第173話 我ら征くは星々の彼方
1953年1月8日
長崎県、水辺の森公園。
出島会館や美術館など観光名所が立ち並ぶ一角の長崎湾に面した公園だった。
その公園の一部と、埋め立て地とを合わせた広い敷地に建てられた、新観光名所、「長崎市戦艦武蔵
本来なら武蔵誕生の三菱重工の長崎造船所の付近にという話もあったのだが、様々な事情で難しく、交通の便の良いこの公園が選ばれたのである。
屋内は戦艦武蔵に関する資料が集められており、それ自体も観光資源ではある。
しかし、つい最近加わった展示の目玉はもっと話題を呼んでいた。
国防海軍艦籍簿から正式に除籍され、戦艦から記念艦となった「武蔵」であった。
多くの武装が使用不能状態にされた今でもなお、天を突くような偉容を誇るその姿は、長崎の街のシンボルとして定着しつつある。
なお記念艦となったのは、「武蔵」だけではない。戦後、「旧陸海軍戦争遺産保存法」が施行された結果、帝国陸海軍の兵器、艦船や航空機に関しては国が各自治体と協力して歴史資料としての保存を行うよう定められたのである。
「ずいぶんと久しぶりだな。佐世保に勤務していた頃を思い出す」
桐生はそんな事をつぶやきながら、タクシーの後部座席から路地へと降りたった。
数年前まで総理大臣の激務をこなしていたころはかなり痩せたものだが、ここ最近は作家としての執筆活動が忙しくおなか周りに肉がついてきている。
公園内を歩いて行くと何人かが桐生の姿に気づく。ただ、周囲にぴったりとついているSPが気になるのか、声まではかけてこない。
さほど歩かないうちに、武蔵を間近に見られる岸壁の一角に設けられた特設会場へとついた。会場のステージ部分には大型の液晶ディスプレイが設置され、大型スピーカーも何か所か設置されている。
いわゆるパブリック・ビューイングの用意が整っていた。
「これはこれは元首相閣下。この度はお招きいただきありがとうございます、とでも言うべきなのかな」
不意に話しかけられ、桐生は視線をさまよわせる。
相手の身長が低すぎて、声の主を見つけるのにやや時間がかかったのだった。
「菅生さんで良かったかな」
「ああ、そうだ。なに、あれから数年が経過しているからな、外見だけで判別がつかないのも無理はない」
そう言ってさも自信ありげに胸をそびやかしている菅生明穂を見た桐生は思わず固まってしまう。最後に会ったのが特殊戦略調査班の解散間近の会合だったが、あれからあまりに外見が変わっていないので、逆に驚いたのである。
ホルターネック・ドレスというある意味年相応のフォーマルな服を着ているのだが、身長が低すぎてある種の犯罪臭がする。
「ああ、まあ、そうだね。きみのような年の女性は変化が大きいからねぇ」
さりげなく目をそらしながら、心にもないことを言う。
「そうかそうか、まあそれは仕方ない」
満足げにうなずく明穂に、正尚は心中で苦笑いする。
「君のアイデアには感謝している。残念ながら公的な政府の記録に残ることはないだろうけどね」
「なに、相応の謝礼はもらっている。それに、作家として得がたい経験にはなった」
「執筆活動は、順調のようだね。私も一応物書きの端くれだが、まるで敵わないな」
桐生の本は自衛隊時代の体験や歴史研究に関する本など地味なものが多い。内容に比例して、発行部数はあまり多くはなかった。
「おかげさまでね。ああ、今日は編集君には内緒で出かけてきたのでね。テレビカメラにでも顔が映ってはたまらない。私は退散するよ」
そう言って手をひらひらさせると、明穂は人混みにまぎれていく。
「まったく、不思議なお嬢さんだ」
あきれ顔でその姿を見送った正尚は、大事な事を忘れていたことを思い出す。
そういえば、我が息子はあの大作家先生の大ファンだった。
「あとで、サインもらっておくか…色紙、は無理か」
テレビ局のクルーに声をかけられるまで、正尚はそんなことを思っていた。
「自己診断プログラム、最終チェックシーケンスを開始」
宇宙往還機「たいほう」のコクピットで、機長の森脇雄二は何度もシミュレーションで行った、発進前の手順をこなしていた。
森脇は戦後、国防空軍からJAXAへ移籍。何度かのテストをパスし、この「たいほう」の機長の座を射止めていた。
日本の情報期間は、米国が反応兵器を少なくとも数年後には実用化させるであろうという予測を立て、それを公表している。それに対して、日本政府が行った施策は二つあった
一つは反応兵器開発計画の推進。これはアメリカの反応兵器開発に対抗することを目的に進められている。満洲帝国での地下核実験は既に成功しており、来年初頭には実用化の目処が立つと言われている。
国民世論は二分されていた。しかし、米国の反応兵器が使用された択捉島とトラック島の記憶も生々しい。米国の核開発が進んでいる事から、今のところ賛成の声のほうが大きかった。
もう一方で進められていたのは、日本が進めている宇宙移民計画『
『一度目の世界』で米国が運用していた宇宙往還機「スペースシャトル」のデータをもとに改良されたとはいえ、おそろしく短期間で実用化された「たいほう」も、その『高天原』の一環であった。
格納庫には軌道上に建設が進んでいる日本の宇宙ステーションである『きぼう』の建設資材が納められている。
『きぼう』は、宇宙太陽光発電の実験施設、また月軌道上への中継地点としての役割が期待されていた。
彼らはここを拠点に、月面への恒久基地――いずれは都市を建設するつもりなのだった。
昨年末に米国に先駆けて実現させた月面着陸は、実のところ納税者向けの政治ショーでしかなかった。
「しかし、なんでまあここまで宇宙開発が急がれるんですかねぇ」
副機長がいささか暢気な声でたずねる。
「反応兵器搭載弾道弾を突きつけ合うという将来に耐えかねているんだろうな。一度目の冷戦はアメリカ様にお任せしていればよかったが、今度はそうもいかない」
森脇は液晶モニターに表示されている数値を眺めながら答えた。
「なにしろ、我々は四度も反応兵器に国土を灼かれていますからねえ。二度で十分なのに」
「反応兵器戦争になっても日本人が生き残るには、宇宙へ出るしかない。そんなところだよ」
「なんとも心温かくなる未来予想図ですな」
「もう一つは我々と、この1950年代の世界の人間とあまりに精神文化がかけ離れていることだろうな。なにしろ、アメリカですらまだ悪名高い
「パソコンどころか、スマホもないんですからねえ。まあ、わからんでもないですが…」
「つまるところ、日本人は宇宙に引きこもるほかないのさ」
森脇はこれぞ
副機長は渋い紅茶を飲んだような顔で黙り込んだ。
「ペリリュー・コントロールよりスカイレイダー、20秒後にカウントダウンを開始する。用意はいいか」
管制塔のオペレーターの無機質な声に、森脇の顔が引き締まる。
「
パブリックビューイングの液晶モニターに、白煙を吹きながら発射を待つ「たいほう」の姿が大写しになっていた。
カウントダウンの音声がゆっくりと流れ、観衆の目が期待に満ちていく。
「おじいちゃん、こんばんは」
急に話しかけられて振り返った正尚は、思わず相好を崩す。
まだ小学校に行くにはやや早いといった年齢でありながら、利発そうな男の子がなにかんだ笑顔を浮かべている。
「こんばんは」
にこやかに答えた正尚に、その男の子も屈託ない笑顔で答える。
「ほら、おじいちゃんに自己紹介しようね」
そう言って促したのは桐生の息子の正武であった。
父と同じ道を歩むのが嫌で、研究所務めを何年かしたあと自分で独立系の民間シンクタンクを立ち上げ、自ら代表を務めている。
とはいえ、軍人のような厳つい顔は父親譲りだった。
「きりゅう、まさしです。おじいちゃん、おひさしぶりです」
そう言ってたどたどしく挨拶をする正志を、正尚はにこやかに見守る。
見るからに高そうな望遠レンズを装着した一眼レフカメラを構えた正武は、孫と対話する父親を画面に収める。ついさっきまでは「武蔵」を撮っていたカメラだった。
「おじいちゃん、あのおふねはもううごかないの?」
正志は無邪気に「武蔵」の高層ビルを思わせる艦橋を指さして言った。
「ああ、そうだよ。もうあのおふねは動かないんだ。お役目を終えたからね」
思わず目頭があつくなるのを手で押さえながら、正尚は絞り出すようにこたえた。
「それじゃあ、しかたないね。ぼく、むさしにのってみたかったんだけど…じゃあぼく、あれにのりたい」
そういってゆびさしたのは、空へ向けてぐんぐんと上昇していく「たいほう」の姿だった。
その場にいるだれしもが、その無邪気な笑顔につられて顔をほころばせていた。
誰しもが未来とはかくあるべし、と思うような光景だった。
「そうか、そうか…乗れるさ、きっとな」
そこから先はもう言葉にならなかった。
あの時震からはじまったすべての厄災を乗り越えて、今ここに次世代を生きる者へと未来を手渡せたことをかみ締める。
正尚は、孫の頭を優しくなでてやった。
くすぐったそうにしている正志の笑顔に、その場の誰もがつられて笑う。
彼らが征くは星々の彼方。
そこがどうか、希望多き世界でありますように。
二度目の大東亜戦争―平成32年の開戦ー(カクヨム版) 高宮零司 @rei-taka
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