ソーレディの歌 - Unsung suns Lovesong -

糾縄カフク

ソーレディの歌 - Unsung suns Lovesong -

          わたしのことを食べて下さい

          わたしの命がおいしいうちに

          わたしのことを愛しいうちに




 魔王の一隊がキャラバンを襲い積み荷を奪った時、少女はその中に居た。

 恐らくは奴隷だろう。餌の匂いに釣られ簒奪こそしてみたものの、酷く痩せこけた、およそ今食べるには値しないといった子どもたちが、どの馬車からもどの馬車からも転げ出てくる。彼女もまた数多いる積荷の、最初は単に餌の候補に過ぎなかった。


 ソーレディ・メザノッテ。沈まない太陽と名乗った少女は、かつては艷やかだったろう色の抜けた金髪ブロンドをなびかせ、包帯で覆われた目を魔王に向けた。


 肌は夜を照らす月の様に白かったが、だからか残された傷跡は一層に赤く際立つ。いくつものムチ打ちや切創、そしてケロイド状に爛れた焼印の跡が、蛇状の螺旋となって細い身体を取り巻いている。四肢のあちこちには隷属を示すピアッシングがなされ、本来は情交と繁殖の為に用いられる部位はグロテスクに、およそ見た目の年齢とは掛け離れた形状に変容を遂げていた。


「どなたかは知りませんが、助けて下さって、ありがとうございます」

 ここでは助ける、という表現は正しく無い。なぜなら魔王の目的は、積み荷であった彼女たちを食べる事だったのだから。


「助けた訳では無い。食べに来ただけだ」

 魔王は答える。そもそもが異形。竜骨を思わせる禍々しいマスクに、隆々の肉体を黒い外套で包んだ威圧的な外貌。多くの子どもたちは彼らが魔族である事を寸時に理解し、助けを請い、或いは逃げようとし取り押さえられ、また動けすらせずに絶望の眼差しで打ち震えるのみだった。にも関わらず、この少女だけは恐れも無く、それどころか感謝の言葉さえ宣っている。これには魔王も困惑した。なぜなら幾千年の繰り返しの時の中で、このような事を言われたのは初めてだったからだ。


「どこへ行っても同じ事です。お食べになるならご自由に。もう散々食い散らされた、食べるにはだいぶ汚い身体ですけど」

 なるほど、相手の姿が分からぬから、同じ人として臆せずに接しているという訳か。――だがいずれにしても、このまま食べるのは実に至難だ。魔王は部下達を睥睨し、少女たちを本拠の城まで移動する様に命じた。翼竜と人が綯い交ぜになった風貌の魔王の兵士は、一人が片手に四人ずつの子どもたちを抱え、俄に颯爽と嬉々として城へ戻る。魔王もまた、目の前に座るこの少女一人を手のひらに乗せ、そのままに飛翔した。


「風が強いですね。空ですか、ここは」

「そうだな。空だ」


「お食べにはならないのですか?」

「今食べるには、お前は少々汚すぎる」


「ではどうするのですか」

「城で食事を摂ると良い。お前が肥えたら私が食おう」


「お優しいのですね」

「誰だって、料理はおいしく食べたいだろう」


「それでも十分、お優しいですわ」

「そんなものかね」


「そんなものですわ」

「ならば問うまい。お前は必ず私が食べよう」


 そして彼女は、傷だらけの身体に微笑みを浮かべ、始まりの言葉を告げたのだ。




*          *




 やがてソーレディたちは魔王の城の離れの庭、光り差す場所に集められ、そこで衣食住の満ち足りた生活を与えられた。


 それは例えば人間が一等の家畜を飼う様に、綿密に丹念に滞り無く、人により近い亜人たちの世話の元にとり行われ、骨と皮ばかりだった子どもたちはみるみる血色を取り戻し、朗らかな笑顔を満面に湛え始めた。かつての幌馬車の中では、考えられなかったくらいの、子どもらしい屈託のない笑みを。


「どうだね。少しは美味しくなったかい」

「貴方がおいしそうと思われますなら。私にはもう私が見えません。恐らく酷いなりをしているのだろうとだけ思います」


 丁度着替えの最中だったか、付き添う亜人がソーレディの目の包帯を外すと、ぽっかりと穴の空いた暗黒の眼窩が、魔王の前に姿を現した。


 どうやら少女は目に怪我をしていたのではない、眼球そのものを繰り抜かれていたのだ。


「ああ、風が」

 ソーレディは風の通り道となってしまった双眼の跡を、手で押さえ微笑んだ。


「おかしいでしょう。夜の無い空と名付けられた筈ですのに、わたしにはずっと夜しかないのです。それも真っ暗で、月明かりさえも無い」


 人間とは不可思議な生き物だと魔王は思う。魔族は確かに人間を餌にはするが、必要な時、必要な分しか食べはしない。一方で人間はそんな行為を残虐だと罵る癖に、平気で同族を犯し殺し、快楽の為の糧とする。いったい恐らくは美しかったこの少女を、どうしてここまで傷めつける必要があったのだろうか。魔王にはそれが分からず、ただ人の善悪の基準とその彼岸の不明に、暫し煩悶とするのみだった。




「ソーレディ。お前はなぜ斯様な姿になったのか」

 一寸置いて魔王は問う。


「罰ですわ。わたしの父が沢山の憎悪を背負ってしまいましたの」

 少女は幾分の悲惨すら顔に出さずに、真っ黒な穴を揺らし語る。聞けば彼女は、今は亡き王国の、さる姫君だったのらしい。


「こんななりですけれど、色欲を満たせる殿方はいらっしゃるのですわ。わたしが貴方の、せめて食欲を満たせれば良いですが」


 幽鬼の様に掴みどころの無い少女。或いは掴めば壊れてしまいそうな。それ以前にどこかがもう壊れてしまっている様な。今や答える言葉を持たぬまま、踵を返す彼の背中に、ソーレディが投げたのはいつもの言葉だった。

「わたしのことを食べて下さい。わたしの命がおいしいうちに、わたしのことを愛しいうちに」




*          *




 それから半年が過ぎた。

 あの日やって来た他の子どもたちは、もうとっくに魔族たちの餌となっていたが、ソーレディだけは一人庭に残されていた。


「どうだね。少しは美味しくなったかい」

「貴方がおいしそうと思われますなら。しかしどうして、わたしだけが食べ残されているのでしょうか」


「君がまだ食べごろではないからさ」

「わたしには分かりませんわ。しかしお役に立てないのでしたら悲しい事です」


「いいや違う。必ず私は君を食らう。だがもう少し後にしたいのだ。決して君が不味そうだった訳ではない。前言は撤回しよう」


 魔王にも説明はつかなかった。なぜ自分が、餌である筈の少女にこれ程までに思い悩むのか。そしてなぜ釈明にも似た言い訳をせねばならぬのか。千年を越す時の中で、こんな感情には覚えが無かった。




「――いったいどちらが幸せでしょう。

 終わりの無い迂遠の地獄と、幾許かの許された天国。

 十年の長い苦しみと、たった三日のささやかな幸福。

 宿の無い放浪の千年と、星おおう天幕ある十の日々」

 

 立ちすくむ魔王の側で、ソーレディは歌を歌った。意味は分からなかったが、水辺に足をつけ歌う少女の姿を、魔王はとても美しいと感じた。なんで斯くも美味しそうな料理を、一瞬で平らげてしまわねばならないのか。魔王はそれがとてもとても勿体無い事の様に思えた。




「願わくば、わたしは」

 真っ黒な二つの眼窩をこちらに向け、ソーレディは言った。


「この天国が天国であるうちに、せめて貴方のお役に立って生を終えたいですわ」と。


 魔王は内心で返した。本当は今お前がここに居てくれるだけで、十分私の役には立っているのだと。しかしその一言を、魔王は口にする事が出来なかった。


「心配するな。お前は必ず私が食らう。だから安心して美味しくなれ」

 するとソーレディは微笑んだ。魔王は未だかつて、こんなにも愛おしい笑顔を、見た事は無かった。




*          *




 ある太陽の沈まない夜。人間の軍が攻め込んできた。別段の不思議では無い。百年に一度はこういう事もある。なにせ魔族は必要な分しか人を喰らわないのだ。いずれやがて人の数は増え、奴らは徒党を組んで攻め入ってくる。その度に間引きをしては争いは沈まり、また百年の時が流れる。歴史はこの繰り返しだった。

 

 魔王は部下を従え、いつも通りの反撃に出る。無論こちらにも犠牲は出るが、それは魔族の数を一定に保つ為に必要な死だ。魔王とは自然の均衡を維持する為の調整役でしかない。魔王の考えはその程度だった。攻防は五分五分。正門の守備は盤石だったが、敵方に策士がいたのだろう。不意に裏手の、餌の居る庭のほうで火の手が上がった。


 ――ソーレディ。

 魔王の頭に過ぎったのはそれだけだった。参謀に戦線を委ねると、魔王は飛んで後方に引き返した。


 小さい石の礼拝堂は粉々に崩れ、人の放った矢の一本が、ソーレディの白い肌を貫いている。鮮血で赤く染まる彼女の姿は、白夜の太陽に映されて一層に輝いて見えた。


「ソーレディ」

 魔王が少女の肩を抱く。自然の理の到来を、或いは恐れでもする様に。


「……おいしいうちに、食べてくださらないから……わたしは……お役に立てないまま……命を終えてしまいますわ」


 血の気を失った、最早青白くさえある四肢を震わせ、ソーレディは呻く様に言った。


「馬鹿を言え。お前は十分に役に立ったのだ。見ろ。お前の血はこんなにも美味しい。だから、だから――」


 ソーレディの血を啜りながら魔王は言う。違うのだ。お前は私にとって必要な存在だったのだ。その一言だけを伝えられないまま。


「馬鹿は貴方ですわ……わたしには見えませんもの。ですけれど……お役に立てたのでしたら……それはそれはとても嬉しい……」


 少女の声がどんどんとか細く、弱いものになっていく。しかし魔王にはどうする事も出来なかった。なぜならこれが摂理だからだ。生まれ出た肉が土に還るだけだからだ。


「私の名はミレナリオ。ミレナリオだ。ソーレディ。答えてくれ。頼む。ソーレディ――」


 魔王は心なしか、自分の声もまた咽んでいる様に思えた。理由は分からない。胸の奥から溢れ出る、この怒涛の如く感情の名も。


「ミレ……ナリオ……わた……しは……」


 頬まで伸ばしたソーレディの手が、ぱたりと床に落ちて散った。そして魔王は、天を穿つ程の慟哭を叫び、その振動は大地と大気を揺るがした。

 

 人の言葉で言う憎悪。生まれて初めて魔王を駆り立てたのは、どす黒く全てを奪い尽くす復讐の炎だった。気がつけば人の軍はおろか、その先にある城や町すらも須く消し去り、灰燼と化した無尽の荒野に、魔王はたった一人佇んでいた。




*          *




 その先の時間を、魔王はもう覚えていない。

 食事を捨てた魔王の身体はどんどんとやせ細り、力も既に殆どが失われていた。


 人の時代は終わったろうか。或いは魔族の時代が終わったろうか。真っ白い世界の片隅で、魔王は空を見上げ座り込んでいた。


 ミレナリオ。

 千年の意味を持つ自身の名。


 もうそれだけの時は生きた筈だ。いや生きるとはなんだったろう。 

 まるで幾千年のうちの僅かな千夜の記憶だけが、自分の生きていた時間の様に魔王には思えた。




 ――ああ、お前の血が一番美味しかったよ。

 魔王は虚空に手を伸ばし、心の中で独り言ちる。

 

 ――それともあの時、私はお前を食べていれば良かったかな。

 彷徨う手は何も掴めず、幾度と無く繰り返された問いに答えは返ってこない。


 さわさわと風がそよぎ、その風に乗る様に、魔王の身体は白い欠片になって上天に消えていく。


 白夜。人間がそう呼ぶ、終わらない昼の、夜の無い空に、蝶の様に、かつて魔王と呼ばれたものの遺骸が、舞い上がって星々と戯れる。




 わたしのことを食べて下さい。わたしの命がおいしいうちに、わたしのことを愛しいうちに。


 おなかはもういっぱいさ。だって私は、君が側に居てくれるだけで満たされていたんだから。


 そんな声がどこからか聞こえてくる様な気がした。

 空には沈まない太陽が煌々と照っている。

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