決死、花咲き乱れども

ノエルアリ

第1話

「――色男さねぇ、太夫だゆう


 そう男に向かって嬌笑振りまくのは、赤地に黄色の牡丹柄の着物を羽織る、古い身方の女。


「アンタの方が色香咲き誇るイイ女だぜ? えんじゅ御前」

「あらぁ。素鵞するが水軍一の色男にそう言ってもらえるなんざぁ、今宵は一段と美味い酒になりそうさね」


 月が真上に位置する刻限であっても、真っ赤な紅をさし、白珠の肌に薄っすらと頬に熱を帯びているが分かる。


 ――愛らしい、なんざ今さら言えたタチじゃねぇけど。

 魏太夫は徳利を置くと、隣に立った槐御前と共に、海面に揺らぐ望月を見つめた。彼らは今、戦船の上にいる。2人きりの夜、他の船からの喧騒は何も聞こえない。

「戦乱の世であっても、凪いだ海は静かだなぁ」

「騒がしいのは何時いつだって人間だけさね」

「ちげぇねぇなぁ」


 それ以上、魏太夫は何も言わなかなった。

「時に魏太夫――」と槐御前が頬杖をつき、くっくと笑う。

「お前さん、幾つに相成った?」


「俺ぁかい? ……さぁな。牛若と壇ノ浦で合戦した折はまだ、17,8そこらだった気がするが」

「あれから400年近くが過ぎ去った。ならば420くらいかのぅ」

「アンタがそう言うんだったら、そんくらいだろうなぁ」

 今度は魏太夫が悪戯に笑った。


「まったく、月日が流れるのは早いさね。おかげでわっちも600を超えてしもうたわな」

「サバぁ読みすぎだろ、ババァ。俺が物心ついた時にゃ、アンタは十分年増だった。噂じゃ、ヤマトの女帝と朝まで呑んだくれてたとかどうとか」

「そんな記憶はわっちにはないのう。……ないが、次またわっちをババァと呼んだら、鎹と共にお前さんを海に放り投げるぞ?」

 あはは――と笑う槐御前の目は本気だった。その時だけ、ざぶんと波が荒立った。もう呼ばねえよ、と魏太夫が逃げるようにあさっての方角に視線を向けた。海面の月はゆらゆらと揺れていて、今にも溶け混んでしまいそうだと魏太夫は思った。


「――魏太夫」

 名を呼ばれて振り返れば、「不思議なもんじゃのう」と槐御前がしみじみと言った。

「わっちはのう、人など好かんかった」


「そうなのか?」

「ああ。今でも好かんが、こうして人の世の戦にて、我が身を賭して戦う己がおる。人の世の戦など、我ら鬼には関係ないというのにのぅ」

「関係ないこともないだろう。こうして興味本位で戦場に出て数百年。人の世の理は、俺ら鬼の世の理をも変えちまったのさ。踏込み過ぎちまったのかもしれねぇがなぁ」

「お前さんは限りなく人寄りだからのぅ」

「槐御前は――」


 魏太夫がうつむき加減に微笑む。

「槐御前、アンタは今まで、桃太郎と出会ったか?」

「桃太郎かどうかは知らんが、わっちはやはり、尾張のうつけが一等気に入ったのぅ。あれほどの豪胆もおらんわな」

「そうか、尾張の。確か京で明智に討たれたのだったなぁ」

 特段帰依心もない魏太夫が、南無南無と坊主の真似事をしたのが可笑しくて、傷心の槐御前が笑った。


「ところで、お前さんの桃太郎は一体誰じゃ?」

「俺ぁ、断然、清盛入道……」

「ほう、平家惣領か」

「――の、嫡男、重盛さな」

「小松殿かえ。紛らわしい」

「イイ男だったろう?」

「そうさな。文武に優れた人徳者、行き過ぎた父を諌める、不遇の嫡男ではあったのぅ」

「む? まさか、重盛のことがきらいか?」

「きらいではない。……ないが、奴とは確執がある、とだけ言うておこう」

「その昔、アイツと何かあったんだな」

「踏込み過ぎると、その首飛ぶぞ?」

「もう聞かねぇよ」

 強や怖やと肝を冷やす、魏太夫。


「……イイ奴だったんだよ、重盛は」

 魏太夫が徳利の口を逆さに、亡き友との思い出を懐かしむ。

「確かにイイ男ではあったのぅ。じゃが、ちぃと早死だったは、どうにも勝ち逃げされたようで気に食わん」

「あいつがもうちょい長く生きていたらば、平家の都落ちもなかったかもしれんなぁ」

「英雄とは短命なものじゃろ。いつの時代ものぅ」


 凪いだ海は静かで、声すら波にのまれたようだ。ふと魏太夫は、身を乗り出して真っ暗な海の底を見つめた。

「押すな、ということであらば、押してやろうか」

「やめてくれ」


 魏太夫が元の場所にすとんと足を揃えた。

「探し物かえ?」

「いや、そうじゃねぇんだが、ふと気になってな。アンタ、海の底には何があると思う?」

「ふん。海の底など知らんぞえ。ただまぁ、あるとすれば、人でも鬼でもないものらの世ではないかえ」

「人でも鬼でもないもの……」

 槐御前はくつくつと笑って、目を細めた。

「お前さんが潜って確かめてくれば良かろう」 


 魏太夫が顎に手を寄せ、歪んだ表情で言う。

「どこまで息が保つかも分からねぇし、本当に得体のしれん何かが潜んでいるかもしれねぇ。相手が人や鬼ならば簡単に殺せるが、そうでないものならば、逆に俺が殺されるかもしれねぇだろ?」

「何とも軟弱じゃのう。日の本の海を統べる素鵞するが水軍の鈎役とは思えんのう」

 敢えて失望の眼差しを向ける槐御前に、なんとでもと魏太夫がそっぽを向く。

「魏太夫よ」


 さわさわと波打つ海に、槐御前の吐息が溶けていく。魏太夫はバツが悪いままで、海面の月に集まる水母くらげに小石を投げた。ちゃぷんと水面が跳ねて、水母が散っていく。

「明日の合戦では、ゆめゆめ死ぬでないぞ」


「それは」と海面から視線を上げた魏太夫が、槐御前を見つめる。

「よもや俺に死相が見えての忠告か?」


「まさか」と肩を竦めて槐御前が首を振る。

「お前さんは対峙した敵が戦わずして逃げ出す程の強者じゃからのう。いやなに、勝ち戦に慢心しとるのではないかと思うてな」

「ふざけんな。そこまで阿呆でもねぇよ」

 心外だと言わんばかりに、魏太夫の目が据わる。

「戦じゃ、何時如何なる時も最悪の事態を頭の片隅に置いてらぁ。こちとら身方であるアンタに寝首をかかれることまで想定してらぁよ」

「おや。それは何とも……」


 槐御前の言葉が続くことはなかった。代わりにちゃぷんと海面に何かが放り投げられる音がした。

「何を投げたんだ?」

「いやなに、わっちの分身をな」 

「分身……」

 それが何か、魏太夫には何となく想像できた。

「死んでくれるなよ、色男」


 徳利を片手に、槐御前が寝床へと帰っていく。

「ああ」と返事した魏太夫は、水月の底に沈んでいったものに想いを馳せるも、その手を取り、アンタもな、とは言えなかったのである。


 ◇◇◇


 やがて時は過ぎ去り、徳川の世で水軍が解体される時代となった。

 方方から黒煙が巻き上がる。敵方が帆柱のけたを取り、船に乗りうつる。敵を打倒し、帆げたを取直し敵船を突けば、一艘二艘とつき沈む。

 それは槐御前を乗せた船もまた然り。沈みゆく身方の船を背に、最後の一艘で鈎役として戦う魏太夫は笑っていた。

 不意を突かれ、鉄矢が魏太夫の首に突き刺さった。


素鵞するがの鬼、討ち取ったなりっ――」

 敵方の勝鬨を聞きながら、死傷を負った魏太夫は海の底へと沈んでいった。

 ふと、視界の端にきらきらと光るものを見た。あれは……、と魏太夫がそちらに手を伸ばす。

 触れると、それは真珠の首飾りだった。


 ――これがアンタの分身か。

 あの月が溶けそうな夜から何十年と経とうとも、魏太夫にはたった数日前のように思い出される。

 それと共に海底へと沈んでいく魏太夫は、もう幾許と息が保たない中で、ぼんやりとあの夜に交わされた言葉を思い出した。


 海の底には何があると思う?

 人でも鬼でもないものらの世ではないかえ。


 ああ、と魏太夫は合点がいった。

 ――確かに人でも鬼でもねぇなぁ。

 見れば、海底一面に咲き乱れる花が魏太夫を優しく受け止めた。

 真珠の首飾りを握り締める魏太夫が、そっと瞼を閉じた。

 ――あの夜、一緒に確かめに行けばよかったなぁ。


 そうすれば、海の底に咲く花を共に見られただろうかと、魏太夫はどこかに沈んでしまった槐御前に想いを馳せた。


 海の底で一人の鬼が事切れた。

 ぶくぶくと最期の息が海面へと上昇していく。数十、数百と顕れては消えていく泡の一つ一つに、戦で命を落とした武士らの無念が含まれている。 

 泡がいくつも昇り、やがて誰の知るところでもなく消えた。

 だがその亡骸は花の苗床となり、静かに海を彩ったのである。


 決死 花咲き乱れども、

 その命 散りてなお 海の底を照らさん

 波の間に 花は沈めど 

 鬼も人も 夢に咲きけり



――・――・――・――・――・――・――・――


 魏太夫と槐御前のイメージイラストがございます。是非お立ち寄り下さいませ。

https://kakuyomu.jp/users/noeruari/news/7667601420033542580

 



  

 



  

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