2-08『違和』

「起きろってんですよ、この駄目おにーさん」

「――むぐぇあ」


 この日、寝起き最初の一声目は、我ながらどうかと思う鳴き声になってしまった。

 朝。爽やかさとは程遠い寝不足の僕を、真代の素足が叩き起こした――というか踏み起こしたのである。

 さすがに顔はノーだよ。


「何してくれてんだよ、真代……」


 義理にも兄として、さすがにひと言物申さなければと口を開いた僕。

 だが真代は「はっ」と露骨に馬鹿にしたように鼻で笑った。なんなのこの義妹。


「何してくれてんだよはこっちの台詞です、おにーさん」

「寝てただけじゃん……」

「でなくて。先に帰ったはずなのに、家に着くのがあとだったことを言っているんです」

「ああ……それか」

「それか、じゃないですよ、まったく」


 真代さんはお怒りのご様子で、あざとく頬を膨らませている。

 実際、この件に関しては僕が悪いとしか言いようがない。連絡もせず遅くなったのだから、多少のお説教は甘んじて受け入れなければならないだろう。どちらが年上かわかったものではなかった。

 仕方ない。義兄あにに対する不敬は不問にしておこう。僕は《世羅さんに真代を紹介する》という刑の案を破棄した。

 というかそれ、どう考えても僕にとっても都合悪いし。


「――で、何やってたんですか?」

「うん。実は――」


 僕は昨夜の顛末を真代に説明する。真代に対して隠しごとをするつもりは一切ない。

 話を聞くと、真代は本気で頭痛がするとばかりにこめかみを押さえた。これ見よがしに溜息をついて彼女は言う。


「……なんでそう、ちょっと歩くと方々でフラグ立ててきますかね、おにーさんは……」

「フラグって。別に好きで巻き込まれてるわけじゃないんだけど。別に何も悪いことはしてないし」

「どうせなら恋愛フラグを立ててきてくださいよ。なんでいつも死亡フラグばっかりなのかと。小十時間ほど問い詰めたい気分ですよ」

「それ、どの辺が『小』なの……?」


 しかし、なんだろう。僕自身、実は呪われてるんじゃねーの疑惑を浮かべてしまうほど星の巡りが悪い。

 いやまあ事実として呪われているんだけれど。そうじゃなくて、もっとこう、アクシデントに巻き込まれるような風水系の呪詛を知らずに宿しているんじゃないか、みたいな。

 そんなわけもないんだけど。なんでかいつも、命に関わる事件に巻き込まれてしまう。


「まあ仮に何もなくても、どうせおにーさんは自分から首を突っ込むわけですが」


 その点に関しても、やはり返す言葉はなかった。威厳ってどこで買えるんだろう。

 とはいえ、真代としても僕の対応自体に文句はないらしく、ねちねちとした嫌味をやめて問うた。


「……はあ。それで結局、そのあとおにーさんはどうしたんですか?」

「どうするもこうするもねえ……」


 ――鶴羽九。僕の知る限り彼女は一般人だ。

 だが臨はその名前を出した。同姓同名を期待するのは、さすがに馬鹿げているだろう。

 とはいえ、結社どころか呪術師と何も関係がない彼女ならば、会わせたところで問題はなかった。


「一応、知り合いだからってことで、今日会わせる約束はしたけど」

「そーですかー」

「またそんな興味なさそうに……」

「そういうわけじゃないんですけどねー」


 実際、ほかに何ができるというわけでもないし。

 まあ本当なら、早々に《結社》に連絡して六路木から臨を強制退去辺りが妥当なのだろうが。

 僕はそれを選べないし、それは真代もわかっている。


「そろそろ学校ですし、ご飯にしましょう」

「……ああ、もうそんな時間か」


 遅く帰ってきた僕を気遣って、真代がギリギリまで寝かせておいてくれたことはわかっている。

 だからこそ、その心配りに僕は言及しない。真代の作った朝食に期待しながら、僕は寝床を後にした。



     ※



 教室に入ると、すでに津凪が到着していた。

 転入二日目を迎えた彼女は、意外にもと言ったら失礼だろうが、すでにクラスメイトたちに囲まれている。質問攻めにでも遭っているのだろうが、津凪自身もどうやら吝かではないらしく、ちょっと耳を赤らめながらも笑顔で応対をしていた。よきかなよきかな。

 それを邪魔するのも悪いと思った僕は、教室の後ろからこっそり入って机に向かった。

 のだが。


「――永代!」


 勘よく僕に気づいた津凪が、嬉々として名前を呼んできた。なんだか仔犬に懐かれたみたいな気分。

 個人的には、それよりも、津凪が僕の名を呼んだ瞬間さっと水を引いたみたいに道を開けるクラスメイトたちのほうが気になったのだが。なんなんだ、その妙な団結力。打ち合わせでもしていたというのか。

 モーセの逸話、というか、なんなら教室がバージンロードみたいになっている。さては狙ったな。


「おはよう、津凪」


 仕方なくというわけではないが、僕は片手を挙げて挨拶する。

 津凪はとてとてとこちらに駆け寄ってきて、満面の笑顔を僕に見せた。クラス中が和んだのが気配でわかる。

 なんだろうな。津凪に、犬耳と犬尻尾が幻視された気分。めっちゃ忠実な犬の幻影が見えた。


「おはよう。昨日振りだな……!」


 今になって気づいたということにするけれど。

 かわいいな、この子。


「ん。学校には慣れた?」

「まだ二日目だ、あまり実感はないよ。でも、みんなよくしてくれている」

「なるほど。ノリと気のいいクラスメイトたちで助かったね」


 自分で言うのはかなりアレだが、この僕がやっていけているという時点でだいぶ恵まれている。

 真代は小さく頷き、それから周囲に聞こえないよう声音を落とした言った。


「ぼくは学校には通ったことがなかったからね。いろいろと不安も多かったけど、うん。この分なら大丈夫そうだ」

「ならよかった。……うん、本当に。最初は大変だと思うけど、その内、今度は別のことが大変になってくるよ」

「どういう意味だい。結局大変なんじゃないか」


 真代は小さく笑う。


「そりゃね。たとえばテストとか、人間関係とか。そういう普通の悩みを抱く内に、これまでのことは思い出になっていくよ」


 僕が、真代が、そうであったように。

 ようやく手に入れた日常が、たとえ時間はかかっても、津凪を癒してくれるといい。

 心からそう思った。


「と、そういえば津凪、鶴羽を見なかった?」


 ちょっと辛気臭くなってしまった話題を、誤魔化すように僕は言う。実際、彼女を探しているのは本当だ。

 津凪は首を横に振った。


「九か? いや、まだ来てないと思う。ぼくはたぶん、いちばん最初に登校したからね」


 楽しみだったんだね。いいことだ。

 またしみじみし始めてしまう僕だったが、そのとき津凪が僕の背後を見ながら言った。


「ちょうど来た。彼に訊いてみたらいいんじゃないか?」


 僕が振り返ると、津凪の言った通り、生徒がひとりドアから入ってくるところが目に見えた。

 桐畑だ。普段通り爽やかに、それでいてどこか気だるげに入ってくる彼を、僕は片手を挙げて呼んだ。


「おはよう、桐畑。なんか眠そうだね?」

「ん? おお、永代か。なんだ珍しいな、お前から声かけてくるなんて」

「さらりと失礼なこと言うね……別にそんなことないと思うけど。桐畑が声かけてくるのが早いだけだよ」

「まー、挨拶は人間関係の基本だからなー……ふぁ」


 普段より億劫そうな桐畑だった。欠伸までしている。

 大方、夜半まで遊んでいたというところだろう。ちょうどいいので訊ねてみる。


「ところで、鶴羽はいっしょじゃないの? ちょっと話があるんだけど」

「……来てないのか?」

「え、そうだね。津凪が言うには、まだ来てないみたいだけど」

「…………」

「桐畑?」

「悪い、永代。俺ちょっと早退するわ」

「――は?」

「先生には適当に言っといてくれ。んじゃ」


 言うが早いか、桐畑は踵を返して入って来たばかりの扉から出ていってしまう。

 引き留める間さえなかった。津凪がかなり驚いたように、


「……どうしたんだ、彼は?」

「さあ……」


 知らない。そのこと自体は事実だ。ただ現状、この違和感は無視できる類いのものではない。

 鶴羽が来ていない、と言ったときの桐畑の目線は明らかに異様だった。鋭く、まるで何かを睨みつけるかのような視線になったことに僕も、おそらくは津凪も気づいている。それは確かに、ここではないどこかへと向いた敵意だった。

 それでも昨日までの僕ならば、そういうこともあるのだろう、と流してしまったと思う。

 桐畑は、鶴羽とそれなりに長い付き合いのようだったし、僕の知らない何かの事情が存在して、それは僕が首を突っ込むようなものではないと納得したはずだ。


 今――それはもはやできなくなっている。


「そろそろ予鈴が鳴る頃かな。席に着こうか、津凪」

「……わかった」


 津凪はこれで勘がいい。そうでなくとも今の桐畑の態度からは、穏やかならざるものを誰だって感じるだろうが、彼女はおそらく、それに関係する何かを僕が知っていることまで察している。

 そのことがわかった上で僕は何も言わず、だから津凪も何も訊かないでくれた。

 僕は津凪のそういうところが好きだ。付き合いの長い真代と、ほとんど変わらないくらい意志の疎通が容易い。初めて会ったときからずっとそうだった。僕はそれに、救われているという自覚がある。

 自分が理解されづらい人間だという自覚はあった。

 だからこそ、錯覚でも、勘違いでも――自分のことを理解してくれていると、そう思える相手に僕は弱い。


「ちょろいんだよな、僕って。基本的に」

「何を言ってるんだ?」

「いや。津凪も割とちょろいよね」

「……意味がわからないんだが」


 津凪はちょっとだけ、むすっとしたように唇を尖らせた。


「――それ、褒めてないだろう?」

「先生来たよ」

「ああっ、誤魔化したな!?」

「なんのことだか」


 肩を竦めて席に座ってしまう。納得いかなげな津凪だったが、《先生が来たら座らなければならない》という学校の決まりは覚えたばかりだ。それを破る勇気はなかったらしい。

 その後、担任の先生の到着とともに、朝のホームルームが始められた。

 僕は先生に、桐畑が休みであることを伝える。

 先生の口からは、鶴羽から病欠の連絡があったことが告げられた。


 この際だ。僕は手段を選ばないことにした。

 僕は挙手をして一方的に告げる。


「――先生。すみません、突如として体調が熾烈に悪くなったので早退します」


 普段は学校で目立たないようにしているつもりなんだけど。

 まあ、その辺りは津凪のせいで割と今さらだ。有無を言わせる前に、鞄を持って僕は教室を後にした。

 背後から、慌てたような津凪の声が聞こえてくることに、思わず口元を弛ませながら。


「せ、先生っ! ぼ、ぼくもその、あの、なんか突然に永代の後を追いたくなったので早退しますっ!」


 ただ、心中するみたいな言い回しはやめてほしかった。



     ※



 ――後日のお説教を覚悟しながら歩く真っ昼間の街は、意外と気分のいいものだ。

 と、桐畑なんかはよく言っていたものだが、実際に同じことをやってみると割とそうでもない。


「しかし津凪も、転入二日目からサボりとは剛毅なことするなあ……」

「――うっ」


 苦笑しながらからかう僕に、津凪はちょっと視線を逸らしながら呻いた。


「し、仕方ないだろう。まさかぼくだって、こんなことをするとは思ってなかったんだっ」

「あとで絶対に大目玉だよ、これ。バレバレでも仮病くらい装っておけばまだ言い訳も立ったのに」

「ふん! ぼくは永代と違って、そう簡単に嘘が思いついたりしないんだ」

「面倒な生き方してるなあ」


 津凪には、すでにあらかたの事情を話し終えている。

 僕自身、大してわかっていることもないし、真代に一度説明しているので、そう時間はかからなかった。


「――それで、どうするんだ、これから?」

「うん……そうだね。どうしよう」

「おいおい……」

「いや、案がないわけじゃないんだ。ただ、なんていうか……やる気が出ないというか抵抗があるというか」


 僕は電話を取り出し、手の中で弄びながら呟く。

 もちろん、わかってはいる。そんな個人的な事情を優先していい事態ではないと。

 嫌な予感なら、さきほどからひしひしと感じていた。僕の場合、嫌な予感はだいたい当たる。なぜなら常にそういう事態に巻き込まれているから。


 ――ああ。嫌だけど、でも仕方ない。

 画面を操作して、電話帳から目当ての名前を探し出す。もともと知り合いの少ない僕だ、探すのに手間なんてかからない。

 それでも、まるで牛歩のように動きが鈍くなってしまうのは、それだけ抵抗があるからなのだろう。


「なんて、言ってられないか……えい」


 意を決して、その番号へとダイヤルした。

 呼び出し音は一回。まるで電話が来るとわかっていて、待ち構えていたかのような速度で彼女は通話に出た。


「――やあ。かけてくれると思っていたよ」


 その言い回しに全身が引き攣る。だが負けてなどいられない。


「頼みが……あります」


 負い目が。引け目が。僕の舌を凍らせようとする力に抗う。

 彼女はやはり、わかっていたみたいに笑った。電話越しでも表情がわかった。


「気にしなくていい。君と私の仲だろう? なんでも言ってほしい」

「……そう言ってもらえると助かります」

「それで?」


 彼女は問う。

 わかっているのに惚けるような、そんな雰囲気で。


「――この私。六路木一の結界呪術師にして特別指定級が一角、御厨透にいったいなんのご用事だい?」


 なんちゃって――と、声が響いた。

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