物語全体を通して語られるのは、結局のところ、怪病を患った1人の男性が廃墟へ向かい、奇妙な体験をする話。
だがしかし、純文学のような語り口で語られる丁寧な描写は読者の心にいともたやすく写し出す。幻想さと入り混じり、独特の世界観を醸し出している。匂いに至るまで想像できる文章力と、正確な描写を描いたのち、男の目を通してみた比喩表現を重ねる手法は是非とも真似したい。
反比例するように、男性の心理描写は漠然としたものが多い。そのためか、非常に感情移入がしやすいのだ。「惹きつけられるものがあった」「うまく言い表せないが」「何かが足りない気がする」など、明確な答え、理由を提示しない書き方が読者の想像に自由を与えているのだろう。
これからこの作品を読む方は、程よく空虚に語られる主人公に自身を重ね合わせ、美しくも少し不気味な、奇妙な世界観に身を委ねてみてはいかがだろうか。
皮膚の病に苦しむ様子から始まり、カメラを与えられたのがきっかけで写真が楽しみとなっていく様子が室内から夜の屋外へと移り……一枚の絵に引き寄せられて行く経緯が、非常に堅実で丁寧な描写で描かれ、すっかり物語に乗せられてしまいました。
何故、ではなくいかようにそこに引っ張られていくのか、という点で非常に巧みな物語でした。屋敷で徐々に朝を迎える場面や、ドクダミやアトリエの匂いなどへの言及も作品に奥行きを与えているように感じます。
ラストも一般的なオチではなく、表現者の心の中に潜む『深淵』に気づきながらもひとつ高みに上ったような結末で、とても好感が持てます。自伝なのだろうか、と少し感じました。そのくらいリアリティがありました。