第4話 冬

「いよいよ明日だね」

「うん」

シンペの言葉に、かけにいが返事をした。2人は、ベッドの中にいる。12月14日、土曜日、あと少しで日付が変わる。かけ兄は、シンペの家に泊まっている。互いが暗い天井を見つめていた。

「何だか眠れないね」

「うん」

時より、強い風が窓を叩く。遠くの方から、クラクションが聞こえた。普段なら気にならない音が、2人の耳へ伝わって行く。互いに考えている事を、今は共有しない。それとも出来ないのかな。

 今朝、かけ兄は母より先に家を出た。外気温は低く、アウターを着ないと寒い。朝日は半分だけ顔を出していた。吐く息が白くなっている。変わり行く季節を背に、日常の風景が流れて行く。用意しておいた手紙を、ダイニングテーブルの上へ置いてきたみたい。かけ兄の決心が詰まっている。その後、母から何度も連絡があった。でも、かけ兄は無視していた。

   【母さんへ

 僕は、ずっと考えていた。家族って何だろう。色々な事を経験しながら、共に歩んで行く。そこから親子の絆が生まれる。そんな風に思い描く事もあった。でも、気が付けば僕はひとりだった。以外にも、寂しいという感情は生まれてこない。只、その空間から逃げ出したいと思うだけだった。でも、最近ようやく分かった。それは、どこへ逃げても追っかけて来る。だって、自分の心の中に潜んでいるから。僕は今でも、舞の事故を背負っている。もしもあの時こうしていれば、という言葉が頭から離れない。母さんは、どう感じていたのかな。僕には、何も話してくれない。それが逆に、僕を追い詰める。

 偶然にも、僕の前に1枚の写真が現われた。そこには、亡くなる寸前の舞が写っていました。(写真を同封しました)僕達の知らない事が、この写真の裏に隠れている。それはきっと、父さんにも関係しているかもしれない。ようやく決心が付きました。

 母さんへ伝えたい事があります。次の場所へ来て下さい。

 12月15日(日曜日)午前10時30分 港ヶ池公園(地図を見て下さい)

                                   翔】

 母が、かけ兄の手紙を読んでいる。目には少し涙が溜まっていた。読み終わると、目元を押さえながら俯いた。何を考えているのかな。私は母の心を覗こうとしたが、寸前で辞めた。それから母は、かけ兄へ何度も電話した。しかし、電源を切っているみたいで繋がらない。もし仮に繋がったとしても、いまさら何を話すのだろう。溢れ出した心を受け止めるには、大きな器が必要だよね。

 昨日、授業が終わった後、かけ兄は、サッカー部の部室へ向かった。そして、ひとりの部員に手紙を託した。

   【修二へ

 きっと、突然の手紙に驚いているよね。僕と修二が出会ったのは、きっと入学式の時だろうね。でも、互いの事なんて全然知らない。その後も、話す機会なんて一度もなかった。只、修二が有名なサッカー選手という事は知っていた。だから僕達には、接点なんて何も無い。普通ならそう思うよね。でも、僕が撮った修二の写真は美紀へ伝わり、また僕に帰って来た。そんな繋がりが、僕達の距離を縮めたと思っていた。

 でも僕達は、ずっとずっと前に繋がっていたかもしれない。きっと、何を言っているのか分からないよね。同封した写真を見てほしい。9歳の修二が写っていると思う。修二の前に立っている少女は、僕の妹なんだ。名前は舞、この時7歳。そして妹は、数時間後に近くの池で亡くなった。現場の状況から、単独の事故として扱われた。でも偶然に、この写真が僕の前に現われた。

 修二は、何かを知っているのだろうか。どうしても聞きたい事がある。次の場所へ来てほしい。来るまで待っています。

 12月15日(日曜日)午前10時20分 港ヶ池公園(地図を見て下さい)

                                   翔】

 部室の中は、時間が止まった様に静かだった。修二さんを残し、他のサッカー部員達は帰宅した。プラスチック製のベンチに座り、かけ兄の手紙を見つめている。もうとっくに読み終わっているはずなのに、手紙から目を離さない。遠い記憶のドアを叩かれ、心臓の鼓動は早くなっていた。

 数日前、かけ兄は牧原浩次の事務所へ手紙を入れた。

   【牧原浩次 様

 用件だけを簡潔に述べます。まずは同封した写真を見て下さい。大体の事が理解できると思います。この場所は、港ヶ池公園です。写真の少年は、あなたの息子である修二さんですね。そして、前に立っている少女の名前は朝日奈舞。この数時間後、少女は近くの池で亡くなりました。私が説明しなくても分かりますよね。元、捜査一課の刑事だった、あなたならば。次の場所で、お待ちしています。

 12月15日(日曜日)午前10時20分 港ヶ池公園(地図を見て下さい)

                              新聞記者 K】

 牧原浩次は郵便物を確かめながら、ソファに座った。窓から差し込む光により、埃が照らし出されている。彼は無造作に、差出人の無い封筒を開けた。さほど驚く事も無く、かけ兄の手紙と写真を交互に見ている。まるで、全てを理解している様だった。そして、日時と場所を手帳に書き込んだ。それから直ぐに立ち上がり、手紙と写真をシュレッダーにかけた。粉々になり、いつかは全て消え去る。私の心は永遠に消えないのかな。彼は机の引き出しを開けた。同じ形の封筒が積み重ねてある。遺書という文字が見えた瞬間、彼は小さな声で「俺はどうすればいい、な、本間」と呟いた。

 

 今日の午前中、かけ兄は美紀と会っていた。ふたり肩を並べ、川沿いのベンチに座っている。この姿だけ見ると、素敵なカップルに見える。でも実際は違う。

「明日、朝の10時、この場所へ来てほしい」

 かけ兄は美紀へ地図を渡した。

「うん、分かった」

 美紀は、理由も聞かずに返事をした。

「修二も呼んである。あと、ゲストが2人、来る予定になってる」

「そうなんだ」

「気にならないの?」

「何だか色々と考えてたら、分からなくなって。私達、いったい何処へ行くのかな?明日の答えが目的地なの?」

「今までは、その目的地さえ分からなかった。何処を目指し歩いているのだろう。自分の脚で歩いているのに、行き先が分からない。そんな自分が嫌いだった」

「怖くないの?もしそこが目的地では無かったら」

「怖いよ。もし前みたいに、ひとりで歩くなら。でも今は違う。慎平と美紀が一緒に歩いてくれてる」

「それでも、私は怖い」

「修二の事か?」

「・・・・」

「修二も行き先を探していると思う」

「どうして分かるの?」

「僕と美紀を繋いでくれた修二の写真があるだろう。あの頃もそうだったけど、僕は人物を撮るのが好きじゃ無かった。半強制的に氷川先生から頼まれたんだ。何枚か撮って、さっさと帰ろうと思っていた。そんな時、修二がファインダーの中に入って来た。勝手に入って来たと言えば怒られるかもしれないけど、それぐらい突然だったと思う。気が付けば、必死になって修二を追いかけていた。撮っている間、会場に鳴り響く大歓声が、遠い所から聞こえて来た。あの時は、そんな気持ちを言葉として表現する事ができなかった。でも今なら何となく分かる様な気がする。修二は、ボールだけを追っかけてはいなかった。少なくとも僕には、そう見えたんだ」

「何だか難しくて良く分からない」

「当然だよ。僕もまだ、はっきりと分からない」

 2人は、川の向こう岸を見つめていた。同じ方向を見つめているのに、何かが違う。かけ兄は、どんどん先へ急ごうとしていた。手に持っている地図が正しいと思っている。その一方で、美紀は不安を感じていた。もしも地図の指し示す方向が間違っていたら、引き返す事はできるのだろうか。またそこで、道に迷ってしまうかもしれない。それらの想いは、言葉にしないと無駄になってしまう。伝えても無駄だろうという思いが、働いてしまうのはなぜだろう。

「それじゃ、明日」

 かけ兄が先に立ちあがった。直ぐに美紀も立ち上がり、小さな返事をした。かけ兄が前を向き進んで行く。美紀は黙って、その背中を見つめていた。

 

 僕は体を起こし、手元にある携帯電話で明かりをつけた。横では、シンペが寝息を立てている。あと数分ほどで夜が明ける。結局、あまり眠れなかった。鞄から一枚の写真を取り出した。いつも机の引き出しに眠っている家族写真。9年という月日を得て、再び光が当てられている。

「ん、あっ、起きてたんだ」

 シンペが目を擦りながら起き上がった。

「あっ、ごめん、起こした」

「大丈夫。早いね」

「ちょっとだけ、リキを連れて散歩に行って来てもいいかな?」

「うん、別に構わないけど。僕も行こうか?」

「少し集中しようと思って」

「そっか、分かった」

 眩しい朝日が町全体を包み込んだ。それと同時に青い空が現れた。その下でリキが、かけ兄をグイグイと引っ張っている。しばらく歩くと川沿いに出た。ずっと先には、高層マンションが並んでいる。母は、まだ寝ているのかな。もしかしたら、かけ兄みたいに寝付けなかったかもしれない。

 かけ兄が急に立ち止まった。どうしたんだろう。リキが必死に紐を引っ張っている。諦めたのか、それとも力尽きたのか、その場に座り込んだ。かけ兄の見つめる先に、牧原浩次がいた。今日は、ジャージを着ていない。探偵らしく目立たない格好だ。彼もまた、何かを見つめていた。川の反対側だ。誰かが、同じ場所を往復しながら走っていた。修二さんだ。3人が見つめる先には何があるのかな。守りたい。守られている。守れなかった。たくさんの想いが絡み合っている様にも見える。

 かけ兄は、来た道を引き返した。シンペの家へ戻ると、明け方の静けさは無くなっていた。日曜日なのに、咲さんが忙しく動いている。きっと、かけ兄が来ているからかな。シンペは身支度を済ませ、ビデオカメラの確認をしていた。

「あっ、翔、直ぐに出るよね。朝食は、公園で食べよう」

「うん、ありがとう」

 かけ兄は、シンペの優しさを飲み込んだ。こんな日に、みんなで朝食なんて無理があるよね。人の深い思いやりは、心へ届けられる。受け取った思いやりは、消えずに蓄積されて行く。そして、自分自身でも使う事が出来る。そんな心のリサイクルにより、周りの環境も変わってくるかもしれない。

「それじゃ、行って来る」

「こんな早い時間に行かなくても」

 玄関先で慌てている、シンペを見ながら、咲さんが言った。

「朝の公園で食べた方が気持ちいいから」

「そうなの。はい、これ、朝の弁当」

「ありがとう」「ありがとうございます」

 かけ兄は頭を下げると、シンペの後に続き表へ出た。

「天気は、僕達の味方だね」

 シンペの嬉しそうな言葉に対して、かけ兄が「うん」と短く返した。まだ、緊張しているのかな。

 ふたりの自転車が、港ヶ池公園へ入って行く。まだ、朝の7時30分。子供の姿は見えない。ジョギングや体操をしている人達がいるだけだ。ふたりは、ベンチに座り朝食を食べている。サンドウィッチみたいだね。おいしそう。

「やっぱり、アメリカの大学へ行くのか?」

 シンペが、心配そうに訪ねた。

「半年前までは、就職しようと思っていた。今は、真剣に写真と向き合いたいと思ってる。どうして、アメリカなのかと言われれば、正直、分からない部分もある。只ここから、逃げたいだけじゃないのかと思う時もあった。でもやっぱり、自分の眼で違う世界を見てみたいんだ。前は、こう思っていた。所詮、写真なんて、2次元の世界だ。3次元みたいな広がりなんて作れない」

「今は違うんだ?」

「少し抽象的な考えになるけど、人間は心の中で、3次元、いや、無限の広がりを創造できる。それって、すごい事だと思う。そんな世界を写真に残したい」

「初めて聞いたかもしれない。翔が、何かに挑戦したいなんて」

「そうかもしれない。慎平こそ、どうするんだよ」

「僕は、工学部に進むよ。やっぱり、物を作る事が楽しい」

「そっか。じゃ、ここで約束しよう。慎平が開発した物を、僕が写真に残す」

 2人の拳が、ぶつかった。何か、私の入る隙間が無い。

 

 かけ兄は、何度も時間を確認しながら、待ち合わせ場所に立っていた。たぶん私が倒れていた場所の近くだと思う。手には、サッカーボールを持っている。あの日、私が持っていた物と同じデザインだ。一週間前に、インターネットのオークションで落札したみたい。時より吹く冷たい風が、雑木林を揺らしている。これなら、シンペが隠れていても大丈夫みたいだね。雲の隙間から太陽が顔を出した。遮る物が何も無い場所を、ステージの様に照らしている。今から始まる物語は、かけ兄の考えたストーリーになるのかな。それとも、誰も知らない物語が生まれるのかな。かけ兄は、ひとつしかない入り口付近を見つめていた。そこに人影が見えた。ゆっくりとした足取りで美紀が近づいて来る。

「おはよう」

 先に声を出したのは、かけ兄だった。

「おはよう、晴れて良かったね」

「うん」

 そこで互いの言葉は止まった。別に言葉が見つからない訳では無いと思う。互いの気持ちが、痛いほど分かる。そんな叫び声が、聞こえてきそう。言葉に対して、言葉が生まれるかもしれない。でも、言葉に出来ない言葉だってあると思う。2人は、そんな互いの言葉を黙って吞み込んでいた。

「もう、そろそろかな」

 美紀の消えそうな声と同時に、修二さんの姿が見えた。修二さんは途中、美紀の存在に気付き立ち止まった。怪訝そうな顔で、2人を見つめている。美紀は、申し訳なさそうに手を振った。それを見て再び歩き出したが、足取りは重そうだ。

「どうして、美紀がここにいる?」

 修二さんは美紀を見ている。少し怒り口調だ。

「あっ、私は」

「ごめん。僕が呼んだんだ」

 美紀の弱弱しい言葉に、かけ兄の強い言葉が重なった。

「美紀には関係ない」

 そう言い放った修二さんの強い眼差しは、かけ兄が持っているサッカーボールを捉えていた。

「いや、そうでもないと思う。もう少し待ってくれないか?あと、2人来る予定になっているから。ん、来た?」

 かけ兄の言葉で、修二さんが振り返った。

「父さん?」

 修二さんの声は少し震えていた。美紀は、知っていたかの様に落ち着いている。牧原浩次の足取りは、以外にも速かった。思いがけない様な状況になっているのに、どうしてだろう。職業柄か、表情を隠すのに慣れているのかな。

「修二に美紀?君は?まだ状況が分からないな」

 牧原浩次は、3人の顔を順番に見ている。

「すみません。手紙を送ったのは僕です」

「君が?」

 かけ兄と牧原浩次の目が合った。

「はじめまして、朝比奈 翔といいます。朝比奈 小春の息子です」

「・・・そうか、何となく分かって来た」

「母も呼んであります」

「えっ」

 牧原浩次の驚いた声と同時に、かけ兄は入り口付近へ走っていった。母の声が、林の細道から聞こえて来た。かけ兄の名前を必死に呼んでいる。

「母さん、こっちだよ」

「あっ、翔、何なの、ここは?」

 母は、バランスを崩しながら、かけ兄の手を掴んだ。もう少し歩きやすい靴を履いてくればいいのに。

「ごめん、話しは後にして。みんな待ってるから」

「みんなって?」

 かけ兄は、掴んでいる母の手を引っ張った。母の顔が少しづつ険しくなって行くのが分かる。牧原浩次の顔が確認できる距離に近づくと、母の手は口元に移動していた。出て来る言葉を必死に塞いでいるのかな。ようやく、5人が顔を合わせた。私を含めると、6人になる。快晴の空とは対象に、どんよりとした空気が流れている。かけ兄は、4人から少しづつ距離を取り始めた。3メートルぐらい開き、4人と向き合う形になっている。そして「もしかすると、自己紹介の必要は無いかも知れないけど」と前置きしてから、自らの名前を言った。他の4人も、顔を見合せながら後に続いた。

「全ては、ここから始まった」

 かけ兄は手に持っていたサッカーボールを地面へ落とした。そして、脚で押さえ付ける様にしてボールの動きを止めた。

「9年前の6月3日」

 かけ兄の声が少しだけ強まった。

「今でも鮮明に浮かんで来る。まるで映画を見ているかの様に。日曜の昼過ぎ、僕が机に向かって宿題をしている。そこへ、妹の舞が来た。遊ぼうと言って、僕の腕を引っ張っている。あと1時間ぐらいで終わるから待ってろと、僕が言った。舞は飛び跳ねながら、港ヶ池公園へ行こうねと言った。僕が首を縦に振っている。宿題をしている最中も、僕の横で待っていた。僕が鉛筆を置くと、舞は直ぐに立ち上がり、サッカーボールを僕へ手渡した。舞が玄関前で、早く早くと叫んでいる。すると、僕が思い出す様に言った。あっ、イレブンが始まる時間だ。いいか、このサッカーボールは大切にしているから、しっかりと両手で持って、ここでちゃんと待っていろよ。舞が兵隊の真似をしながら、了解しましたと大きな声で言った。テレビ録画の予約を終えて、僕が戻って来た。そして、舞、舞、と呼んでいる。呼ぶ声が大きくなり、叫び声に変わって行く。僕が、全速力で走っている。港ヶ池公園に着くと、息が切れていた。ブランコ、砂場、ジャングルジム、シーソーの周りを探している。何処にもいない。そう現実を受け止めた時、真っ赤な夕日が見えた。僕が来た道を引き返している。脚が重く、ゆっくりとしか進む事ができない。僕が玄関のドアを開けると、母が待っていた。母の声が遠くから聞こえて来る。いったい、何時だと思っているの。あれ、舞は一緒じゃ無かったの。ねえ、聞いている。なぜ、泣くの。ねえ、翔どうしたの。僕が何かを言った。母が聞こえないと言っている。僕は、もう一度同じ言葉を言った。母は慌てながら、警察へ電話を掛けた。娘が、娘が、と叫んでいる。

「やめて、お願いだから」

 母が両手で耳を塞いでいる。その時、牧原浩次の手が動いた。でも、次の瞬間、直ぐに動きは止まった。

「ごめん、母さん。でも、逃げるのは、もう辞めよう」

 かけ兄は、心の叫びを言葉にした。受け止めなくてはいけない現実から目を逸らす。そうする事により、人は次の逃げ場を探さなければいけない。多少、居心地が悪くても、苦しいよりかはマシだろうと思ってしまう。誰も、苦しみの中に幸せが隠れているとは思わない。でも、かけ兄は、居心地の悪い場所から抜け出そうとしている。

「僕は、リビングのソファに座っていた。隣には母、目の前には、スーツを着た刑事がいる。優しい口調で、たくさんの質問を僕に投げ掛けていた。妹さんの服装は?白いシャツに半ズボンのジーパンでした。どこへ遊びに行く予定だったのかな?港ヶ池公園です。何か持っている物はあった?サッカーボールです。そんな風に30分が経った。質問が終わると、慌てる様に刑事達が出て行く。お腹が空いたでしょうという母の言葉に対して、僕が首を振っている。僕は自分の部屋へ移動した。電気も付けずに、体育座りをしながら俯いている。お腹が鳴っているのに、どうしてか食べたいと思わない。今日の出来事が、頭の中をグルグルと回っている。舞の笑顔が何度も浮かんで来た。また、勝手に涙が出ている。時計の針が何度も何度も回転している。部屋の外が騒がしい。僕は急いで部屋から出た。さっきの刑事達が戻って来ている。何だか、母の顔が険しい。母が、僕に近づいて来る。そのまま抱きしめられ、母が何かを言った。その言葉だけが思い出せない。天国へ行った。消えて亡くなった。そんな風な言葉を言ったのかな」

 かけ兄は一瞬、母を見た。

「なぜか、僕の目からは涙が出ていなかった。さっきまでは、止め様としても止める事が出来なかったのに、なぜだろう。母の顔にも涙は無かった。本当に悲しいと、涙は出て来ないかも知れない。僕の中に、ひとつの考えが生まれた。僕が、アニメの事を考えていたから。僕が、サッカーボールを渡したから。僕が、目を離したから。僕が、僕が。僕という原因が、この結果を生んだ。この考えは、ずっと消える事が無かった。でも・・・」

 かけ兄は、足元のサッカーボールを見つめていた。そして、ポケットから写真を取り出しながら続けた。

「その考えが少しずつ薄れている。どうして今になって、この写真が僕の前に現れたのか。僕の中に、運命という非現実的な感覚が生まれた。僕という原因の中に、ひとりの少年が加わっている。いったい、この少年は誰だろうという疑問が膨らんでいった。そんな時、美紀という新たな運命が加わった」

 かけ兄が、美紀を見つめている。次は、君の番だよと目で訴えている。少しだけ沈黙という風が木の葉っぱを揺らした。美紀は、修二さんの方を見て、ごめんね、お兄ちゃんと、小さな声で言った。

「その写真を初めて見た時、驚きと一緒に変な懐かしさが蘇って来た」

 美紀は、誰とも目を合わさずにいた。まるで、私へ向かって話し掛けているみたいだった。

「その少年が、兄だって事は、写真を見て直ぐに分かった。9歳の兄が、所属していた少年サッカーチームのユニフォームを着ている。そして何より、ここの場所。全てが、私の記憶に残っていた。当時、父の仕事は警察官で、とても忙しかった。あまり、家にいた記憶が無い。それでも、兄と行う、サッカーの練習だけは大切にしていた。今思えば、そんな時間が羨ましかったかもしれない。この場所は、2人にとって秘密の練習場だった。私は密かに、その事を知り、いつも見ていた」

「美紀、それじゃ、この日も、ここへ来ていたのか?」

 修二さんが驚きながら言った。それに対して、美紀が首を振っている。

「少し遅れてから行くつもりだった。でも、お兄ちゃんは、いつもより早く家に戻って来た。そして、あの日以来、ここへ」

「もういい、美紀、やめるんだ」

 牧原浩次が、初めて口を挟んだ。

「どうして?何か、やましい事でもあるの?」

 美紀が、父親を睨んでいる。

「そうじゃない。お前は、兄を信じられないのか?」

「もういいよ、父さん」

 修二さんが、拳を握りながら叫んだ。

「何を言っている。お前は何も心配しなくても良い」

「父さん、もう僕は、小さな子供じゃない。自分の事は自分で決める」

 そう言って、修二さんは、かけ兄を見た。一瞬で眼と眼が合う。そして、かけ兄は足元のサッカーボールを軽く蹴った。それを、修二さんが受け止めている。

「あの日、サッカーの試合を終え、家へ戻ると、直ぐに父から電話があった。いつもの場所で待っていてくれ。その一言だけを受け取り、ユニフォーム姿のままで家を出た。そして、いつもの道を通り、この場所へ向かっていた。知ってると思うけど、住宅街から工場の路地を抜けると、雑木林の入り口付近に出てくる。当然その日も、そこを通った。その道は、緩やかな坂道になっている。丁度、工場付近に差し掛かった時だった。住宅街の方から、ボールが転がってきたんだ。直ぐに、サッカーボールだと分かった。そう、これと同じデザインだった」

 修二さんは、足元のサッカーボールを軽く蹴り上げた。

「俺は何も考えず、そのサッカーボールを掴んだ。それから直ぐに、この場所へ来た。すると、俺の背後で叫び声がした。振り向くと、小さな女の子が立っていたんだ。そう、その写真の子に間違いない。その子が、大きな声で言ったんだ。そのボールを返して下さいと。そして、俺は信じられない言葉を返してしまった。君の、ボールだという証拠を見せろと。その子は、負けずに俺の方へ近づこうとした。焦った俺は、思わず、ボールを蹴ってしまった。でも、軽く返したつもりだったんだ。次の瞬間、信じられない光景が目の前に現れた。その子が地面に倒れていたんだ。自分でも、はっきりと憶えていない。ボールと地面ばかりしか見ていなかったから。当てたという感覚は、まったく無かった。でも、倒れていたという事は、蹴ったボールが当たってしまったのだろう。どうしていいか分からなかった。そんな時、父が来たんだ。俺は、只、泣いていた。父は、お前は心配するな、家へ帰っていろと言った。俺が、翔の妹を・・・」

「それは違う。お前は勘違いをしている」

 牧原浩次が首を振りながら言った。「何の勘違い?」と修二さんが返した。親子が見つめ合っている。

「あの日、父さんは家へ帰って来なかった」

「仕事で忙しかったんだ」

「次の日、俺は学校を休んだ。放課後、心配した友達が家へ来てくれた。その時、友達が言ったんだ。昨日、港ヶ池公園で、少女の遺体が発見されたって。俺は、怖くてたまらなかった。父さんは、何も教えてくれなかった」

「お前には、関係が無かったからだ」

「関係が無い?どうして、そんな事が言えるの?」

「お前が蹴ったボールは当たっていない。しかも、妹さんが亡くなったのは、ここでは無く、あそこの池だ」

 牧原浩次は、池の付近を指差した。雑木林に隠れて、池は見えない。

「修二が、この場所から立ち去った後、あなたは何をしたんですか?」

 かけ兄の鋭い眼と言葉が、牧原浩次へ突き刺さった。全員が、彼の言葉を待っている様に見える。諦めたのか、それとも何か狙いがあるのか、彼が重い口を開いた。

「あの日、私は仕事の合間を縫って、ここへ来た。仕事の疲れからか、体が思う様に動かなかった。確か、3日間ぐらいは家へ帰っていなかったかもしれない。そのせいもあってか、初めは自分の眼を疑ったよ。修二の横に、小さな女の子が倒れているのを見て。私は急いで女の子に駆け寄り、容態を見たんだ。意識は無かったが、呼吸はしていた。それから、修二を先に家へ帰らせ、直ぐそこの港南署まで車を取りにいった。息子を守らなければいけないという、父親の本能みたいなものが働いたかもしれない。いずれにせよ、自分が警察官だという事は忘れていた。そして、工場付近に車を止め、ここへ戻って来た。その間、約30分ぐらいだった思う。一瞬、戻って来る場所を間違えたかと思ったよ。女の子の姿が、どこにも見えなかったんだ」 

「そんな馬鹿な」

 かけ兄の、唸る様な声が聞こえた。

「本当だ。嘘では無い。その時、ひとつの考えが頭をよぎった。もしかすると、意識が戻り、家へ帰ったかもしれないと。あの時は、そんな都合のいい解釈しかできなかった。でも、それは大きな間違いだった」

「そうですよね。その時、既に妹は亡くなっていた。あそこで」

 かけ兄は、池の付近を指差した。でも、視線は牧原浩次を捕らえている。それを無視するかの様に、彼は話を続けた。

「しばらくしてから署へ戻り、間違いだって事が直ぐに分かった。ホワイトボードに写真が貼られ、こう記されていた。今日の4時頃、港ヶ池公園周辺で、朝比奈舞、7歳が行方不明。誘拐の可能性も視野に入れ、捜索中と。そして、最悪な結果が待っていた」

「どうして、ここで起こった事を隠していたんですか?修二の為だけですか?本当に、車を取りに戻ったのですか?分からない事だらけです」

「翔、あなた、いったい何を?」

 母には、かけ兄の疑問が分からなかった。でも、牧原浩次は少し違うみたいだ。母の言葉に続き「疑われても仕方が無い」と言った。彼の言葉に、母が従う。

「今でも後悔している。あの時、どうして冷静な判断が出来なかったのかと。でも、これだけは信じてほしい。私が、ここから立ち去った時、妹さんは呼吸をしていた。ここへ戻って来る間に、いったい何が起こっていたのか。私は必死になって調べた。しかし、何も見つからなかった」

「どう、信じれば良いのですか?あなたしか知らない事を。それとも、こう思っているのですか?意識を取り戻した妹は、サッカーボールを持って、雑木林に隠れている池へ向かい、滑って頭を打ち、そのまま溺死したと」

「翔、やめなさい」

 かけ兄の投げやりな言葉に向かって、母が大声で叫んだ。かけ兄が、母を睨んでいる。

「母さんは、どうして、この人をかばうの?好きだから?」

「えっ」

 誰の驚きだろう。母、修二さん、美紀、それとも、牧原浩次。

「まいったな。探偵が調べられるとは。隠しても無駄だな。小春さん」

 牧原浩次は、母に向かって、そう呼んだ。母は、肩を落としながら俯いている。その横で、修二さんと美紀が険しい顔をしている。

「でも、あっ、翔くんって呼んでもいいかな?返事が無いという事は、良しとしよう。私達の事と、事故の件については関係が無いと思うけどな」

「牧原さんって呼んでも良いですよね?そうでも無いと思います」

 かけ兄の冷めた様な言葉が、空気に混ざって行く。親しみの言葉が、かえって互いを締め付けている。

「どういう事かな?」

「あなたと母は、高校時代から知り合いだった」

「そうだな」

「いつ頃から、付き合っているのですか?」

「そんな事聞いて、どうするの」

 顔を上げた母が怒っている。牧原浩次は、それを手で遮った。そして。

「私は、事故の翌日から捜査に加わった。必死だったよ。自分しか知らない、身の潔白を証明するために。一週間後、捜査状況を伝える為に、朝日奈家へ向かった。本当に驚いたよ。約20年振りの再会だった。それが、あんな形で出会うなんて。正直言って、何を話していいか分からなかった。それぐらい、小春さんは憔悴しきっていたんだ。それからしばらくして、鑑識から変な意見を聞いた。妹さんの死因についてだ。窒息死だったという事は知ってるよね。でも同時に、頭を強く打ち、脳内出血を引き起こしていた。そして鑑識のひとりが、こう言ったんだ。脳内出血が起こったのは、もう少し前の時間かもしれないと。私は直ぐに思った。妹さんが倒れた原因は、これかもしれないと。仮に、蹴ったボールが当たっていたとしても、こんな硬くも無い地面では、脳内出血なんて起こらないと思う。もっと前に、どこかで頭を強く打っていたかもしれない。私は直ぐに、この事を上司に伝えた。しかし、決定的な証拠が無いと、検証はできないと言われたんだ。そして時間だけが過ぎ、捜査は打ち切られた。しかし、諦め切れなった私は、独自で調べる事にした。その事が上層部に伝わり、私は、自ら警察を去ったんだ。そして、私が知っている全ての事を、小春さんに伝えた。その頃からかな、私達の関係が始まったのは」

「そっか、母さんは知ってたんだ。何も知らなかったのは、僕だけか」

 かけ兄は自身を嘲笑うかの様に微笑んだ。大丈夫かな、かけ兄。そんな様子を美紀が心配そうに見つめている。

「別に隠していた訳じゃないわ。言っても、あなたが辛くなるだけと思ったの」

 何を言っても、言い訳に聞こえてしまう。それでも母は、息子を自分の方へ、手繰り寄せ様としている。

「そうやって、何もかも隠すんだ。僕と父さんの関係も」

「えっ、まさか、あなた?」

「うん、知ってるよ。僕は、父さんの子供じゃ無かった。舞とも血が繋がっていない」

「その事は、孝之さん、あなたの父親と相談して決めていたの。あなたが18歳になったら打ち明け様って。でも、あの人が亡くなって」

「別に良いんだ。もう、気にしていない。血の繋がりなんて、家族なんて、僕に取っては形式みたいなものだ」

「お願いだから、そんな事言わないで。2人しかいない家族じゃないの」

「その人がいるじゃないか。それに、本当なのかな。父さんが亡くなった後に、その人と付き合い始めたって」

「本当よ、嘘じゃない。事故の後、浩次さんは私を支え続けてくれた」

「僕は憶えている。病気だった父が、久しぶりに家へ戻って来た。その頃は何も知らなかった。家族で過ごす最後の時間だなんて。そんな時、父さんと母さんが何か、言い争っていた」

「それは・・・」

 母の言葉を待たずに、かけ兄が続ける。

「今年の夏休み中、僕は偶然にも、父の遺言書を見つけた。その中身を見て驚いた。生命保険の受取人が母では無く、舞になっていたから。それも、3億円という金額だった。その後、舞が亡くなり、保険金は自動的に母へ渡った。その時、ふと思ったんだ。この事が原因で、両親は言い争っていたのかなって。でも、母の影に牧原浩次という人物がいる事を知り、新たな考えが生まれた。もしかして、この人も関係していたかもしれないと」

「浩次さんは関係ないわ」

 母の必死な言葉も、かけ兄には伝わらない。

「私も元刑事だ。君が考えている事ぐらい分かる」

 牧原浩次の表情が少し変わった。そして、かけ兄を真っ直ぐ見ながら、こう続けた。

「こういう事かな。私と小春さんは、君の父親が亡くなる前から付き合っていた。病気の事も、保険金の事も全て知っていた。そこで、色々と考えていた。何とか保険金が、小春さんの元に入らないかと。きっと自分にも、その一部が入って来るからだ。そんな時、この場所で妹さんに遭遇した。意識は無い。知っているのは、自分の息子だけだ。誰も知らない場所で誰にも見られていない。このまま亡くなれば、事故死として処理され保険金が入る。しかも私は、この周辺を管轄している刑事だ。何かと都合が良い。そして、妹さんを池の中へ落とした。こんな感じかな。何か、安っぽい推理小説みたいだ」

「何か忘れていませんか?本間圭介さんです」

 かけ兄の眼は真剣だった。また、牧原浩次の眼も。

「もちろん知っていますよね。捜査一課の人間だったなら。僕は、事故当時の情報を詳しく知る為、港南警察署へ行った。でも、思っていた以上の事は聞けなった。なぜなら、当時の事を良く知る人達は、違う署へ移動しているか、既に退職していたんだ。そこで、退職していた刑事の名前と住所を聞いた。それが、本間圭介という人物だった。その後、新聞記者を偽り、彼に接近する事ができたんだ。もちろん、あの写真も送った。その中で彼は、こう言った。脳内出血が引き起こされた時間と、窒息しした時間に差があったと。そう、あなと同じ事を言った。さらにこうも言った。重要な事をひとつ思い出した。相棒だった先輩刑事に会って、確かめたい事があるから、3日後に連絡すると。僕は、彼の連絡を待った。でも、一週間が経っても、彼からの連絡は無い。痺れを切らした僕は、彼の家を訪ねた。そこで、彼の母親から衝撃の事実を知らされた。彼は自殺していたんだ。それも、僕が連絡をした次の日に。その先輩刑事とは、あなたですよね?牧原さん?」

「どうして、そう思う」

「あなたは、彼の葬式に出席していた。どうやって、彼が亡くなったという事を知ったんですか?互いに警察を退職し、何年も経っているのに」

「昔の仲間から連絡が会った」

「本当ですか?」

「何が言いたいんだ」

「本間圭介は、何かを知っていたと思う。それを誰かに確かめ様としていた。そんな人が自殺なんてするでしょうか?」

「彼は借金を抱えていた」

「知っています。それでも」

「それでも、私を疑っているんだね。私が何か秘密を握っていて、それで彼を」

「推測だけで物を言うのは辞めろよ」

 そう叫ぶと、修二さんは足元にあったボールを蹴った。ボールは、かけ兄の横を通過していった。きっと、わざと外したんだよね。修二さんが、かけ兄を睨んでいる。

「修二は、お父さんを信じているんだね」

「当たり前だろう。翔は、信じられないのか?自分の母親を?」

「信じたいよ。信じ様と思い、努力する自分が嫌いになる。人を信じるって、自然に湧き出て来るものなのか。それとも、自己暗示みたに、思い込む事なのか。たとえ、それが一方通行って分かっていても、進んで行くべきなのか。なあ、教えてくれよ」

「私には、翔先輩の気持ちが分かる」

 全員が美紀に注目している。

「私も父を信じたい。でも、信じられない。小さい時から、ずっとそう思っていた。もっと私を見てほしい。父の横には、いつも兄がいた。羨ましいと思うより、なぜだろうという気持ちの方が大きかった。兄が、サッカーを始めた時、私も始めたいと言った。きっと両親は、兄の真似をしているだけだと思っていたかもしれない。確かに、それもある。でも、もっと父に褒めてほしかった。そんな気持ちの方が、大きかった様な気がする。きっと、お兄ちゃんには分からないよ。両親に期待されるという事は、しんどいかも知れないけど、裏を返せば愛情に包まれている」

「美紀、お前」

 修二さんが、辛そうな顔で美紀を見つめている。

「私はいいの。でも、翔先輩の気持ちも分かって上げて」

「翔くんは何故、ここまでして妹さんの死因を調べているんだ。母親や友達を追い詰めてまでも知りたい事なのか。仮に事故死では無かったとしても、妹さんは戻って来ない。自身や周りを苦しめるだけじゃないのか」

 牧原浩次の言葉が重く伸し掛かって来る。

「僕は・・・ずっとひとりで苦しんで来た。その中で色々な考えが、生まれは消滅して行く。舞は苦しくなかったのかな。きっと冷たかったはずだ。僕の名前を呼んだかもしれない。その苦しみは死ぬと消えるのかな。僕の苦しみよりも大きいかもしれない。周りの大人達は、偶然が重なり不運だったとか言う。そんな簡単な言葉で、舞の一生を終わりにしてもいいのかな。そもそも、偶然とか不運ってなんだろう。何か起これば、そんな言葉で自分自身を納得させる。そこには必ず何かの原因があるはずなのに、見つからないと言って終わりにしてしまう。もしかしたら、目には見えないかもしれない。それでも、僕は舞の人生を考えてあげたい。僕の大切なボールを取り返す為に、ここへ来た。そして、ここにいる全員と何かしらの関わりを持った。そこから生まれた原因は、結果という形になると思う」

「その結果が単独の事故死だったとは思わないのか?」

 修二さんが、かけ兄の言葉に割って入って来た。

「ずっと、そう思っていたよ。でもそれは、自分自身の為だけだ。むしろ、自己暗示にみたいに自身へ言い聞かせてた。逃げていただけだ。修二は違うのか?父親の近くにいるのに遠く感じなかったのか?」

 修二さんの口から言葉は出なかった。それとも、かけ兄が本当の気持ちを代弁したからかな。

「僕は、もう逃げない。自分の気持ちを押し殺し、そこから出て来る言葉に意味はあるのかな」

 かけ兄の拳は少し震えていた。

「どうやらもう、みんな限界みたいだな」

 そう言って牧原浩次は、みんなの中心へ移動した。 彼の意味不明な言葉に、みんなが驚いている。そして、続けてこう言った。

「只、ひとつだけ約束してほしい。今から話す事は、全部ここで忘れてほしい」

「約束できるかな?」と再び彼は言った。流れる様に、みんなが首を縦に振っている。

「本当に久しぶりだった。本間、いや、圭介の声を聞くのは。信じてもらえないかもしれないから、これを聞いてほしい。職業がらか、彼との会話を録音していた」

 牧原浩次は、ポケットから携帯電話を取り出した。初めて聞く、本間圭介の声が聞こえてきた。

「もしもし、牧原先輩ですか?本間です」

「圭介か。久しぶりだな。元気にしてたか?」

「お久しぶりです。何とかやってます」

「どうしたんだ。何か、元気が無いな」

「先輩に大事な話があって」

「何だよ、あらたまって。せっかくだし、会わないか?」

「いえ、会うと決心が弱くなりそうなんで」

「決心?何だ、結婚でもするのか?」

「・・・・」

「おめでたい話では無さそうだな」

「先輩、憶えていますか?9年前、港ヶ池公園で、7歳の少女が亡くなった事故」

「もちろん憶えている」

「そうですよね。先輩は必死で捜査をしていた。これは、単独事故では無いと言って」

「今でもそう思っている。それがどうかしたのか?」

「事故があった日の朝。私達は、夜の張り込みで寝ていなかった。先輩は、上司に報告する為、署へ戻ると言った。そして私に、こう言ったんです。圭介は家へ帰って、少し仮眠を取れと」

「憶えて無いな」

「まだ続きがあります。迎えに来てほしいと言ったんです」

「俺が?家か?それとも、港南署までか?」

「違います。港ヶ池公園です」

「港ヶ池公園?」

「そうです。以前、迎えに行った事がありました。修二くんと、サッカーの練習をしていた場所です」

「なに、それは本当か?何時頃だ?」

「4時30分です。でも」

「でも、どうした?」

「時間を間違えて、早く行ったんです」

「圭介、お前、そこで何か見たのか?」

「・・・・」

「やっぱり、直接会って話そう」

「大丈夫です。私は、住宅街を抜け工場付近へ行くつもりでした。でもその途中で、とんでも無い事をしてしまったのです。クラクションを鳴らし、ブレーキも踏んだつもりでした。気が付けば、道路に横たわる女の子を見て動く事が出来ませんでした。すると、信じられない事が起こったんです。本当に一瞬の出来事でした。いきなり女の子が立ち上がり公園の方へ走って行ったんです。何が起こっているのか、全く分かりませんでした。まるで、夢でも見ている様な感じでした」

「本当に当たったのか?」

「はい。後から確認したら、ボンネットが少しだけ、へこんでいました。そして、工場の近くに車を停めた後に気付いたんです。迎えに行く時間が早かった事に。それから少し待った後、先輩を呼びに行きました。そこに、さっきの女の子が倒れていたんです。直ぐに状況を理解する事ができました。やっぱり、さっきの事故は夢じゃ無かったと。既にもう呼吸はしていませんでした」

「何て事だ。私が車を取りに行っている間に、そんな事が起こっていたのか」

「車を取りに行っていた?」

「そうだ。私が、あの場所に行った時、修二の前に、あの女の子が倒れていたんだ。そして私は、とりあえず港南署まで車を取りに行った。恥ずかしい話だが、息子の事しか考えていなかったかもしれない。でも、戻って来たら女の子は消えていた。あの時、私が直ぐに救急車を呼んでいれば、状況は変わったかもしれない」

「そうかもしれません。でも、私が原因を作り、結果を生みました。あの後、女の子を池まで運び、闇に葬ったのは私自身です。あんな冷たい所に」

「・・・・」

「先輩だけには、本当の真実を知っててほしかった」

「圭介、お前、いったい何を考えている」

「すいません。本様に有難うございました」

「今から直ぐ行く。工場からだろ?待ってろ、いいな、圭介、聞いてるか、おい」

 そこで、連絡が途切れたみたいだ。何だろう、この感じは?

「それじゃ、僕が、僕が、彼を追い込んだんだ」

 かけ兄の震える声が響いて来た。

「それは、絶対に違う。私は、電話を切った後、直ぐに彼の工場へ行ったんだ。小さな希望だけを持って。でも、着いた時には息絶えていた。何もする事が出来なかった。そこで彼の遺書を見つけたんだ。たぶん、私に見てほしかったのだろう。だから、連絡してきたと思う。本当に驚いた。50通以上は、あったかな。日付を確認すると、9年前から書き続けていた事が分かった。彼は、長い間ずっと逃げ続けていた。誰かから追われている訳では無いのに。翔くの起こした行動は、正義だ。それは間違いない。彼は、正義に押し潰されたんだ。でも、これだけは分かってほしい。本当の悪人ならば、きっと逃げ続けると思う。彼なりに、正義と向き合おうとしていた。でも、最後は出来なかった。だから、君は何も悪くない。悪いのは、彼と私だ。そして君は、ここにいる全員に、真実の光を当て

てくれた」

 そう言うと牧原浩次は、修二さんと美紀の方へ歩み寄った。そして、「2人共、すまなかった」と頭を下げた。2人の険しかった表情が、徐々に薄らいで行く。

 母も、かけ兄の方へ近づいている。

「翔、大丈夫?」

「うん。ごめん、何か、いっぱい疑って。牧原さんにも謝らないと」

 母が、首を振っている。

「いいのよ。きっと私達が、あなたを此処まで追い込んだと思うから。それと、まだひとつ疑っている事があるでしょう」

「えっ、何だろう?」

「私と孝之さんが、言い争っていた内容の事よ。あの日、孝之さんは、私に言ったの。前の奥さんが、舞を引き取りたいと言っている。私は断固として反対したわ。舞の事も愛していたし、あなたの事も考えて。でも、彼は迷っていたの。たぶん、私達の子供では無かったからだと思う。そして、彼の決断は遺言書として残される事になったの。中身を見るまでは、本当に不安だった。さらに、なぜ前の奥さんが急に、舞を引き取りたいと言ったのか。その理由は、直ぐに分かった。彼女は、3億円の保険金がほしくて、孝之さんに話を持ちかけたの。もちろん、知らない振りをして。私は、保険金の事なんて何も知らなかった。私が考えていた以上に、孝之さんは舞を溺愛していた。これが本当の真実よ」

「本当に自分が情けないよ」

「舞に笑われるわよ。かけ兄、だらしないって」

 9年の間、ここに隠されていた真実が明らかになった。私は、やっぱり事故で亡くなったんだ。誰かに殺されてはいなかった。そして、家族みんなから愛されていたんだ。

 でも、なぜだろう。全てが明らかになっても、まだ気持ちが晴れない。かけ兄、美紀、そして修二さんは大丈夫かな。

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