雀から驚くべき告白を受けた立川だけれど、その時道の端に細い影を見たのを思い出したのだ。

「恵太、久しぶりだな。……なんか早く着いちゃってさ」

吉丸に言葉を返し、朱雀には言い訳をする。

「ふーん」

「……てかお前ら、二人で遊んだりしてんだ」

立川にとってはあまりにも不釣り合いな組み合わせだ。とりあえず数日前から気になっていたことを口にした。

「こいつの塾が俺の学校の近くなんだよ」

「そう。いつかな? 少し前、帰りにばったり会ってさ」

「へえ……」

吉丸に目を合わせると、彼は柔らかく微笑んでみせた。立川の考えていることが既にわかっていて、それをふまえて微笑んでいるようだった。

「……恵太にこんなところで会うと思わなかった」

「そうだね。秀人、元気そうでよかった」

「お前も……元気そうだな」

「おかげさまで」

 どこにも棘がない、素直な口調だった。安心した気持ちと同時に、少し寂しいような、置いてけぼりにされたような不思議な気持ちがわき上がる。

 別れたいって言ったのは、俺だったのにな。

 心の中で苦笑する。その柔らかな表情に、朱雀が関わっていたのだろうか。

「あ、邪魔してごめん。そろそろ行くね」

「うん」

 吉丸が立ち上がる。朱雀はジュースを飲みながら答えた。

「また電話する」

「わかった」

 ずいぶん気安いやり取りだ。一瞬視線を交わしただけで吉丸は席を立ち、出て行った。「ありがとうございましたー」と店員の声が追いかける。それを聞き終えてから、朱雀に改めて訊いた。

「よく遊んでんの?」

「うん?」

「恵太と」

思ったより強い口調になっていて、自分でも驚く。けれど特に朱雀は気にする様子もなく、視線を天井にやり、考えるような素振りを見せた。

「んー……いや、俺部活行ってるし、あっちは塾だし。時間が合えば一緒に帰ってるくらいかな」

「そっか」

「まだテスト前に借りたことはないから安心して」

「あ、そんな話したっけ」

「最初にされた」

「なるほど」

 それからお互い、言葉を切った。朱雀はジュースのストローに口をつけ、立川は一緒に買ったフライドポテトを口へ運ぶ。

「……こないだは、いきなり悪かった」

 ため息混じりに朱雀が話し出す。

「いきなり呼び出して、あんなこと言って、びびったでしょ」

珍しく弱い口調だ。窺うようにこちらを見ている。

「うん……まあ、だいぶ」

正直に答える。正に青天の霹靂だった。仲の良い友達から、しかも男から愛の告白を受けるなんて。ただ、初めてではなかった。目の前の朱雀には言えないけれど。

「えーと……まあ、聞くに耐えないと思うけど何の話だったかっていうと、中学の時からお前に惚れてましたっていうことで」

「……うん」

「キモいこと言ってごめん。別に今お前と付き合いたいとかどうこうしたいと思ってるわけじゃなくて、ただちゃんと伝えて、ちゃんとふられたくて」

次第に朱雀の頬が赤く染まる。目を泳がせながら拙く話す姿はいつもの彼とは思えない。立川は不思議な気持ちで見つめていた。

「なんで今? って感じだろうけど……まあその、そうでもしないとどうも色々前に進められなくてさ。言ってしまえば……」

「ん?」

「言ってしまえば……お前に未練たらたらで」

「……そんなに?」

思わずそう口を挟むと、朱雀の顔が一気に真っ赤になった。頬杖をついている方の右手でそれを隠そうとする。

 うわ、すげえ。朱雀が恥ずかしがってる。何これ……かわいい。

「……そんなにだよ」

「マジか」

「そこ食いつくなよ」

「いや食いつくだろ」

だってまさか、友達だと思っているやつの心に自分がそこまで関わっているなんて思いもよらない。気になるだろう。

「あのさ、俺のどこが好きなの?」

「それ訊くなよ」

「いや訊くだろ」

「訊いたら言うと思ってんの?」

「言わねーのかよ」

「教えん」

身を乗り出して訊くが、そっぽを向かれてしまった。もっと言い募って聞いてみたい気がしたが、さっきの反応を見るに、軽い気持ちで必要以上に聞き出していいものとも思えなかった。非常に気になるが、とりあえず一旦黙ることとする。

「あ、だからもう連絡とかしないから。気色悪いと思うし、顔も見たくないって言われるのも理解できるし。嫌な思い出にして申し訳ないと思ってる」

 目を伏せ、両手を上げて朱雀はそう続けた。

「これで、全部」

「……そうか」

 軽く息をつく。椅子の背もたれに身体を預けた。目の前の朱雀はテーブルに両肘をついて、カップが乗ったトレーを見つめている。

「……とりあえず、ありがとう」

「うん?」

「俺のこと好きって言ってもらえるのは、ありがとうって」

「…………」

「気持ちには応えられないけど」

「わかってる」

「あと、気持ち悪いとか今感じたりしてないから。顔も見たくないとも思わない。お前が連絡したいならすればいいじゃん」

「それは、そういう意味じゃなくて」

「その代わり、俺も連絡したいときにするから」

「…………」

目を上げた朱雀は、心底あきれているという顔をしていた。バカじゃねーの、と言いそうだなと思った瞬間に、朱雀はぼそっとそう言った。

「お前ちゃんとわかってんの」

「そんなもん簡単にわかるかよ」

「素直にキモいって言ったら」

「いきなりそんなこと思わねーよ。てか思えねーし」

「じゃキモいって気持ちになったら報告して」

「……俺、そんなにかっこいい?」

 朱雀の言うことには答えず、軽口でそう聞いてみる。

「俺が素直に答えると思ってんの? その質問に」

「答えるわけないな」

「わかってんじゃん」

「ちぇっ、つまらん」

こうなるとたぶん言わない。諦めて、立川はオレンジジュースを一口飲んだ。朱雀はその間に大きくため息をついた。……ため息というか、深呼吸。さらに、両手を伸ばして思いきり伸びをする。立川に目を合わせて、肩をすくめた。

「……悪かったな」

「え?」

「遊びの誘い、断りまくって。まあ、実際部活だったのは本当。けど、都合つけられる時もなかったわけじゃなかった。今みたいに終わった後でも遊べばよかったんだし」

「わざとかよ」

「わざとじゃないって。けど正直、お前に会いたくなかった。……絶対振り向いてもらえないってわかってるのに、顔見てるの、つらくて。去年とか、逃げまくってた」

 まだ少し赤い顔のまま、朱雀が苦笑いをする。その伏せた瞳に一瞬何かよぎったように見えて。……痛みや、憂い、こらえきれない切なさのようなもの。どきりとした。

「そ、か」

「こないだはもう……断りきれなかったから、結構色々覚悟して行ったわけ」

「そりゃなんつーか……すまん」

「謝るのはこっちだって」

「わかった」

 だったらこれからも、誘うからな。立川はそう言おうとして、すんでのところで飲み込んだ。朱雀と遊ぶことが、彼にとっていいことなのかそうでないのかわからない。自分自身の気持ちも今、全く頓着していないけれど、それも変わっていくのかもしれない。ありふれたファストフード店での会話……もしかしたら、こんな時間をもう過ごすことはないかもしれないのだ。

 それは、嫌だな。

 勝手だけれど、そう思った。

 うん、よし。嫌だ。ほとぼりが冷めたら、誘おう。そうしよう。

 朱雀が嫌なら、断るだろう。それならしょうがない。

 そう決心したところで一息つき、立川はもうひとつ気になっていることを訊いた。

「恵太は、どうしたんだ?」

「吉丸?」

一転、朱雀は素直に首を傾げて聞き返してきた。

「こないだ、お前追っかけて来てたじゃん」

「ああ、まあ…あいつに色々うるさく言われて、お前に告白しようって決めたからさ。気になって来たみたいだった」

 それだけじゃないだろう、と立川は思った。あの時の吉丸の表情……朱雀は知らないだろうが、彼は以前恋人だった自分のことが気になったのではないのか。自分に告白する男を見過ごすことができなかったのではないか。

 朱雀がすぐに手を引いて連れ去ったのも目についた。お前も、あいつもそれだけじゃないだろう。

 ――いや、違うな。

 初め吉丸はこちらを見ていたが、その視線は朱雀に移っていた。手を引かれたとき何かこらえるように朱雀に呟いたのも見えた。

ちゃんとふられたかったと言ったこと、吉丸に色々言われて告白しようと思ったということ。さっきの二人の距離感。吉丸の笑顔。一瞬だけ交わされた視線……

「もしかしてさ、お前と吉丸付き合ってたりする?」

思うと同時にそう言うと、立川のポテトに手を伸ばしていた朱雀はぴくりと反応した。

「……や、」

「ここ来た時、なんかそう感じてさ。特に吉丸」

「…………」

そこまで言うと朱雀も黙った。窓の外へ視線をそらす。あーなるほど、と立川はため息混じりに声を吐き出す。

「だったら俺と吉丸のことも知ってるか」

「……まあ」

「ふーん」

朱雀が居心地悪そうに座りなおす。立川はポテトの箱を差し出した。

「……俺はお前ら二人の昔の男になっちゃったわけね」

むすっとした顔(いつもの表情だ)になって朱雀がポテトをつまむ。

「その言い方やめろ」

「淋しい。俺一番かわいそうじゃね? 何もしてないのに。俺未だに彼女できないのに」

「ポテトに話しかけんな。つーかそんなショボいボケすんな」

 わき上がったのは、とても複雑な気持ちだった。信じられない……信じたくない気持ち。ほっとした気持ち、淋しい気持ち、悔しい気持ち、腹立たしい……嫉妬の気持ち。

 嫉妬? 誰に? 朱雀か吉丸か……

 どれも混ざり合わずに心のうちをころころと転がり回っている。

 ちぇっ、なんか、いいな。

 先ほどの二人の間の雰囲気を思い出す。

 俺も混ざりたいな。入れてくれねーかな。

 そんな気持ちもわき上がる。付き合っていた頃の吉丸の唇、数日前見た朱雀の身体もふっと思い出してしまう。

「……いかんいかん」

「え?」

「わかった! じゃあ今度三人で遊ぼう」

「はあ?」

立川は拳を握り込んでそう提案したが、朱雀は途端に嫌そうな顔をした。

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