ハードSFなんて言うのは読んでるうちに、用語が多すぎて疲れてしまうなんてことはしばしば。日々の仕事の合間を縫って読むには少々きついな~なんて思ってる人におすすめです。
SFというよりかは不条理小説短篇のほうがあってる感じがしますが、とにかくサクッと読めてぶっ飛んだ話に、自分の現実なんて実はたいしたもんではないということに気づきます。
読者はこれほどぶっ飛んだ作者のようになりたいと思うか、こんな頭のネジの外れた作者になるなんてごめんだ!って思うかの2パターンな気がしますが、私はこんな作者のような奇天烈な発想ができる思考回路が欲しいと思ってます。
未知との遭遇 in 会議室を読んで思わずレビュー。横浜駅SFを読んで期待する読者を概ね裏切らないバラエティ豊かな短編集。ごちそうさまでした。
「石油玉になりたい」
「未知との遭遇 in 会議室」
そういう切り口があったか、とニヤリとさせるようなひねりの効いたSF掌編。
「彼女」「ヨシダ」といった精細に描き出されるキャラクターたちの魅力も一押し。
「ゲームと現実の区別がつかなくなる病気」
「東京都交通安全責任課」
「人間観察」
「陸軍少尉ミハエル・ジークムントの生涯 その2」
星新一を彷彿とさせるよくまとまったショートショート。中でも「ゲームと」は文章作品ならではの演出が(期待通り)スッキリしない読後感を与える妙作。
せかいめいさくどうわ「ラプラスのあくま」
異世界に来たと思ったら三重県だった
箸休め。
作者の表現の魅力である、斬新な世界観の設定やギミックの演出の妙による、「SF的な驚き=センスオブワンダー」に満ちている意欲的な短編集ですね。一読者の個人的な主観としては、横浜駅SFをすでに読んでいるほうがこの短編集をより一層楽しめるように感じました。逆となると、世界観の大きな広がりが堪能できるかどうか。そう考えると、横浜駅SFがイスカリオテの湯葉さんにとってもカクヨム全体にとってもあまりにも大きな金字塔となっているのだなと実感しました。これが短編集ではなく長編だとすると、どちらを先に読むべきであるか、どちらの魅力がどちらを内包しているのかという比較の問題にも、また違った新たな可能性が提示されるのではないか。そう考えるとますます、イスカリオテの湯葉さんの他の作品に期待が持てますね。そういう風に、新たな作品を楽しみにできる、「ますます続きが読みたくなる」というところが、彼の力が本物であるところを示していると思います。個人的には共産主義者が出てくる話が面白かったですねぇ。しかしあえて一作家としてもっと欲をいうと、作品全体に込められた思いや願いのようなものが描けているとさらに評価できますね。例えば「あの作品」にしても、ラストでそれが描かれているじゃないですか。本当に大切なものとは何だったのか。そのきらめきこそが、あの長大な長編の真価だったじゃないですか。イスカリオテの湯葉さん。おにスタみたいな作品にはそれがありますよね。