一九九五年十月九日深夜、第三コミンテルン本部・メンテナンスルーム
ここ数日続く銃声に、怯えるように身を隠す。大丈夫だよとお父様が言う。気丈に振る舞うお母様が、いつもよりいやに小さく見えて、外では砲火と怒声だけが大きくなっていく。……もう少しでクリスマスだ。この国ではクリスマスは禁じられているけれど、お父様はこっそり秘密で、ケーキをどこからか持ってきてくれる……その日まで、あとほんの少しなのだ。だからきっと何もかもが終わって――、いつも通りのクリスマスがやってくるのだ。
それは一九八九年、十二月の記憶だった。さほど遠くはなく、されど恐ろしいほど非力だった頃の、幼い想い出。メンテナンス中に齎される擦り切れたフィルムのような映像が、呆れるほど繰り返し繰り返し脳内を巡る。
この記憶にハッピーエンドはない。訪れるのはいつもいつも、最悪で陰惨な、取り返しのつきようもないバッドエンドだけだ。このあと少女の邸宅には火炎瓶が投げ込まれ、押し寄せた暴徒の波が、少女の家族の一切と合切を殺し尽くす。
そうして少女は目を覚ます。無機質なカプセルの中で、無表情に、無感動に。涙は多分出尽くしたのだ。乾いた塩の跡を指でなぞって、これで自分はリセットされたと頷いて身を起こす。
チェネレントラ・パッヘルベルは、ロサ・カニーナを寝かしつけた後にメンテンナンスルームに足を運んだ。たった今それが終わったから、自室に戻ってもう一度寝なおそうとルームの外に出た。寝間着は白のミリタリーワンピース。可愛らしくはあるが作りは堅固で、いつ何時戦闘があったとしても、戦場に躍り出れる程度には設えられている。
「お疲れ様です、隊長。ティーはいかがですか?」
するとレクリエーションルームまで出た所で、声をかける影が一つ。微笑を浮かべてティーカップを掲げる、ヒンメル・ム・シュナイダーラインの姿があった。
「あらヒンメル……お休みにならなくてよろしいの?」
時計の針は、既に夜中の三時を指している。到着した
「いやあまあ……私はヴィータの中で十分寝ましたから。――はい、どうぞ」
そう言いながらヒンメルが差し出すのは、香りから察するにアップルティーだ。チェネレントラの故郷、すなわち此処ルーマニアでは、ティーが食生活の中心にある。各家庭ごとに市場で買った果物や花を、直接カップに入れて煮出すのだ。――それは勿論、チェネレントラの家も例外ではなかった……筈だ。
「ありがとう。頂きますわ……たぶん、懐かしい」
チェネレントラは思い出す。風邪で寝込んだ夜、ベッドの側までアップルティーを運んできてくれた母の事を。ただ、夢の中では瞭然としていた筈の両親の表情が、メンテナンスを終えた途端、全てが嘘だったようにノイズにかき消されてしまう。だからほんの一瞬呼び起こされた昔日の追憶は、胃に流し込まれたティーと一緒に、仄かな温かさだけを残して溶けてしまった。
「先程はありがとうございました。本当は私たちのうち誰かが起きていなければならなかったのに……隊長だけに負担をかけてしまって」
「お気になさる事はありませんわ。それが白服である
「はい。おやすみなさい、隊長」
一礼して去っていくヒンメルを見送り、チェネレントラはソファに腰掛けると、深く一息をつく。――そういえば確か、ヒンメルもまたルーマニアの、マラムレシュの孤児院で育ったのだった。だから彼女はルーマニア式のティーを淹れられるのだと……今更のようにチェネレントラは気づき、口元を緩ませる。
「――
独り言ち、ティーを飲み終えたチェネレントラは、今度こそはと立ち上がって寝室を目指す。あの日、灰に塗れて終わりかけた姫君の命を、救ってくれたもう一人のお義父様。その彼の元に帰ろうという意志以外に、今の彼女を支えているものはない。
エレベーターを降り、階段を登る。十二時の魔法が解けた灰被りの姫君は、今ではただの一人の少女だ。ミリタリーワンピースを脱ぎ、薄い白のネグリジェ姿になったチェネレントラは、既に寝息を立てるロサ・カニーナの隣に入ると、その手を握って安堵のため息を漏らす。
ここにいる少女たちは、皆が皆、世界から廃棄された人形だった。孤独に死にかけた根無し草だった。だから誰も彼も一人ぼっちで、埋めようもない飢えを堪えながら銃を手にとっている。戦場で舞って、名も知れぬ人の上に勝者として手を掲げ、そうしてようやっと自らの存在意義を証せるだけの空虚な亡霊。それが童話の騎士――、バタリオンアンデルセンと呼ばれる、兵士たちの全てだった。
テユベスクの歌 - The song of Te iubesc - 糾縄カフク @238undieu
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