第五十三話:畏怖か恐怖か

 帝国軍が最初に思ったのは、エトスライアの裏切りだったようだ。

 アルズベックがいなくなったことで、ラトリバードが機体ごとエネスレイクに寝返ったのではないかと。

 エトスライアに杖を向けて、怒りに満ちた声を向けてくる。


『ラトリバード殿! 殿下からの恩義を忘れられたか!』

「帝国に恩義などない」


 ラナはにべもなく切って捨てると、手にしたハンマーで手近な機兵を殴り飛ばす。

 粉砕された外装をまき散らしながら空を舞う様を、他の機兵たちが目で追う。


「エドワルダ。何度も間違えられるような不愉快は避けたい。名乗りを上げようと思うが」

『御意』

「聞け! 我が名はエナ、エナ・ブルヴォーニ・エトスリオ! ちょう王機おうきエトスライアの乗り手にして、エトスリオの継承者である!」


 空気がざわつくのが分かった。

 エトスリオが帝国に滅ぼされた国であることは、軍人であれば知識として知っているはずだ。あるいは、その戦役に参加した者もいたかもしれない。


「エトスリオは今日この時より、拳王機アルカシードとその乗り手殿に助力する。エトスリオに縁ある者は今すぐこの地より去れ! さもなくば、討つ!」


 エナが告げたのは、同郷の者たちに対するせめてもの情けだ。彼女にとってのエトスリオとは、彼女や彼女の家族と共にエトスリオの解放を目指した仲間達だけだったからだ。

 去ろうとする機兵はない。エナは帝国軍の機兵に乗っているのは故国の者ではないと思い定める。警告はした。

 ハンマーを腰だめに構え、前傾姿勢を取る。

 エドワルダはエナの意図を十全に理解していた。感応波を循環させることにより機体第四外装に障壁を付与する。全部で十三機存在する王機兵の中で、たった二機にしか搭載されていない絶対防御。重王機エトスライアはその防壁を、防御のみならず攻撃にも転用する。


「では、往く!」


 地面と空気と、エトスライアの眼前に立ち塞がる機兵の群れとが、ほぼ同時に爆ぜた。

 ハンマーを振り回すまでもない。質量という暴力が帝国の機兵にその牙を剥く。

 浸透衝撃を含め、無数の魔術がエトスライアに向けて放たれる。エネスレイクの王機兵と違い、彼らはエトスライアを知っているのだ。知っているだけ、恐れや不気味さは軽減される。


『ご安心ください、ご当主様。このエトスライア、あの程度の魔術――』

「愚問。元より全て、アル殿より承っている」


 あらゆる魔術の直撃を受けて、エトスライアは無傷で戦場を蹂躙する。

 既に名乗りは上げている。眼前にある者はアルカシードを除き、全てが敵だ。

 突進を止めようというのだろう、見るからに鈍重な機兵が前に出てくる。アルズベックの麾下だけあって、良い機兵を揃えているとエナは笑みを浮かべた。


「ゴド級の新型と見た。エドワルダ、そなたを研究して作られた機体だったはず」

『成程、重さの割に動けるようで』

「ああ。アル殿が作られたナルエトスとは比較にもならん」


 味方には希望を、敵には絶望を。分かりやすく知らしめるのが王機兵の仕事だと、エナはそう弁えていた。

 足を止め、ハンマーを振り抜く。

 カーン、と甲高い音。

 その様子を見ていた誰もが、一斉に空を見上げた。

 歩くのも難儀するほどの重量感を持つ機体が、一直線に空へと打ち上げられたのだから。


「軽いな」

『御意』


 視線を巡らせる。他の機兵と比べて頭二つ分ほど大きいエトスライアの視界であれば、アルカシードがどこで暴れているのかはすぐに見てとれる。あちらも随分とド派手にやっているようだ。

 グロウィリアの王機兵と対峙しておりながら、王機兵への評価が甘すぎる。これはアルズベックの所為か、正式な乗り手と一緒に王機兵を得ることのできなかった帝国の不運か。

 どちらであっても構わない。彼らは撤退の機を与えられたのに退かなかったのだ。ならば、相手が何者であろうと最後まで戦い抜くしかない。

 そう、かつて帝国に併呑されてきた国々の兵士が、帝国に立ち向かった時のように。

 ずしんと、遠くで何かが落下する音が響いた。






 アルカシードの動きが、一段と鋭くなった。

 当然のことではあるのだが、明らかにアカグマと比べて反応に遅れがない。重さも感じない。

 自分自身がアルカシードそのものであるかのような、そんな錯覚を覚える。

 十歩無音で距離を潰し、当たるを幸いと拳を振るい、再び十歩無音で次との距離を詰める。

 作業のような破壊を、流狼とアルはそれほどの気負いもなく続ける。

 粉砕された途端に、機兵は光の粒となってアルカシードに吸い込まれていく。外装が少しずつ修繕されているのが分かったのだろう、帝国の機兵が怯えるように距離を取り始める。


『食ってる、こいつ、壊した機兵を食っていやがる!』

『撃て! なんでもいいから撃て! 近寄らせるな! 近寄るなぁ!』

『当たらない! 当たらないぞ! 速い、速過ぎる!』


 どうやって音を拾っているのかは分からないが、流狼の耳にそんな会話が聞こえてくる。怯えた声が聞こえてくる割に、逃げ出す様子が見えないのは見事な覚悟ではある。

 と、アルが横合いから口を挟んでくる。


『マスター。そろそろ当たっても大丈夫な強度を確保したよ』

「ん。まあ、エトスライアと同じようなことをする必要もないだろ」

『そうだね』


 だが、まだ修理が完了したとは言われていない。流狼はペースを落とすことなく、拳を突き出し続ける。

 と、視界がふいに赤く染まった。

 これまでの魔術とは規模の違う、巨大な炎の塊が落ちてくる。明らかにアルカシード以外を巻き込むことを前提とした魔術。

 武境・絶人であらゆる感覚機能を強化した流狼にとっては、止まっているような速度でゆっくりとやってくる。静かに拳を構えた。


「氣塵百勁ではちと足りない、か」


 氣塵百勁の用途は一体多数が主だ。炎の塊を粉砕するにはそもそも向いていない。

 アルカシードが備えている魔力とは別に、自身で普段行うように氣を練り上げる。魔力と氣が交じり合い、暴力的な力が両手に満ちた。

 あるいは、飛猷流の開祖は氣と魔力の存在を理解していたのではないか。開祖は最期まで最終到達奥義である神解一殲には届かなかったとされているが、そこに至るまでの詳細な技術は遺していた。あるいは、使えたが使わなかったのかも。

 そんな益体もないことを考える余裕すらある。

 形のないものを吹き飛ばすための技として示されていた技。書には『相手の氣や悪しきものを吹き散らす技』と記されていたが、魔術もまた同様と見て良いだろう。

 これまでの技とは違い、ゆったりとした動きで左の拳を突き出す。


「風凶四散」


 拳から風が放たれた。そんな揺らぎ。

 技自体の打撃力は決して高くない。だが、放たれた氣と魔力の入り混じったものは明確な意図をもって拡散していく。

 風が炎の塊に触れた。蝋燭の火が風に揺れるように、炎の表面が風と反応して蠢いた。

 流狼は結果を確認することもなく、次の相手に向かって一歩を踏み出す。既に対処は終わっている。今は為すべきことを為す時だ。

 それが、炎の巻き添えになって焼き尽くされるはずだった帝国の機兵たちの命を奪うことであったとしても。







「何の、何の冗談なんだあれはぁッ⁉」


 魔力で造った高台の上。ノゲリエの杖を地面に叩きつけながら、エキトゥは悲鳴を上げた。

 エトスライアの防御性能については、帝国軍の一員として知っている。ノゲリエの全力をもってしてもあの勢いを止めることは難しいと判断していた。

 だが、ヒビの入ったもう一体の方であれば。空中に創り出した炎の塊は、オルギオの白鎧に対抗するために開発したとっておきだ。魔力の質量もそうだが、効果範囲が極めて広いのが特徴だった。

 周囲を巻き込むことを承知の上で、エキトゥは魔術を行使した。参謀たちや周囲の兵士からの反発は驚くほどなかった。自陣の一部を損耗しても、あれは倒すべきだと認識をひとつにしていたはずなのだ。

 それがどうだ。落下する炎の塊が、突然制御を失って消失したのだ。同じような威力を叩きつけられたのでも、魔術をキャンセルしようという干渉でもなかった。ただ吹き消されるように、ノゲリエの渾身は対処されてしまった。


「あれも王機兵か!? 傷だらけの王機兵など、傷だらけ……まさか」


 アルズベックがエネスレイクへの侵攻を判断したのは、帝国が王機兵の貸し出しを求めた際に断られたことが理由だった。その理由は、修理中だからというものだったはず。

 その内容が事実であったことを理解するのと同時に、エキトゥの内心に絶望が広がる。

 エネスレイクの王機兵。その乗り手はアルズベックと決闘すべく戦場から離れていたはず。ならば、今この場で無慈悲に拳を振るっているのは。


「あの機体を討ち取れぇぇぇェェ!」


 エキトゥは自身の正気を明確に振り捨て、絶叫を上げた。駄目だ。あれを生かしておいてはいけない。アルズベックの生死はともかく、相対した者が生きているのは絶対に許されない。

 たとえアルズベックを奪還できたとしても、あるいはその遺体を持ち帰ることが出来たとしても。あの男と機体が生きていれば、皇帝の怒りは自分たちに向かう。

 今、この戦場にいる者たちが背負っているのは、自分たちの命だけではない。帝国にいる家族の、親類の、友人の、正気と尊厳と命だ。

 自分たちが死んだとしても、その咎が彼らに向かないようにしなくてはならない。恐怖と絶望の中、兵士たちが踏みとどまっている最後の理由は、結局のところそれなのだ。

 次の魔術を準備する。余力を考えている場合ではない。次は頭上ではなく、直線を貫くように。跡形も残さぬという意志を込めて、足元から土くれを巻き上げる。可能な限り圧縮し、全力をもって撃ち出すのだ。

 エキトゥの狂気の起点を理解すれば、この場にいる誰もが同じ狂気に染まる。自分の命を度外視して、機兵がエネスレイクの王機兵に突進する。

 自分を殺した隙をついて、誰かがあれを討ち取ってくれと。

 圧縮岩塊。赤熱すら始めた塊に魔力を集えながら、エキトゥはエネスレイクの王機兵をじっと見る。エトスライアのことも、エトスライアに背後から粉砕されている機兵のことも無視して。

 破壊が近づいてくる。物量をもって。機兵の波濤という最悪の戦術をもってなお、エネスレイクの王機兵が止まる様子はない。

 そして、どうやらその目的地はここであるらしい。

 相手が辿り着くのが先か、魔術の完成が先か。じりじりと焦りを覚えながら、エキトゥは冷静に魔力を込める。

 足元にいた機兵が、組みつこうとして弾き飛ばされた。周りを巻き込むこともなく光の粒に変わり、エネスレイクの王機兵に吸い込まれていく。

 なんとおぞましい、エキトゥは眉をしかめた。破壊された機兵は壁になることすら出来ていなかった。道理でこちらに向かう速度が落ちないはずだ。

 視線が合った。周囲の機兵が、ほぼ同時に組みつくのが見えた。どちらにしろ、ノゲリエの魔術が完成すれば彼らは諸共に吹き飛ぶ。覚悟の上なのだ、誰もが。


「今だァ!」


 魔術を発動させる。圧力の強さに溶解した圧縮岩塊が、それでも形を残したまま発射される。質量が機体の胸板を貫通し、熱量と余波が残った部分を焼き尽くす。その様子をエキトゥは幻視していた。

 勝った。そんな言葉を嘲笑うかのように、エネスレイクの王機兵が拳を突き出す。組みついたはずの機兵の姿は、既に消えていた。


『六路雷息』


 圧縮岩塊が拳に受け止められる。馬鹿な、と声が漏れた。エキトゥはその言葉をまるで他人事のように聞いていた。自分が呟いたというのに。

 見ると、信じがたいことに岩塊はエネスレイクの王機兵の拳に接触していない。

 雷の魔力に似たエネルギーを放つ何かが、膜のように岩塊を受け止め、干渉を始めている。

 ノゲリエの魔力はほぼ空だ。何の冗談だというのか。

 エキトゥの脳裏に、自爆という単語が浮かんだ。この距離であれば、破壊は無理でも痛打を与えることは出来るはず。

 岩塊が自壊した。あるいは粉砕されたか。塵も残さず消失したが、放たれた魔力はそれほど拡散することなく残っていた。

 杖をかざし、魔力を吸収しようと術式を組む。吸い込んだらそのまま自爆しようと思い定めたエキトゥだったが、目の前の王機兵がそれを許すはずもない。


『そこで大人しくしていろ』


 拳を二振り。それだけでノゲリエの両腕は胴体から永遠に失われた。

 ノゲリエは魔術に特化した古代機兵ではあるが、乗っているエキトゥは白兵戦の心得も豊富だ。そのエキトゥが、拳の動きを知覚することも出来なかった。たとえ杖と魔術に気を取られていたとしてもだ。

 エネスレイクの王機兵が再び腕を振るった。衝撃が先に来て、視界が真っ暗になった。意識ははっきりとしているから、どうやら操縦席を粉砕されたわけではないらしい。

 王機兵から、声が聞こえた。この戦場で何度か聞いた男の声。


『あんたは、最後だ』


 そこから先は、音だけだった。

 悲鳴と、破砕音。

 最早、逆転の手はない。すべてが自分たちの手から滑り落ちた。


「ああ、うあああああああああああああああああああああああ!」


 心が微塵に砕け散った、絶望のままに男は声を張り上げるのだった。






「これで最後、と」


 動いている最後の機兵を粉砕して、流狼は周囲を念のために見回した。

 残骸が残っているのは、ほとんどがエトスライアの作り出した破壊の痕だ。


『お見事でした、ルゥロ様』

「エナさんも。エトスライアは凄い機兵ですね」

『ありがとうございます』


 帝国の歩兵は少ない。特に、機兵に随行している歩兵はほとんどいない。帝国の機兵は数が多すぎて、間をちょろちょろと走り回るには危険なのだ。

 アルカシードとエトスライアを遠巻きにしているのは、アルカシードが粉砕した機兵に搭乗していて、幸運にも生き残った者たちだ。その数は決して多くない。放り出された時点で死んでいた者、上手に着地出来なかった者、狂奔する僚機に踏み潰された者もいただろう。

 流狼は今更彼らの命を奪うつもりはなかった。だが、けじめはつけなくてはならない。


「降伏するか、このまま帰るか。選べ」


 動きはほぼなかった。言っている言葉の意味は分かっているのだろうが、判断できないといった様子。


『マスター。ボクに任せてくれるかい』

「アル?」


 と、体の表面が暖かくなるような感覚。

 いつだったか、経験がある暖かさ。これは。

 歩兵たちの方を見ると、何やら絶望を浮かべているように見えた。


『第三外装を形成するだけの資材が貯まったからね。これでアルカシードの修繕は完全に完了だよ』

「なるほど」


 破損していたはずの王機兵が、完全な姿を取り戻した。それまでのシンプルな姿から変貌した第三外装に、いったいどれほどの恐怖を感じているのか。

 オレンジと白を主体とした機体のカラーは変わらないが、厚みを増した外装のおかげか、『拳だけが変に巨大な機兵』という印象はなくなっている。


「このまま帰るのであれば、特に追うつもりはない。降伏するのであれば、武器を捨てて跪くんだ」


 今度は動きがあった。心を圧し折られたようで、誰もがのろのろと動き出す。

 跪く者、体を引きずるように帝国の方へ歩き出す者。おおよそ半々といったところか。

 流狼が意識をオルギオとの通信に向けると、程なく通信が繋がる。アルのサポートだとは思うが、一体どんなカラクリなのやら。


「オっさん?」

『ロウか! そちらはどうなってる』

「終わったよ。降伏した連中もいるから、ちょっと手配を頼む」

『終わった!? わ、分かった。今すぐ準備する』


 通信を切って、足を残骸の群れの方に向ける。


「エナさん。オっさんたちが来るまで、ここを任せて良いですか」

『構いませんが、ルゥロ様は?』

「こいつにね。説明をさせないといけないでしょう」


 エナの問いに答えながら、流狼は足元に転がっていた機兵の頭部を掴んで引き上げた。

 翠杖のノゲリエ。この場にいる帝国軍の中では、最も高い地位にいる乗り手が乗っているはずだった。






 帝国の陣地に残っている者たちは、自身の機兵を持たない者だ。整備士や事務方、あとは歩兵。主に機兵が蹂躙した後の戦地を整理するのが役割なので、陣地で戦況を見守っていたのだ。

 当然、二体の王機兵による蹂躙を余すことなく目にしている。距離があったからだろうか、現場にいる者たちよりは冷静でいられた。

 あれには勝てない。そんな明確な諦め。


「の、ノゲリエが……」


 まるで荷物のように。ノゲリエの頭部を掴んで引きずるエネスレイクの王機兵。傷ひとつないその姿は美しく、誰もが目を離せなかった。

 その後ろを、のろのろとついてくる兵士たち。


『彼らは国に戻ることを選んだようだ。連れて帰れ』


 こちらの返答を求めてはいない、そんな声音。

 両手両足を失ったノゲリエを持ち上げて、冷然と告げる。


『あんた達を送り出して、これを帝国に送ったら、この陣地と転移陣を破壊する。巻き添えを食いたくなければ、一緒に帰るんだな』


 完敗。そして西方遠征軍の完全な全滅。その口に出すのも恐ろしい事実を、自分たちはこれから皇帝陛下にお伝えしなくてはならない。そして、その咎めは自分たちでは終わらない。

 誰が最初だったか。無言で転移陣へと向かう。その意図するところは誰も一緒だったろう。

 惨たらしく殺されてしまうならば、その情報が伝わるより先に、逃げなくてはならない。逃がさなくてはならない。

 全てが伝わる前に。混乱が起きているうちに。

 それが不実であると取り締まる者はもういない。

 転移陣に乗る前に、誰かが怒鳴り散らした。


「あの馬鹿皇子め!」

「あんな化け物を敵に回すなんて!」


 呪詛は連鎖する。帝国についてからは、吐き出す時間も惜しいのだから。

 帝国に到達した直後、彼らは一目散に走り去るだろう。

 事情を知らない帝国側の者たちの声を聞くこともなく、最後に転移してくるノゲリエの残骸に驚く者たちを後目に。

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