第5話 最後の太陽
誰かがリクエストをかけたらしく、季節にぴったりの『ひまわり娘』という歌が、昼下がりの空に響いた。ゆるやかな風が、日を照らし返す葉をくすぐる。そして、花にも。
--そう、向日葵にも。花壇のそれらは、今まさに太陽に向かって開いていた。
おせじにも太い首や、大きな手のひら、とまではいかなかったけれども--花なんてここ数年咲いたこともなかった”ひまわり台”に、たしかに、たしかに、しっかりと黄色が生まれていた--。
にのべ駅長は、周りに水を打ちながら、じゅわりと立ちのぼる
ここ数日、駅の中がちょっとさわがしいことも違った。待合場所の壁一面に、保育園の子供が描いた、駅舎やら電車やら、ヒマワリやらの画用紙が貼りめぐらされていた。お世話になりましたありがとうございましたと、お礼のお菓子を持ってくるおばちゃんもいて、テーブルとポットを置いてみんなで食べてもらえるようにした。入場券を買いに来る人も多くて、たくさんの固い板紙に切りこみを入れた。
でも、電車に乗り降りする人の数までは変わらず、ここも21時頃にもなれば、ひっそりと静まるのだった。
疲れたあごを伸ばした。あんまり考えたくなかったけど--この駅が、あと何日で終わりだとかを思うと、何度も鍵をかけたか見に行こうとしてしまった。
ずっと『ひまわり台駅』に勤め続けた「にのべ駅長」は、誕生日までのしばらくだけ、ニュータウン駅の相談役として窓際の席に座る。無遅刻無欠席を表彰する、ピカピカの金バッチをもらったけれど、まだ胸にはつけていない。
クリーニング屋のおっちゃんが、明日着る制服を届けに来てくれた。向日葵たちが笑って迎え、手を振って見送った。とろとろと軽ワゴン車が行ったあと、にのべ駅長はふうと、いっしょに過ごしてきた壁にもたれてみた。
* * *
その日は、電車好きなおじさんたちが、カメラと三脚を持って続々と駅舎に乗り込んできた。ホームにがちゃりとそれを組み立てて、ガタゴト入ってくる電車をバシャバシャと撮り始める。
「--んあ?」
明け方の空が夏らしい色に変わり、朝の仕事を一通り済ませてから水まきをしようと花壇に向かったにのべ駅長は、こどもたちが倍々に増えていることに気づいた。
駅に来る人来る人がその花を持っているのだ。
電車に乗らないでも、ひまわり台駅を通りかかる人が一つ、また一つと、向日葵を捧げてゆく。
やがて、駅の入り口をうめつくし、ホームにもプランターが置かれた。ここに屋根があったなら、ほんとうに花のトンネルも作られたかもしれないくらいだった。花のにおいが、セミがじりじり鳴く時間ととけあっていった。
「まさかこんなんになるとは--ヒマワリだらけや」
強い日ざしすらも、やわらかく駅舎に届く。駄菓子屋のおばちゃんがお茶を入れてくれた。
「みんな、こっそり育てとったみたいやねぇ。『ニュータウン』の改札前でも、種を配ってたて、娘が言うとったわ」
「なんと、……、」
にのべ駅長は、せんべいが詰まりそうになって、その先を言えなかった。
駅舎の窓枠が甘いオレンジ色にとろり溶けてゆく。
ニュータウン駅と桜丘駅からやってくるイチマルサン系電車は、『ありがとうひまわり台駅』というヘッドマークをかけて、黄色い笑顔の絶えない駅に入ってくる。
ブレーキの音が、風に刻まれる。
ひまわり台駅は、いま。
あでやかに向日葵をまとう本当の景色を、取り戻した。
* * *
21時35分。
ニュータウン駅からぴたり30秒と早くも遅くもなく電車が到着した。にのべ駅長の手は、変わることなく--『最終電車』を、見送った。
駅長室に戻り、日誌を書いてから、すっかり古くなった椅子にぎしりと身体をまかせた。駅のシャッターを下ろすまであと何分か、を壁の時計で毎日繰り返してきたけど、それも、今日で最後。--ほんま、よう喋った。ばたばたしとったの--にのべ駅長は、まどろみそうになって、ゆっくりまばたきをした。
妙ににのべ駅長は顔がつるつるするなと思った。きびすを返すとその足もかろやかで--あれぇまだこんなに明るかったんかぁ、とつぶやいた声も若々しくはじいてくる。
ホームでは学生や会社員が何人も、まっさらなベンチに座ったりして、イチマルゴ系の電車が来るのを待っている。真っ白な待避線を踏んで遊ぶ子には、あぶないあぶないぞと旗を出す。
こぼれ落ちそうなほどの人と、おはようおはようとあいさつをきりなくしていたら--朝もやの中から赤いラインの目立つイチマルゴ系が見えて来た。--あれぇ、なんで朝やねん? それにイチマルゴなんか、今ないぞ?
ああこれは、もうだいぶ前のことを--思い出してしもてるんや夢見とるみたいに。まだヒマワリもようけ咲いとるし、駅員のタッちゃんもいる。売店のヒロミさんは牛乳ビンを運んどる。--なつかしいなあ、ほんまなつかしいなあ。
あっという間、やったなあ。
おもろかったなあ。
ああ、待っといてや、イチマルゴ。
もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、とまっていてくれい。
停車してくれい。
……時間、止めたってくれい。……
急に、乗客の笑い声がとり巻いてきた。
おっちゃん? 駅長さん? どないしたん?--のぞきこむ女の子がいる。
ああ大丈夫やで、気いつけて。ホームから落ちんようにして--と口をぱくぱくさせるけど、ざわめきしか聞こえない。
それは風になり、足もとの雑草を揺らし、--黄色になった--。
変な夢はもうすぐ終わって、目が覚めるのだ、とにのべ駅長は感じた。
いや、あかん、まだ職務中や!
はっとして、靴をはき直す。
”ガトン”
はたして、たてつけのすっかり悪くなったガラス戸を押すと、待合場所のほうで2つ3つの人影がゆらいだ。
肩で息をするコクテツ社の制服が近づくと、影たちは向きを変えた。どこかで見たことがあるような、無いような。数え切れない人々をここで送り出し迎え入れてきたから今までずっと。
「あの、駅を閉めますので、すみませんがお客様は--」と口を開こうとしたら、一番手前にいた女の人が、小さな箱を渡そうとする。
「駅長さん。おつかれさま。ありがとう。--これ、ラジオをきいてくれたみんなから--」
「--は、ハガキ?」
「入り口のヒマワリがな、”満開のとこ見たい”て、あたし言うてたの覚えてへんかなぁ?」
次にコツリと固い音がして、じゃらじゃらとキーホルダーがいっぱいついたピンク色のハンドバックが--そんなカバンを持った人が近づいてきた。
「駅長さん雨の時はたすかったわ。--でもこんなええいやしの場所があるんやったら、もっと何べんでも来てたらよかったわぁ」
そして、たくさんの絵を見ていた若い男女は、深々と頭を下げた。
「駅が無くなるまでに、ここを見といてもらいたい思て、連れてきました。--今度、結婚するんです」
「あ、ああー……
わざわざ遅くまで、ありがとうございます--でも、そろそろ、閉めやんとあかんのですわ--」
さっきの夢のせいで、口元がふらついていた。
昼間、せんべいといっしょに引っかけた言葉の続き--駅のこと、人のこと、ごたごたしたこと--自分のこと。
ちょうど、あの奥にある並んだヒマワリの、左から3つ目、うつむきかげんのものと気分が似ている。それをブチリと抜いてしまえば、それともこちらに無理矢理ねじれば、すっきりするかもしれないと、言葉を開こうとした。
よく見れば、右から2番目のやつも、斜め上にそっぽを向いている。となりもそのまた横も、あちこちバラバラ。--まっすぐ見ていてくれているものなんて、ほとんど無かった--口がうまく動かせない。
でも、花はちゃんと咲いているのだった。
たまたまここへ持ち寄られるまでにも、どこかで、きれいに、素敵に、咲いていたはず。
にのべ駅長は、ぐるりと向日葵を--ひとりひとりの「客」のひとみをじっと見て--、制帽をかぶり直した。
顔をくしゃりと曲げて、この駅のことを覚えていてくれた、また来てくれたひとびとへの気持ちも、嘘をつかずにはっきり、言った。
「みなさん、--ありがとう--」
花びらが、わずかな風に、少し動いた。
* * *
翌朝から、コクテツは時間という有利な武器を手にした。
ラッシュ時には10分間隔で超新快速がニュータウン駅を出て、ひまわり台駅からの電車を待ち合わせなくてもよくなった桜丘駅を時速100キロで通過する--オオサカセンター駅まで、25分あまり。それはどの他社路線よりも、抜き出た速さだった。
たくさんの通勤通学客が、朝の風にしまる鉄筋のニュータウン駅から、今日を始める場所へゆくためニイニイサン系の車体に乗り込む。
どんどん加速する窓辺の風景。
いつからか--南側の遠くに、毎年夏場になると。
満面に咲き乱れる向日葵の色が、弾丸になろうとする車内からでもはっきり見えるようになった。
かつてそこには。
ひまわり台という、駅があった。
<終わり>
終点ひとつ前ひまわり台駅 最後の太陽(はな) なみかわ @mediakisslab
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