2-07『お話し合い』

 ――で、まあ。いろいろと考えあぐねた結果。

 僕らは六路木市街のカラオケ店を訪ねることとなっていた。


「…………」


 本体を消音設定にすれば、もともと防音に優れた室内は一瞬で静寂に支配される。

 彼女――尾前おさきりんといった――は、ここまでひと言だって言葉を話すことはなかったし、僕からも特別に言うことはない。本来なら激流のような音の波で満たされるはずの場所で、僕らは無音を作り続けていた。


 ――もうめっちゃ気まずいんですけど。

 本当すげえ帰りたいんですけど。そういうわけにもいかないわけで。


 いつまでも無言でお見合いし続けているわけにはいかない。さすがに自宅に連れ込むのはどうかと思ったし、飲食店なんかが開いている時間でもない。

 カラオケボックスがある種の結界じみた隔離空間であることを思えば、割と妥当な選択肢だと思ったのだが。見知らぬ相手と――それもつい先ほどまで敵対していたはずの相手と密室でふたりきりという事態に対する感情までは考慮していなかった。


 改めて僕は、目の前の女性――臨へと視線を向ける。

 なんといっても特徴的なのは、その長く綺麗な髪の毛だろう。どこか疲れた表情の女性で、お世辞にも健康的とは呼べない雰囲気を纏っているのだが、飴色の長髪だけは妙に瑞々しく艶めかしい。細身というか華奢というか、なんなら不健康そうな痩躯を見ていると、まるで精気とか生命力と言ったものを髪に吸われているかのようだ。決して異様ではないし、よく見れば髪の量自体が多いわけでもないのに。

 ただ、そういった要素を除けば至って普通、というかそれなりに可愛らしい女性にも見える。

 先ほどから顔を赤くして、あの場所で見せた醜態(というほどでもないと思うけど)を誤魔化そうとしているのがよくわかった。視線を逸らして黙り込んでいるものの、なんだかムキになった子どものように思えてくる。たぶん年上だと思うのだが、ちょっとだけ微笑ましい。

 そんな幼さと、相反するようにくたびれたイメージを覚えるのは、着ている服がどこか古びているせいだろうか。身軽そうなパンツルックに薄手のシャツ、その上から紺の上着を羽織っているだけの姿は、ボーイッシュと表現するのは少し違うだろうけれど、サイズさえ合えば僕が着ることもできそうだ。


「――ええと。確認のために訊きますけど」


 外見を判じるのはそれくらいにして、僕は会話の口火を切る。

 瞬間、臨は少しだけ肩をぴくりと震わせた。警戒心の強い野生動物を、なんとか懐かせようとするみたいな気分を感じながら僕は続ける。

 ちなみに、呪いのほうはだいぶよくなっている。もう何時間かすれば完全に解呪されるだろう。臨のほうは、そもそも大した影響を受けてさえいないようだった。


「この街の……結社の呪術師ってわけじゃありませんよね? いわゆる外部の方」

「……ええ。そうよ」


 警戒していることを隠そうとするみたいに、どこか硬い口調で女性は言う。

 それが僕に伝わっている時点でもう失敗しているのだが、なんだかやっぱり可愛らしいので指摘はしない。


「僕は結社の預かりみたいな立場なんで、まあ一応訊かせてもらいますが。何をしに六路木へ?」


 別に六路木は閉鎖されているわけではない。昼夜を問わず人の出入りは存在する。結社用の検問がないわけではなかったが、そんなものは表向きのものでしかなく、あれはどちらかといえば街への出入りというより結社ビルやその関係施設への出入りを制限するものだ。入るだけなら歩いて来ればいいだけのことだ。つい先頃、津凪がやったのと同じように。

 その事実は逆説的に、透の構築した結界が優秀であることを示している。

 細かい設定は実のところ僕も知らない――知っているのは結社の上層部か、あるいは結界を張った本人くらいだろう――けれど、少なくとも二点、おそらくほかの呪術師では再現不可能な《効果》を透の結界は持っている。


 ひとつは、六路木市内にいるの位置情報を、余すところなく完全に把握できるということ。六路木の結界が健在である限り、これから逃れるすべはない。これの何が最も厄介かと言えば、その情報を透本人以外の人間まで手に入れることができる点だろう。

 別に四六時中監視されているというわけではない。六路木市内の人間の動きなんて情報が絶えず頭の中に流れ込んでこようものなら、その情報量だけで文字通り脳がパンクしかねない。その代わり、結界が得た市内の人間の位置情報は、結社ビルの中にある一枚のアナログな地図の上にリアルタイムで反映することができた。

 そういう結界があるというよりも、特定の個人の居場所をまるでGPSのように察知して検索できる《マップ》を結社が持っていると言い換えるべきか。

 逆を言えば、個人を指定して調べない限りは、誰かに知られることがないとも言えるが。その点は弱点と言えば弱点かもしれない。


 それを補うのがふたつ目の効果。

 街の境界に侵入する人間が、六路木に、その住民に、ひいては結社に《害意》を抱いているかどうかを判別できるという点だ。誰かを傷つけるとか、呪術の実験をする、またはその実験体を探す――などといった、とにかく《呪術を用いて何かを害そう》とする意思を、透の結界はスキャナのように読み取ってしまう。

 彼女の結界の最も優れている点がそこだろう。という縛りはあるが、人間が自らの裡に秘めている思考を、感情を透の結界は読み取る。《悪意》ではなく《害意》というところがミソだろう。

 ほかのどんな呪術師にも、あるいはどんな電子製品にも真似のできない、それが《結界呪術師》御厨透の専売特許。彼女を特級たらしめる固有呪術オリジナルだった。突発的な事件はともかく、計画的な呪術犯罪の大半を抑制できる。


 ゆえに。本来なら目の前の彼女――尾前臨が、僕を襲うなんてことはあり得ない。

 可能性として考えられるのは、まず第一に、この街に入った瞬間ではなく、入った僕を害そうという意志が芽生えたということ。ただまあ、これは状況から言ってないだろう。いきなり唐突に結界まで張って待ち構えて僕を害そうなんてほどの恨みを買った覚えは……たぶんない。ないはずだ。

 だから僕は、ふたつ目の可能性を考慮した。

 結界に引っかかったらできないことなのだから、結界に引っかからないように入ってくればいい。要するにまあ、それだけのことである。それができる人間を、少なくともひとり僕は知っている。倉崎真絃だ。というか、彼ですら結界を誤魔化すというよりは、透不在の隙を突き、その機能の一部を破壊することでようやく成し遂げているのだ。同じようなことが簡単にできる人間が、そう多くいるとは思えない。

 よって僕は臨が《王国》の一員であると結論づけたのだが――。


「――人命救助のため。私はヒトを救いにきたの」


 彼女は――臨は、それがまるで世界を救うほどに尊い偉業であるかのように語った。

 それまで顔を背けていた臨が、こちらをまっすぐに見据えて。その邪魔をするのなら容赦はしないと、慣れ合うつもりはないのだと。そう、澄んだ双眸が語っている。

 実際、彼女の語る言葉が事実なら、それは誰からも肯定されて然るべき目的なのかもしれない。

 たとえ僕がその犠牲になろうと構わない、と。その崇高な正義は、ほかのどんな事情にさえ優るものなのだと。臨がそう考えるのなら別段、僕はことさらにそれを否定しようとは思わなかった。


「そのために、わざわざ六路木まで?」

「そう。そのためなら何を犠牲にしたって構わない。私はあの子を助けると決めている」

「……それを僕に話した理由は?」

「訊かれたから答えただけ。それとも何、邪魔するつもり?」

「いいえ。その言葉が本当なら、むしろ手伝ったっていいとさえ思いますね」


 僕の言葉に、臨は不審げに目を細めることで返答した。いや、敵意でもって睨みつけられたと言ってもいい。

 無論こんなことを言って、「まあ嬉しい、それじゃあ是非とも協力してちょうだい」なんて答えるほうがどうかしていると僕も思うので、その辺りはどうでもいいだろう。どころか、彼女が僕を襲ってきた以上、少なくとも尾前臨にとって鴻上永代という個人が敵として認識されていたことは間違いない。僕が彼女を信用していない以上に、彼女のほうが僕を信用できないはずだった。

 それでもまあ、敵意に敵意で返すなど往々にしてむしろ面倒なことなのも間違いなく。


「だから、何かあるなら話してほしいんです。力になれるかもしれない」


 そんなことをぬけぬけと僕は言う。

 当たり前のように睨まれた。


「……なんで、アンタがそんなことを」

「手伝わないにしても。有無を言わさず襲われたんですから、事情を聞く権利くらいはあると思いますけど」

「くっ……」

「そんな悔しそうにしなくても……結社に通報してないんですよ? ちょっとくらい信用してくれてもいいんじゃないですかね」

「あの子のことを閉じ込めている結社の人間に、そんなこと言われたくない……っ!」

「はあ……閉じ込め、ですか。よくわかりませんが、その人は結社に捕まってるんですか?」

「そうじゃなきゃここに来るわけないじゃない」

「そうでもないと思いますけどね……少なくとも、結社が人権を無視して誰かを閉じ込めるような真似、するとは思えませんし」

「何を――!」

「まあさっきも言いましたけど、僕は別に結社の人間ではないので。その辺りはどうでもいいです」


 どうも臨が、結社に対し強い敵意を向けていることはわかった。逆を言えば、今のところほかのことは何もわかっていないようなものだったが。

 ただ実際、僕には彼女の言うことが、どうにも勘違いか何かであるように思えてならない。あるいは誰かに――何かに利用されているか、だ。


 この世界に《呪術》という概念が広まったとき、最も早く対応して呪術師とそれ以外の人間との間を執り成し、折衝し、融和の道を示してみせたのが結社である。さもなくば魔女狩りならぬ呪術師狩りで、世界がどうなっていたかさえわからない、それは紛れもなく偉業だ。

 だからこそ結社は、呪術的な犯罪には何より厳格に対応する。呪術師という存在が恐怖と排斥の対象にならないよう骨を砕いていた結社が、その努力を自ら無駄にするような真似をするはずがなかった。

 とはいえ、そんなことを理屈で語ったところで、おそらく臨は納得しない。だから僕は、自分は結社とは関係がないという点を強調することで話を逸らした。別に嘘は言っていないわけであり、よって問題もないのである。


 こういうときは、単刀直入に切り込むよりも、回りくどく外堀から埋めていったほうがいい。

 彼女のほうにだって、できれば話し合いでこの場を済ませたいという意思がある。でなければわざわざ僕について来る必要がない。それは何も彼女が僕を傷つけられないからということではなく、単に理性的な判断によるものだ。

 事と次第によって、彼女は結社すら敵に回す覚悟を持っているのだから。こんなところで、無駄な労力を使ってはいられないだろう。ならば交渉の余地はある。その思考には、つけ込むだけの価値がある。

 いやあ僕っていい奴だなあ。


「まあ、話はわかりました。しかし、どうやって六路木に入ったんですか? この街の結界、誤魔化すにはだいぶ難しいと思うんですけれど」

「……別に、私が何かしたわけじゃない。手引きがあったのよ」

「内部の人間……ってわけじゃないですよね、この分だと」


 ならもう少し動きようもあったはずだ。彼女も頷いた。


「倉崎真絃。知ってる?」

「……その方が協力者というわけですか」


 知っているとも、知らないとも、僕は言わない。


「入るところまでだけどね、そいつの誘導で結界を抜けたの。昔の同僚だったから。それだけだけど」

「同僚……ですか」

「そう。私が、かつて《王国》で呪術研究者として働いてた頃のね。部署、っていうか立場は違ったんだけど、まあ顔見知りではあったから」

「……なるほど」

「どうせ、何かしてくれるわけじゃないし。私には私の目的があるんだから。《王国》とはもう縁を切った」


 王国と――臨は確かにそう言った。

 僕は反応しない。加えて彼女は「かつて」とも言った。今は関係がないと匂わせている。

 その言葉を僕は信用した。してみせた。少なくとも、疑っているという態度を表には見せない。

 これは交渉だ。互いに譲歩をしてみせて、その分だけ歩み寄ろうという意思を、確認とともに表明し合う。

 臨に襲われたとき、僕は彼女が王国の関係者ではないと言った。

 当然だが、そんなことは露ほども信じていない。今この状況で六路木に侵入してくる人間が、王国と無関係だなどと思えるわけがない。それでもそう言ったのは、「なら話を聞いてあげられる」という僕側からの譲歩だ。それを臨が明確に認識したかどうかは、この場合あまり関係ない。雰囲気が伝わっていればいい。

 現に今、彼女は自分が「王国とは縁を切った」と僕に告げた。王国の関係者だと僕に――六路木に知られることの意味を、わかっていないはずがないのに。それはつまり、彼女の側からもまた、僕に譲歩を見せたということ。

 それを受け入れるのが、だからこの場合での僕からの返答だ。


「その倉崎から、アンタの名前を聞いてあった。アンタなら居場所を知ってるって」

「そういうことですか……」


 ――あの野郎。と表情を顰めつつ、脳裏では思考を働かせる。

 元より、仮に臨が王国の関係者であっても、その意志の通りに動いているか怪しいと僕は睨んでいた。理由は単純で、もし彼女が王国の関係者で、津凪を取り返しに来たのなら、。さっさと津凪のところに行って、連れ帰ってしまえばそれで済む。

 障害になるという判断でも、津凪と別行動を取っていて、それでも僕の側に来る理由は薄いだろう。とはいえ、これはあとになってから気づいたことだったが。襲われたタイミングでは、そこまで考える余裕がなかった。

 ともあれ、そういった要素からも、僕は話し合いになると踏んだわけである。


「――話はわかりました」


 僕は言う。お互いに、最低限の信用は見せると意思を確認した。

 だから、ここからは本題に移ろう。


「もし本当に、その誰かがこの街で捕まっているというのなら確かに見過ごせません」

「…………」

「だから、その人の名前を教えてくれますか。その人に会わせてあげることができるかもしれません」

「……本当に?」

「そう言われると約束はできかねますが。それでも、できる限りのことは」


 しばし、臨は考え込むように顔を伏せた。僕が本当に信用できるのか、まだ迷っているらしい。

 僕はその答えを無言で待つ。すでに充分なだけの《譲歩》は見せたはずだ。これ以上の言葉は必要ない。

 あとはもう、臨の判断を待つだけだ。

 やがて彼女は顔を上げて、一度だけ僕に頷いてみせた。


「わかった。アンタのことを信用してみる」

「……ありがとうございます」

「勘違いしないで。唇奪われたんだから、そのくらいしてもらわないと割に合わないってだけ」

「襲われたの僕のほうですけどね……まあ返す言葉はありません」

「――その子の名前は」


 意を決したように、臨がその唇を開く。僕は言葉を待った。

 ――ここで、結論から先に言おう。

 この時点ですでに、僕が何もかもを見誤っていたということを、だ。

 別に対応が間違っていたわけではないと思う。再び同じことが起これば、僕はまた同じことをするだろう。その意味でここまでの行動は、僕の意思に沿っていたと言える。誰から強制されたことでもない。全ては僕の責任だ。

 だから予測できなかった。予測を外してしまっていた。

 まさか臨が、口にするなんて想像すらしていなかったのだ。


「鶴羽九。――アンタ、この名前、聞いたことある?」

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