ビースト先輩、あるいは野獣後輩

ぽんぽん丸

ネットミーム・パーソン

女子が体操着を着て踊っている。体育祭の日で、大きな花の髪飾りをしてチームカラーの青い鉢巻を巻いた3人。突然「ビースト!!!」と叫び声がこだまする。女子が振り返り困惑する。女子たちがカメラアングルの外へ左右に散って、奥から怒りに震える彼が全身から蒸気でも上がっているんじゃないかと錯覚する覇気を放ち歩いてくる。ドスンドスンとグランドをグラードンみたいに踏みしめながらカメラに迫る。近づき過ぎて画面には腰の辺りしかもう映っていない時に再び「ビースト!!!」と叫びが聞こえる。今度は音割れもしている。


何を隠そうそれは私である。その映像を久しぶりに見たのはXからのおすすめのタイムラインでだった。


2万いいね、1,400リツイート。インプレッションは128万。ツリーでも大人気である。


-どんな状況だよww

-本家を踏襲したようなこの画質である

-登場までの余白、ごく短い間のインパクト、去り際のセリフ。今年のアカデミー賞は決まった。


すでに私の呼称が生れつつあり、そのままビースト先輩あるいは、高校生っぽいから野獣後輩とする派閥があるように感じる。そう高校生である。私はこの時、高校生である。


動悸がする。激しい動悸。手が震えている。動機や手の震えに効くものを養命酒しか知らない。でもビースト先輩、あるいは野獣後輩が今から養命酒を買いに行くのは危険だ。「養命酒を買うビースト先輩、あるいは野獣後輩」である。


スマホも震えた。私は驚いてついに心臓が止まりそうになったが電話の着信だったから、誰からかも確認する余裕も持たずに応答をタップした。


「もしもし、ごめん。俺のせいかもしれない?」

「えっ…何が?」


画面を確認すると高校からの友達であるデブだった。


「いやさ、スマホ落したって連絡したじゃん。高校の頃からのデータ全部入ってたからさ…そのXでバズってるの俺のせいかもしれない」


私は言葉が出ないでいた。スマホを落としてさえいないのに。あれは一体どんな映画だったのだろうか?タイトル出オチのミーハー映画だと見ないでいたのだけど、今は心から見たい。私の今後がわかるかもしれないから。


「そうだような。言葉も出ないよな。なによりも野獣後輩はやばいよな…」


呼ばないでほしい。音に出して呼ばないでほしい。


「いやさ、俺のスマホAmazonとかUberとかもログインしっぱなしで使える状態だったんだけどさ、まったく使われてなくてさ。お前のビーストだけだよ。どんな犯人なんだよ」


ホントにどんな犯人だ!私はスマホでXを開いてアカウントを確認する。Mr&Mrsビーストは今日登録されたアカウントである。このためだけのアカウント。文字はない。ただ動画だけが張らている。


「ほんとごめんな。俺もただ楽しい高校の思い出が消せなかっただけなんだ。スマホもさ、電車で寝っちゃってその時にポケットから落ちてたみたいでさ、気付かなかったんだ」


私はデブに怒ることもできない。奴は良い奴だ。


「ビースト…お前じゃないのにな。ビーストがお前のチャリを騎馬戦の時に担いで戦って逃げてさ、現場に残されたチャリの登録からお前が先生に呼び出されて激ギレされたから怒って探してただけだもんな」


懐かしい青春の記憶が主観映像で脳内再生される。もう数十万人が知っている思い出。私はやはり何も言えない。


「とりあえず今日は寝ろよ。まあ高校生の頃だしさ、今はスーツ着て社会人やってるんだから誰も気付かないよ。今警察にスマホ探してもらってるし、俺も他にも出来ることはしてみるからさ。1人じゃないことは忘れるなよ」


ビースト先輩、あるいは野獣後輩は私ひとり。「元気だせよ」という言葉を残してデブからの着信は切れた。私はベッドに横になってみるのだけど、昨日まで快適だった寝室がまるで豪雨の野ざらしのように感じる。自室の4枚の壁が私を見ている気がする。私のことを笑う声が止まらない。



私は結局一睡もしないままスーツを着てネクタイを締める。徹夜した日に飲む栄養ドリンクは酷い味がするはずなのだけど何も感じない。電車には乗りたくなかったのでタクシーを使うことにした。


社屋の少し離れた場所で降ろしてもらって、あと少しは歩いて向かう。なるべく交互に前に出る二つの私の革靴だけを見て歩く。会社の建物に入ると皆が笑顔で挨拶をしてくれる。


「おはようございます」

「おはようございます」


私はいつも以上の笑顔で返す。なぜなら皆がいつも以上の笑顔だったからだ。

一階受付の女性はいつも笑顔なのだけど、他の人もまるで会社の入り口で誰かを歓迎するみたいに笑顔だ。普段からこうだっただろうか?私の不安は膨らんでいく。映像でも撮っておけばよかった。会社の人が普段どんな顔で挨拶をしているか映像で撮っておけばよかった。そうすると少しはフェアだ。


デスクに荷物を置くと経理のリカちゃんが近付いてきた。


「あの、会議室で課長がお待ちです」

「あっ…えっ…わかりました」


リカちゃんは1年後輩で、来週同僚と6人で飲みに行く予定があるのだけどどうなるのだろうか?私は質問することも出来ずに会議室に向かう。


「ごめんな、呼び出して急に驚くよな」

「いや、あの、まあなんとなく…」


私は何から話すべきだろうか?


「やっぱりあの動画、君だよな」

「はい、そうです…」


私は「あんまり他の人に悟られたくないだろうから…」とエリちゃんが持ってきてくれたお茶の湯気を見つめることしかできない。なのでおそらく残念ながらエリちゃんは黒である。


「そうだよな…別に自分で公開したわけではないよな?」

「はい」

「ごめんな、当たり前だよな。でも上長として聞かないといけなくてさ」

「いえ、こちらこそ…すいません」


湯気はまだ立っているが、これが収まったら次は何を見つめればいいんだろうか。


「正直、どうしていいかわからなくてさ。うち女性用下着メーカーだからさ…」

男性下着メーカーに就職すればよかった。


「うちのXアカウントも良い感じだし、年末にちいかわコラボもするから、今野獣バズリはまずいんだ。SNSはやってるか?」

「高校の頃からのアカウントがあります…でも鍵アカですし顔がわかる写真はあげてません」


私はこれまでの自分の行動は間違ってなかったことを確認する。だけどそれでも課長の顔は見れない。


「そうだよな。君はそういうところちゃんとしてるもんな」


私は課長のその言葉が冷たく刺さった。事前に私の人柄まで理解した上で悩んでいることがわかったからだ。


「すまん。今この場ではどう対応するのかはっきり決められない。ちょっと上と相談させてほしい」

「はい、私もそうして頂くのが一番良いかと思います」

「どうする?いや、どうするって聞くのも良くないよな。今日までの仕事あるか?誰かが代わりに出来ないことある?」


入社して3年目の私はまだ替えが効いてしまう。頭の中がスパークする。


「ない…です。締め切りが直近のものはないですし、先輩方にお伝えすれば問題ない…かもです」

「わかった、今日は家にいてくれ。とりあえず個人のSNSアカウントはそのままにしておいていいから。でもあんまり友達とかの連絡はとらないでいてもらえると会社としては嬉しい。そこから変な騒ぎになっても困るし」


「はい」


私はこの会社で最後になるかもしれない指示を受諾してから、出社30分でまたタクシーで帰宅するのである。タクシーの中で考えたことは、課長が部長や社長に丁寧な文面で『うちの会社にビースト先輩、あるいは野獣後輩としてバズってる奴がいてどうすればいいですか?』という連絡をしているだろうこと。ひょっとするとそれから会議が催され、あの良い上司の課長が年配の上長に「野獣とは何か?」「なぜ女性下着メーカーにはふさわしくないか?」説明をしつつ、事態の規模感、これからの野獣対策について、提案をしなければいけないこと。


私の心は潰されそうだった。いやもう潰されているかもしれない。


もし、今の会社にいれなくなったらどうしようか?ビースト先輩、あるいは野獣後輩

の就職活動…?なんだその難度SSS就活は。サウナとか銭湯とかは無理だ。反対にスタバならいけるかもしれない。あそこには野獣に詳しい人はいないから。きっと採用担当も同僚もお客さんも野獣を知らない。そうだスタバ店員になろう。


そんなバカなことを考えていると、タクシーは自宅付近についた。


「このあたりで降ろしてください」


私はまるで芸能人のように、自宅バレ防止で徒歩3分のところに降りて歩いて帰宅するのだった。


「よう」

マンションの前でデブが待っていた。


「午前だぞ?帰って来なかったどうしたんだ?」

「しゃべってる!よかった。その時は夜まで待ったさ」


課長からの連絡をとるなという指示を思い出すのだが、会うなとは言われていなかった。私は不安になって鍵をポケットから取り出しオートロックを解除する。


「早く入って」

「おう」


人目を気にしたからだけど、デブの顔はいくら見られてもいいのになぜか彼はシャツの襟を両手で持って顔を隠してオートロックの自動ドアをくぐるのだった。



「とりあえず何日間かの食事買ってきといたから」

デブは部屋に入るなり冷食やレトルトや米まで入った袋を差し出してきた。妙に大荷物なのはそのためだった。私はありがとうと言うのも違う気がしてだまって冷蔵庫や冷蔵庫にしまう。


「会社どうだった?」

「まあ、この時間に帰ってきてるからさ」

「クビ!?」

「いや直接の上司だけでは判断できないから自宅にいてって」


デブはよかったと胸をなでおろす。デブはデブなりに自責の念があるらしい。


「でもまだわからんってことだよな。万が一の時はどうする?」

「どうもなにも…わからん」

「だよな…実家に帰るのはやめてくれよ。スマブラする相手がいなくなる」

「いや、お前がswitch買ったら通信でできるんだけど」


デブはそこだけ返事をしなかった。


「俺に出来ることはなんでもするからさ」


意地でもswitchは買わないらしいが、私は10kgのコメ袋をキッチン下の棚にしまっていたから、なんとかその言葉は信じることができた。



デブが作ったカレーはうまかった。味がする。

「濃くしといた」と彼は言う。


腹も満ちて少し心情も回復したからXを確認するといいねは9万まで増えていた。またちょっと吐きそうだった。


「俺もさ、この前バズったんだ」

「いや無理だろ。あのチャンネルは無理だ」


デブはユーチューバーである。偶然マジックチャンネル。


「それがさ、この前遂に成功したんだよ!」

「マジで?それでバズる?」


デブが自分の動画を再生する。自宅の服のかかったハンガーラックを背景に、1人暮らしには似つかわしくタキシードを着たデブが登場する。手に持ったトランプから一枚引くとデブ自身は確認せずにカメラに向ける。ダイヤの7。それを山札に戻して妙にぽい手つきでデッキをくる。突然デッキを頭上に投げる。落ちてくるカードから一枚キャッチして再びカメラに向ける。


そのカードはなんとダイヤの7である。カードを投げ捨てどや顔をするデブ。


「すげえ、成功してんじゃん」

「だろ?これが125本目。最初の頃はキャッチもできなかったのに」


そう、マジックでもなんでもない。偶然に任せて成功するまでやるマジック(?)チャンネル。それがデブのスタイルである。なので普段は頭上に投げたカードを一枚もキャッチできなかったり、全然違うカードを見せてドヤ顔するチャンネルである。


-成功してて草

-正解のカード知らないから成功かどうかカメラで確認するまで本人わかってないのおもろ

-124回目から見てます!見始めて2日目でこの奇跡に立ちあえてよかった!よくないか!!もっといいことで運を使いたかったです!!

-毎日見てる身としては明日からも続けてほしいような、ここでやめてほしいような…


コメント欄も賑わっているのであった。それでも3000再生と420いいね。


「内容はあれだけどさ、すごいことだよ。おまえは俺の1000倍すげえ。俺は奇跡起こしてもこの程度なのに」


私は少し嫌な予感がしてきた。


「いやさ、もし会社クビになったらさ、動画撮ろうぜ」


私は高校から続く交友でデブの思考が読めてきた。スマホのコメント欄からデブに視線を向けると、予想は的中していた。


『企画書 【謝罪】私はビースト先輩、あるいは野獣後輩の妹です』


そう書かれたA4の企画書なるものを胸の前に両手で大事そうに持ったデブが仲間になりたそうにこちらを見ている。


「おい、殺すぞ」

「だめだめ、ピー入れないといけなくなるから」


私はため息をつく。


「流失させたのお前?」

「いや、それはガチ。スマホ失くしたのはガチだし、拾った人が流失させた」


私はデブの目を凝視する。この男は罪悪感がすぐに出る。だって例のビースト事件の時も校外へ逃げたビーストを一緒になって街中回って夜まで探してくれて、「見つけられんくてごめんな」と謝ったのである。怒りに震えて、他者にぶつけようとしていた私の心を落ち着けた、あの時のこの男の申し訳なさでいっぱいの目を私は生涯忘れることはないのである。


ただ、その目は今、おもしろ台本収録にキラキラしているだけだった。


「すぐ公開しなくてもいいからさ!撮るだけ!!編集しておくだけ!!もしも万が一、仕事なくなったら公開しようぜ!!」


私は企画書をぱらぱらとめくる。


動画冒頭

セリフ「サムネに騙されたようだな愚か者どもめ。妹ではない。本人である!」

がはははと高笑いをする。


クソ台本だ!!!なのに私はほんの小さく、小さく噴き出してしまった。


「なあ?おもろ過ぎるだろ?こんなチャンス二度とないぜ」

「二回目があってたまるか。こっちは人生変わりそうなんだよ」


私は笑いから離れて必死に怖い顔を作るのだけど、結局は底辺偶然マジックユーチューバーの書いた企画書を読んでしまうのである。


「撮ろう!!もう撮るしかないって!!保険だから!!保険!失業保険と思って…」

デブは両手を顔の前で揃えてペコペコと頼むのである。


「バカ!!どんな保険だよ!福祉舐めるな!!」

実のところ私はほんの少しだけ撮りたい気持ちが湧いてきていた。


課長にも、おそらく部長にも社長にも、会社にもどうにもできない。きっともう世の中の誰にも、どうにもできない群衆を私はどうすればいいのだろう?


もちろん一過性のもので大騒ぎはいずれ去るかもしれない。だけどうっすらと私にとりついた野獣の亡霊は生活の折に顔を出すかも。新しい職場、新しい出会い、新しい活動の最中、「もしかして…」という表情を相手に感じとりながら私は気付かないふりをするのだろうか?


いっそ開き直って友と生きるのも悪くないのかもしれない。


「俺たちなら令和の水溜まりボンドになれるよ!!!ぜったいだ!!」

「なんだろう…いいんだけど!!いいんだけど…ほら!いろいろさ!もっと他の人でもいいんじゃないかな!?」


27時。私は結局、デブが異様な大荷物の中から、カメラや撮影ライトまで取り出して、私の部屋に設置する作業を、昨日から変わらない莫大な不安と、新しく湧いたほんの少しの楽しさを抱えて、ただ眺めているのである。

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ビースト先輩、あるいは野獣後輩 ぽんぽん丸 @mukuponpon

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