五つの顔を持つ女(カクコン11用改稿版)

小田島匠

平成21年1月29日 新潟県糸魚川市

 午後4時、富山から来た急行列車が県境を越えてすぐに減速し、ブレーキをきしませながら、糸魚川いといがわ駅のホームに入ってくる。

 屋根に雪が厚く積もった車両から、二人の男が降りてきた。一人はくたびれた茶色のコートを着た鋭い眼つきの中年で、もう一人はナイロンの黒いジャンパーを羽織った若い男だ。

 二人は駅前のロータリーに佇み、白い息を吐きつつ、周辺地図の立て看板を指差して確認したあと、さして広くもない、寂れた大通りを北へと向かった。

 雪はちらほら舞っている程度だが、路面の雪が消雪パイプの水で溶かされ、足もとはグシャグシャだ。


******


 私は、潮の匂いが漂う民宿の2階から、静かに外を見ている。

 夕方4時を過ぎ、北陸特有の鉛色の冬空が、さらに黒さを増してきた。

 私は、部屋の窓を開け放ち、寒い海風に吹かれながら、すぐ目の前の日本海をじっと眺め続ける。富山から逃げてきたこの7日間、ずっとそう。

 今日は特に海が荒れている。緑色に濁った波頭がせり上がり、巻きながら泡を立てて崩れ落ち、岸を激しく洗っている。


 私は、私が若い頃に愛した、あの男のことを思い出す。

 私があんたを刺し殺したのが、昭和59年の今日だった。あと8時間で満25年。時効成立。


 あんたは、ほんとにひどい男だったわ。あんたはね、あの頃あんたに惚れ抜いてた私を、芯までしゃぶり尽くしたんだ。

 私、食べるものも、遊ぶ金も、身体も心も、全部あんたに差し出した。お金が全部なくなってからは、サラ金から借金して、ソープやヘルスで働いて、そうしてあんたを繋ぎとめていた。あんたのいない人生なんて、私には考えられなかったからね。

 だけど、あんたは、すっかり枯れ果てて出涸らしになった私を、ぼろ雑巾みたいに惜しげなく捨て去って、別の女のところに行こうとしたんだわ。あんな女より、私の方がずっと綺麗なのに、ずっとあんたを愛していたのに。

 

 だから、私、あんたを刺して、そして逃げたのよ。

 だって、どう考えったって、あんたが悪かったんだから、それで私が捕まって牢屋に入るなんて、おかしいでしょう? 釣り合いが取れないでしょう?


******


 だけど、自分を世間に隠して逃げ続けるのは、思っていたより、ずっと苦しかった。逆探知が怖くて家族に連絡できなくて、誰にも素性を明かせず、一人で生きるほかなかった。行く先々で名前を変えて、パチンコや、キャバレーや、それこそソープなんかで住み込みで働くしかなかった。


 指名手配されて、顔もばれちゃったから、お金が貯まるたびに、美容整形に行って、眼や鼻や顎にメスを入れて、顔を変えた。それですぐ次の街に移って、また偽名で働いてっていうのを繰り返したわ。その都度、10㎏くらい太ったり痩せたりしてたから、私、5回くらい姿かたちが全く変わった。もう元の姿もよく思い出せないくらい。


 いつもいつも、捕まるのが怖くて、人混みの眼を気にして、ほんの小さな物音にも怯えて、夜もよく眠れないまま不安な日々をすごしていた。だから私、もう数えきれないくらい沢山の男を引き入れて、この身を預けたの。布団にもぐって男に抱かれている間は、守られてるみたいな気がして、少しだけ安心して眠れたからね。


 だけど、結局、あんたほどの男はいなかったな。あんたは、金と女にはだらしなかったけど、すごく優しかったし、それに男前だった。身体の相性もよかったしね。

 私、最後にあんたを刺しちゃったけど、あんたのことほんとに好きだったんだ。25年たっても、優しく笑ったあんたの顔をはっきり思い出せるもの。それを胸に抱えて生きてきたもの。だから、うん、そうね、今でも大好きよ。


******


 二人の男は、商店街を抜け、家や民宿が立ち並ぶ界隈に入ってきた。


 歩きながら、「それにしても、旅館の女将さん、よく気づきましたねー。『女の第六感』ってやつですかね?」と、若い方が声を掛ける。

「まあ、ふらっとやってきて1週間もじっとしてたら変に思うだろう。それに、この何日か、テレビでずっと画像流してたからな」と、中年の男が、足元の雪をゴム長で踏みしめながら返す。


「だけど、25年って、刑務所ムショに入ってるよりずっと長いですよねー。それって償いにならないのかなあ? 相手の男もろくでもない奴だったわけだし」

 そう言われたものの、中年の男は明確には答えず、ゴム長の足元を見つめながら、ようやくと言った感じで言葉を絞り出す。

「まあ、そうかも知れないが、それは遺族の気持ちとは関係ないだろう。……俺だってな、長い事、この女に振り回されて、女房や子供に愛想つかされたんだ。恨みがあるんだよ……」

「ああ、そうでしたっけね……。失礼しました」


 二人が歩く道の切れ目に、灰色の海原が見えてきた。


******


 私、この25年間逃げ続けて、幸い、捕まることはなかった。だけど、振り返ってみると、結局、自由な広い牢屋に閉じ込められていたようなものかもね。

 あんたを刺してすぐ捕まっていたら、あんたはひどい男だったし、世間の同情も買っただろうから、10年くらいで出てこられたかも知れない。そうしたら支援団体の庇護を受けて、私が私として生きていけたのかも知れない。


 今となっては、どっちがよかったか分からないけれど、本当に、間違いなく、25年という年月は長かったわ。

 27だった私が52になったんだもの。人生で一番充実していたはずの時間も、美しかった私も、丸ごと失ってしまった。

 

 それもあと8時間。日付が変わったら、私は本当に自由になれるのだろうか。

 もちろん逮捕されることはなくなるわけだけど、それ以外、今と変わるのだろうか。……いや、きっとだめね。過去を明かしたら、どこにいっても後ろ指を指され、「人を殺して、まんまと逃げおおせた女」って、どこまでも噂が付きまとうだろうから、ずっと私を隠したまま生きていくことになるのだろう。


******


 二人の男は、駅前の大通りを突き当たり、北の端、一番海岸に近い民宿の前に立ち止まる。

 そして、看板を確かめ、呼び鈴を押す。

 

 しばらくすると、引き戸の隙間から、日焼け顔の漁師の女房が顔を出し、コートの中年男がちらっと手帳を見せる。

 女房は緊張した面持ちで、コクコク頷いて、二人を玄関のたたきに招き入れ、無言のまま、2階へと続く階段を指差した。


******


 ああ、雪が強くなってきた。大粒のぼたん雪だ。

 私は、両腕で肩を抱き、だけど雪が身体に吹き付けるのもいとわず、海を眺め続ける。

 海水の方が暖かいのか、湯気を立てながら白い巻波が押し寄せ、海面に無数の雪が降り注ぎ、吸い込まれ、そして跡形もなく消えていく。


 私の、この苦しかった25年の道程が、もうすぐ報われて、溶けて消えていきますように。彼を愛した私が、彼を刺した私から解放されますように。

 私の、明日からの人生が、明るい光に満ちますように……。


 私は、そんなことを願いながら、しかし、そこで、ギシギシと階段が鳴る、どこか不吉な気配も感じとった。


 ……そうか。まだ逃れられないのか。


 もう、本当に疲れた。私は、すっかりくたびれ果ててしまった。

 今はただ、この、「時の牢獄」から、解き放たれたい。


******


「お客さん、いますか?」 漁師の女房が部屋の中に声をかける。返事は返ってこない。

「お客さん、入りますよ」 そう言って女房がドアを開け、すぐに「バっ」っと、二人の男が部屋に踏み込む。


 が、畳の部屋には誰もおらず、カーテンが強い冬の風にはためくばかりだ。


「逃げましたよ!」 若い男が叫んで、窓辺に近づく。

 窓の下には、深く積もった雪に点々と足跡が付き、だが、真っすぐに海に向かっている。


 二人の男が窓辺に張り付き、眼を凝らすと、今、あの女が波打ち際に立ち、両手を合わせて、一歩一歩、海の中に歩を進めているところだった。


 そこで、「あっ!」っと二人が叫んだところで、泡立つ白い波頭が女を飲み込み、沖にさらい、そのまま緑の波間から姿が見えなくなった。


 暖流の流れ込む海は、もうもうと白い湯気を上げ、そこに雪はしんしんと降り続く。


 昨日も、今日も、明日も、25年たっても変わらない、時間の波が押し寄せるばかりだ。 


   

                   ~ 五つの顔を持つ女 ~ (了)



→ 読者のサバミソニイさんが、本作のファンアートとファンソングを作ってくださいました! 

https://kakuyomu.jp/users/sabamisony/news/7667601420006672571#comment-7667601420016553961


 うわー、まさにこのとおり、このまんま!

 逃げ続ける薄幸そうな女を見事に描き切っていますね。。

 この疲れ切ったウツロな目線がいいw

 またこの二人の刑事がいい。特に苦み走った中年の方が。この女のおかげで女房と子供に逃げられて、人生かけて追い詰める表情が秀逸でございます。


 あと、楽曲もいいですねー。本作の必然で、暗い演歌調なのに、なぜか「スゲーよ、これ! 良く作ったなー!」って笑ってしまうのはなぜでしょうかw 「時の牢獄」というタイトルも素晴らしい。「五つの顔を持つ女」より、こっちのほうがいい気がするくらいですね。

 歌詞もすごく作りこんでて、「わたしの顔は、 きまぐれな 空のようにうつろい続け 、幾重にも 雲に覆われて思い出すことも できない」というところに、「そうそうこれこれ」って膝を打ちました!


 本当にありがとうございました!

 皆さんもぜひご覧になって下さい!




 


 




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