2-09『不和』
尾前臨は公園で寝ていた。
公園で寝ていた。
段ボールと新聞紙で拵えられた豪華なベッドの中で、公園で寝ていた。
思わず三回も繰り返してしまうほど、それは紛うことなき
……何をしてるの、この人。
「えと……永代? この人が……?」
「残念ながらね。――すみません、臨さん。起きてください!」
微妙に引き攣った表情を見せる津凪に、頷いて答えるしかない僕が嫌だった。
泊まる場所くらい確保しておいてくださいよ……。
「臨さん。緊急事態です、起きてくださいって!」
「……むにゃ」
「わあ。寝言で『むにゃ』とか言う人間初めて見たなぁー……」
あまりに幸せそうなその寝顔に、思わず溜息が出てしまいそうだ。
そんな場合じゃないことはわかっているのだが、しかしよく寝ている。結社に見つかったらアウトだってこと、ちゃんと理解しているのだろうか……。
仕方ない。あまり親しい間柄ではないけれど、なんならつい昨日まで敵だったレベルだけれど、緊急事態だ。身体に触るくらいのことは許してくれるだろう。
それ以上のこともしたし。
僕は臨の肩に触れ、その身体を強く揺さぶる。
「起きてください。……ちょっと。臨さん?」
「むー……」
不満げな呻き声が聞こえた。
「何よぅ、もぉ……昨日遅かったんだからもう少し寝か――」
目が合った。
ぱちくり、と臨が目を瞬かせる。僕は笑みを作って、
「おはようございます」
「――ひゃああああああああああああああっ!?」
臨は叫んだ。
「真っ昼間から公衆の面前で悲鳴あげるのやめてくださいよ……」
「な、なっ……鴻上永代!? なんでここにっ!?」
「悪いですけど、いちいち説明しているような暇はないです。緊急事態なので」
慌てふためく臨は割と面白かったが、そんなことを言っている場合じゃない。
ついでに言えば、さきほどからなぜか黙り込んで、怪訝な視線を僕に向けている津凪にも言及している時間はなかった。なぜそんな目で僕を見る。
「寝起きで寝不足かもしれませんが、聞いてください。鶴羽が街を出ようとしています」
「え――」
「自分の意志で、だったらいいんですが、そのルートがどうにも怪しいんです。確認しに行くのでついて来てもらえますか。会うつもりなんでしょう?」
「どういうこと?」
さすがの臨も、この報告には眠気が覚めたらしい。視線を鋭くして僕に訊ねた。
僕は、さきほど電話で透から聞いた情報を、そのまま彼女に伝える。
「……この街には地下道があります。表向きには隠されていますが、これはそのまま外まで続いている。知ってますか?」
「いや……知らないけど」
ということは、臨の侵入経路は地下道ではなかったのだろう。
そんなことを認識しつつ続ける。
「鶴羽がそこにいます。理由はわかりません――が、そもそも鶴羽がそれを知っていること自体が考えにくい。何かの事件に巻き込まれたと僕は見ています」
「なんで、そんなこと……」
このとき臨が問おうとしたことと、おそらくは別のことを僕は意図的に答えた。
「――ちょっとした伝手で、結界術に長けた呪術師が知り合いにいまして。わかったのは彼女に聞いたからです」
「…………」
「僕たちはこれからそこに向かうつもりです。来ますか?」
「……当たり前でしょ」
まっすぐに僕を見つめて、迷うことなく臨は頷く。
「そのために、私はここまで来たんだから」
「では急ぎましょう、先回りします。――津凪」
「ん。こっちだ」
先導は津凪に任せてある。
彼女はまだこの街の地理に詳しくないが、一方で僕だって地下道の構造なんてほぼ知らないに等しい。
道に関しては、津凪の呪術によるナビゲート頼りだった。彼女はその特異性を無視したとしても、普通に呪術に長けている。――下手をすれば僕よりも、だ。
三人で、揃って駆け出した。
※
呪術師・
それは少なくとも、同僚・
その点で、仕事において実質的な相棒となっている奥崎の手綱を、世羅はよく握っていたと言えるだろう。戦闘狂、などと言えば安く易い響きになるが、実際そんな人間が呪術の存在する世界で、真っ当な組織に所属し続けていることは奇跡みたいなものだ。
その奇跡を、奇跡ではなく当然に変えているのは、ひとえに世羅の功績である。
実際、《結社》にとっても奥崎の戦闘能力は魅力が高い。彼が頭のおかしいバーサーカーとしてではなく、若手のホープとして輝かしい実績を残すことができているのは、世羅がその願望の向く先を制御しているからにほかならなかった。
世羅は理性的な人間だ。言い換えるなら打算的だとも言える。
合理的な彼は合理の極致と言える金が好きだったし、だから呪術師になったのはそれが最も稼ぐに適した手段だったからだ。
奥崎と組んだのも――発端としては、どちらかと言えば組まされたと言うべきだが――彼を上手く使うことで儲けに繋がるからだった。
だが。手綱を握っているということは、その管理から少しでも外れた瞬間に暴走する、という意味でもある。
今がまさにそうだった。奥崎が暴走したらしい、ということを聞かされたのだ。
だとしても、そのリスク自体は初めから含んでいたものだったし、いくら相方だからといって奥崎が犯したことの責任を世羅までが取らされることはない。
はずだったのだ。本来なら。
「――それ、ぼくに関係ないと思うんですけど」
だから一応そう言ったが、目の前の相手にそんな言葉が通じるなら苦労はない。
そもそもの話、奥崎と世羅を組ませたのが彼女だったのだから。
要するに、世羅にとって逆らえない、抗うことのできない数少ない相手が彼女である。
「関係ないことはないだろう。あの馬鹿のことはお前に任せる――確かに私はそう言ったはずだがな。そしてお前はそれを請けた」
「まあ、そう言われればそうですけど。だからといって、責任を取るとまでは言ってませんし、その必要がないことは確認しましたよね。するまでもないのに、わざわざ」
「そうだな。だから責任を取れとは言っていない」
嫌味交じりの世羅の抵抗など、彼女は軽く笑って流してしまう。
彼女は――井峯出水は常にそうだった。
権力も実力も揃って世羅を上回る。そうでなかったところで、そもそも人間として勝てる気がしない。
どちらが優れているとか劣っているとかいう以前の問題としてそうだった。単純に、苦手なのだ。彼女のことが。
これが規律にうるさいだけの人間なら、いくらでも出し抜く手はあったのだが。
「――今ならまだ握り潰せるから、責任など取らなくていいようにして来いと言っているんだよ、私は」
「前から思ってましたけど、……本当に滅茶苦茶だ。言ってる意味わかってます?」
「無論だよ。何、私もお前には劣るさ」
「いや、意味わかりませんから。適当にそれっぽいこと言っても誤魔化されませんから」
もっとも誤魔化すことなどせずとも、普通に正面から対応できる相手なのだが。
世羅は盛大に溜息をついた。こういうことが起きたら、なあなあで誤魔化してしまおうと思っていたのは、むしろ彼の側である。
今、彼がいるのは《結社》の本部ビルの一室。
何に使うのかわからないほど多くある会議室のひとつだった。目の前には井峯出水――六路木が誇る特別指定級呪術師の内、最も精力的に活動している女傑である。
そして、世羅にとっては不幸なことに、室内にはもうひとり人間がいた。ある意味では、出水さえ上回るほど世羅にとっては厄介な人間。
――御厨透である。
出水と同じ特別指定級にして、およそ六路木市内のあらゆる情報を一手に管理している結界使い。
彼女から、出水に侵入者の報告が上がったのだという。
「――わたしからもお願いさせてもらうよ、世羅さん」
入口の付近に腰を下ろす透は、微笑みながら世羅に言った。
世羅からすれば、出水も透も揃って苦手以外のなんでもなかったが、それでも普通に付き合う分には透のほうが楽ではあった。
「《王国》のこともあるから、あまりコトを荒立てるわけにはいかないしね。今、この場で動かせる人員も限られる――何より永代や津凪ちゃんが、すでに動いてしまった」
「動いてしまった、ね……」
透の言葉を、鋭い視線の出水が繰り返すように言った。
明らかな疑念がそこには含まれている。あるいは確信なのだろうか。世羅にそれは判断できなかったし、するつもりもない。
「なぜ永代にこのことを教えた?」
「それを言うなら、永代がそもそも気づいたこと自体がおかしい――気にするならそっちだと思うけど。訊かれれば教えるさ。そのときこうなるとわかっていたわけでもない。むしろぼくだって、それで気づいたくらいなんだから。ぼくの結界が、そう都合のいいものでもないことは出水、君だって知っているだろう?」
「その割にはその後の対応が早いな。学校はどうした?」
「ずっと結界の修復をしてたんだよ? 疲れたから休んだだけだって。それを責められても困る。永代が動いたことは、この場合むしろ幸運だったと思うけど。彼が動くなら、浮遊している六路木の秘密兵器も動く可能性があるということだからね」
「真代のことはこの際いい」
「それを抜きにしても、だよ」
「六路木市内の戦闘呪術師百余名……その大半が出払っている今、都合よく、こうも立て続けに呪術師が来るとはね。どう思う、透」
「《結社》の人員管理が秘されていたところで、人は実際、行った場所にはいるんだ。それを完全に秘密にすることなんてできないし、調べようと思えば楽だろう。なら、その隙を突いてくるのは、向こう側からすれば当たり前だと思うけれど。だいたい、仮にいたところで使える人材は限られる。《結社(ぼくら)》は傭兵組織でも警察機構でもない。だろう?」
「正論だな」
「用意していたわけじゃないよ?」
――正直、勘弁してほしかった。
六路木トップの怪物ふたりがやり合うところを、どうして見せられなければならないというのか。心の底から、ほかでやってほしいと世羅は願う。
その願いが通じたのか、出水は小さくかぶりを振って言った。
「まあいい。永代とは連絡もつくだろうし、問題は奥崎だろうな。――世羅」
「前線には立ちませんよ。それだけは絶対です。まして《王国》とドンパチなんて……本当に勘弁してほしい」
「わかってるよ」
それは実質、譲歩の体裁を取った命令の受諾だった。
初めから断る権利などなかったのだが。なぜなら仕事であるからして。
市内に呪術師が入り込んでいる。透が出水に上げた報告がそれだ。
鴻上永代から連絡があり、位置を調べた一般人の近くに呪術師がいたということらしい。それに気づいて、またその呪術師が六路木の市民でなかったことから報告がなされたのだ。
だが、それだけなら、これはそれだけのことでしかない。
呪術師だろうとこの国の国民であり、どこにいようが当人の勝手である。それを《結社》が咎める権利などない。またどこにいようと、それだけなら問題にもならない。
奇妙だったのは、奥崎がそこにいたことであり。
その奥崎が、目の前に外部の呪術師――それも結界を通り抜けるほどの実力者――がいて戦いさえ吹っかけていないらしいということだ。
いわば世羅に課せられた役目は、何かコトが起きていないかどうかの確認である。
その対処までは、はっきり言って職務外だと言わざるを得ない。世羅的には、だが。
「――だから、わたしが出るよ」
けれど。世羅が何より不可解なのは。そしてまた出水にとっても納得いかないのは。
この場合、そんなことを言う透の存在だと言っていい。
「何が起ころうと、わたしならまあ対処できる可能性は高い――というか、わたしがいて対処できないようなことなら、それこそ出水が出るくらいじゃないと」
「……まあ、ぼくは別にいいですけど」
世羅は言う。面倒な事情に首を突っ込みたくはなかった。
「ただ、御厨さんがいるならぼくはいらないとは思いますけれどね」
「奥崎の手綱を握れるのはお前くらいだろう。透を前にしてみろ、それこそ何の理由もなく襲いかかるぞ、あの男は」
「いいんじゃないですか。いくら奥崎でも特級相手じゃ返り討ちでしょう」
「というかまあ、それを狙って敵と手を組んだってことだからな……本当なら檻の中にでもぶち込んでおきたいくらいだが、残念なことに奴の能力は替えが利かん。つまり、お前の仕事は奥崎の馬鹿のやらかしを揉み消すことだ」
「言ってくれるよ本当……ていうか呪術師の仕事じゃないんだよなあ」
呻く世羅だったが、抵抗する気はもう失くしていた。
透は彼に笑顔を向けて頭を下げる。世羅から見れば何度か会ったことがあるだけの、自分より遥かに優れた呪術の技量を持つ年下の同僚――というような相手だ。
言い換えるなら恐怖の対象である。ある意味では出水よりも。
「――よろしくお願いしますね」
「ええ、まあ。こちらこそ」
――恨むからな、奥崎。
詳しい事情まで世羅は知らない。それでも思うことはあった。
この件は、なんだか知らないがやけにきな臭い。
塞がりのカースコード 涼暮皐 @kuroshira
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