義経、三日で覆(くつがえ)す ~三日平氏の乱~
四谷軒
元暦元年(1184年)八月、源氏の危機
1
一ノ谷の戦いを終え、
兄の
ところが。
「実平が負けた?」
実平が撃破されてしまう。
同時に、
その勢いは凄まじく、
源氏は辛くも勝利したが、信兼は伊勢へと逃げ、行方を
2
「信兼を捕らえよ」
頼朝は義経に書状を送った。
というのも、信兼の長子は
しかし信兼は、義経が源義仲と戦った時(宇治川の戦い)に、義経に味方していた。
現に、信兼の子、
「だが信兼は源氏に抵抗する気だったのだ。子らとは決別して」
頼朝は書状でそう述べた。
また、伊勢にその信兼が隠れ潜んでいるため、軍を
「このままでは――源氏の危機だ」
頼朝の書状はそう結ばれていた。
義経は、
3
兼衡らは、父・信兼の行方を知らないとした。
自分たちも連絡を取りたいが取れなくて苦慮している、と。
「しかし、
「心外でござる。天地神明に誓って、さようなことはござらん。それを証すためなら、われら、何でもしましょうぞ」
「そうか」
4
伊勢、滝野。
この地に潜伏していた信兼は、義経の進軍を知った。
「われらがどこにいるか、わかるまい」
信兼は豪語した。
念のために物見をさせると、義経は何かの――物質を三つ、鞍にぶら下げていた。
さらに確かめると、それは息子たちの首だった。
「何だと」
信兼は激昂した。
息子たちは鎌倉についた。
それなのに。
5
信兼は滝野で挙兵した。
そこを攻めかかった義経は、こう言った。
「鎌倉についた子らを大事にするのなら、なぜ自分だけ平氏につく?」
信兼は平氏が勝った時、家を残すため、平氏についた。
それが
義経はそう口にして、信兼を討った。
こうして、鎌倉は伊勢を気にせず、範頼を九州へと攻め入らせ、義経は屋島へと切り込むことができた。
義経が京において信兼の子らを討ち、伊勢出撃まで、実に三日。
この三日で、義経は
それゆえか、歴史上、この乱は「三日平氏の乱」といわれる。
【了】
義経、三日で覆(くつがえ)す ~三日平氏の乱~ 四谷軒 @gyro
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