グッバイあの夏をもう一度

音愛トオル

グッバイあの夏をもう一度

 8月の終わり。

 それは――

 何もしていないのになんだか一日が寂しくてたまらないような、あるいは席替えとかクラス替えの前みたいな、ともすればその時よりもずっと胸がきゅっと締め付けられる。そんな日だと思う。

 要するに夏休みが終わって欲しくないだけなんだけどさ。

 そんなことをアキに言ってみた。


「……宿題なら見せないけど」

「いややってるよ!? じゃなくてさ、もっとこう、ないのっ? 高校生の、高2の夏休みの終わりだよ!?」

「うーん、まあそうだけど。言うてもウチらめっちゃ遊んだじゃん」

「……それはまあそうだけど」


 私こと七海ナナミとこの子、秋は高校入学からの付き合い。二人とも部活は別々だったのを、どっちも上手くいかなくてやめてからは帰宅部どうし、毎日一緒に放課後を過ごす仲。最初のきっかけも忘れてしまうくらいには、もう随分長い間その時間を共にしている。

 そんな私たちが居るのは秋の家の近所にある個人経営のカフェ。こじんまりした空気がお気に入りで一年生の頃からの常連だ。マスターさんもすっかり私たちの顔を憶えててくれて、今日なんか「新発売のアイスが美味しそうだったから」と分けて貰った。


「はー、あと1週間で夏も終わりかぁ」

「9月も10月も暑いってよ」

「だーかーらー、それはそうだけど違くて! 夏休み! それと8月ね、8月。やっぱ8月は夏の中でも一番強いって」

「それはまあ分かる」


 秋が肩の上で遊ばせている毛先を指ですくって、くるくるしながら頷いた。

 私も負けじとパスタをくるくるする。美味しい。ここのカルボナーラはコーヒーよりも好き。


「それでウチを呼んだのね。要は寂しいから」

「――否定はしない」

「ふふ、素直じゃねーなー」

「るさい! からかうならそのお肉貰うけど」

「それはずるじゃんさぁ」


 それからもなんだかんだあーだこーだ言いながら私たちは二人の夏休みを満喫した。帰宅部で夏休みも時間が有り余っていた私たちは、秋の言う通りほとんど毎日会って遊んでいた。

 遊ぶと言っても、何回も何回もあっちへこっちへ行くお金はないから8割くらいはお互いの家に上がって、部屋でくつろぎながら二人でネトフリとか見てた。傑作で有名なめっちゃ長い海外ドラマに挑戦したり、それはそれで楽しくて。


「ああ、私の夏がまた終わっていく……」

「終わってくねぇ」

「秋はないの、そういうのさぁ。なーんか気にしてませんとか言って、一昨日見た映画めっちゃ夏のヤツじゃん。『時かけ』」

「うっ。それはまあ……否定はしない」

「あははっ、素直じゃね~な~」


 私はさっきの秋の真似をして、ついでにつんっ、とつま先で秋を軽く蹴った。

 テーブルの下、秋もじゃれついてきて、しばらく足で突っつき合う。


「――あ」

「なに、七海」

「いや思いついたんだけど。私たちに足りないの」

「フットワーク? いや……脚力?」

「脚力はいらないし、フットワークは逆にあるでしょ、こんなに毎日会ってるんだから。電車使わないと来れないし、定期あるからいいけど――じゃなくて!! 夏だよ夏!! 私たちに足りないの、ホラーじゃない!?」

「……はぁ?」


 私はぐっと拳を握って力説する。秋は呆れ顔だけど、ふふ、あんた分かってないね。

 いい?


「夏ってのは暑いでしょ。暑かったら涼しくなりたい。怖いって寒気がするんだよ。つまり夏とホラーはそれはもう切っても切れぬみちげつの……あれ? みつげつだっけ」

「蜜月?」

「それ、それげつの関係なんだよ」

「ふーん……夏とホラーが蜜月なのは知ってるけど、ホラーって何するの」

「いやまあ見るんじゃない? 映画とか」

「やってること変わらなくて草」


 私たちの会話を聞いていたマスターがカウンターの奥でクスリと吹き出していた。

 それを聞いて、私と秋も目を見合わせてぷっ、と吹き出してしまう。


「ははっ、まあウチらっぽいか」

「そうだよ! よし、そうと決まれば今日は秋んでホラー映画祭りだ!」

「――あ」

「え、何」

「……いや、ウチら今年、祭り行ってなくねー?」

「あ」


 ……8月の終わり。

 だいたいどこも祭りは終わってる今、私たちは。


「うるせー! ポップコーン買ってくよ!」


 二人でホラー映画祭りをすることになった。



※※※



 七海ナナミそっち持って。

 アキリモコンどこ?


 なんていうふうにだらだらと話しながら秋の部屋でちょっとしたリフォームをして(テーブルとクッション移動して、モニターの向きをちょっと変えただけ)、私たちは祭りに臨んだ。

 その前に、秋のお姉ちゃんがたまたま家にいて、軽く雑談したら、


「え!? あんた達今年祭り行ってないの!? それでホラー映画祭り!?」

「いいでしょねーちゃん、行かなくたって」

「そんなこと言って、大人になったらね、あの夏もっと楽しんどけばよかったってなるんだから」

「私たちと3つしか変わらないのに……」

「でも意外だよ、七海は行きたがりそうなのにさ。去年はあたしの車出して! って言って3人で海見に行ったのに」

「それは……高校生なったばっかでなんかしたくなって……今年は、なんかずっと海外ドラマ見てたから。あとあれも見た、マーベル」


 そんなこんなで、急遽秋のお姉ちゃんに浴衣を借りることになって(着させられることになったとも言う)、私たちは浴衣でホラー映画を観賞会を開くという、夏の山盛り次郎系ラーメンみたいなことをしていた。

 食べたことないけど。


「じゃ、まず何から見る?」

「えー、どうしよ」


 そんなこんなで、私たちのホラー映画祭りは始まった。

 私は秋の浴衣姿にドキッとして、私はどう見えてるのかなとか気になってそわそわしていたけど、秋の方は早々に締め付けがきつくなったみたいでゆるっゆるだ。ほぼはだけてる。

 ……というか目のやり場に、その。


「トイレ?」

「違うよ」


 そわそわしてたらそんなこと言われた。

 しかし思い返してみれば今年見たのはアクション映画や人間ドラマばかりで、呪いのうんたらとか悪魔のなんちゃらとか恐怖のふにゃふにゃみたいなのは見てなかった。でも、いざ二人で見ると――


「きゃー!!」


 これは秋の悲鳴。

 初めて聞いたかもしれない。


「んぎゃー!!!」


 これは私の悲鳴。

 怖すぎて秋にしがみついて叫んだから「うるせー」と笑われてしまった。


「……全然涼しくないですが、七海先生」

「うむ……秋さん、どうぞ」

「ちょっと、いやかなり……楽しいかも」

「ふふ、そうでしょうそうでしょう」

「夏かって言われたらわかんないけど」

「夏なの!! いい!? 8月の女子高生は皆友だちとか恋人とか好きな人とかと一緒に浴衣着てホラー映画祭りしてるからね!? インスタ見てみなよ」


 わいきゃいぎゃーぎゃー言いながら、私たちはホラー映画祭りを楽しんだ。

 お菓子が尽きて、着替えて買いに行って、夕方の町を怖い怖い言いながら笑って走って。

 秋には言わなかったけど。


「……ふふ」


 なんだかそれは、とっても――「夏」だなって感じたんだ。



※※※



 ――なんてことが、一昨日あった。

 夏休み最終日。

 さすがに二人とも家でゆっくりしたかったから今日は一人。

 アキの居ない私の部屋はどこか殺風景に感じて、一人で顔が熱くなる。


「……秋、何してんだろ」


 秋に内緒でホーム画面に設定している、去年のクリスマスに二人で撮ったツーショットをなんとは無しに眺める。手を繋いで、イルミネーションの前で笑って。

 あの日は秋が手袋なくしたーとか言って私の手を握ってきたんだっけ。


「――ほんとに、もうほんとにっ」


 スマホをベッドに放り投げ、私はクッションを抱きしめてどてっと倒れ込んだ。

 一人の時間というのは味があんまりしなくなったガムみたいなもので、ずっと続く割に楽しくない。

 溜息一つついて、私はてきとーに着替えた。

 とりあえずコンビニにでも行こうと思ったんだ。こういう時は身体を動かすに限る。雑な格好に日焼け止めを塗りたくって日傘をひっさげて、私は昼の夏空を仰いだ。


「……ホラー効果、もうないよねぇ」


 暑すぎ、と一人笑って、私は歩き出した。

 途中でやめとばよかったと後悔しつつ、信号を待っていると、ふいに何かが視界の端に引っかかった。近づいてみるとただの紙切れだと分かる。

 信号待ちの間、私はなんとなくその紙切れに視線を落として――


「……え?」


『毛むくじゃらの氷水に耳をくべなさい。身体を伸ばして小さくなったら、すかさず雨を着替えて空空空空、こここ高低差が重要だといとこも言っていましたがそれはおおよその予測通り、路地裏の大衆酒場でしたね』


「なに、これ」


 その紙切れには赤黒い字でそう書いてあった。

 、と私は首を傾げる。こんなの、


「――っ!?」


 とんっ、と背中から人がぶつかって来て、「すいません」とかけられた声で私は正気に戻った。気が付くと信号が変わっていて、既に通行人が何人も行き交っている。

 ぞっとした。

 目にした瞬間は、その異常で支離滅裂な文字列に寒気がしたのに、目で追っているとみたいな気がしてきたのだ。恐る恐る目を動かしても、もうその紙はどこにも見あたらない。

 いっそ幻覚や白昼夢だったんじゃないかと思いながらも、私は半分駆け足でその場を離れた。


「何、あれ。気持ち悪い」


 怖くなって、私は急いでコンビニに駆け込む。帰るまでに溶けちゃうかもと思ったけど、怖さを紛らわせたくてスイーツとアイス、ついでにカフェオレも抱え込んでレジに向かう。


「ぺイペ――あ、もう残高ないのか。じゃあ、えっと、現金で」


 私はまごつきながらもなんとかお会計を済ませ、逃げるようにしてその場を後に……。

 しようとして、ふと手のひらに視線が釘付けになった。そこにはおつりでもらった小銭がある。何のことは無い小銭だ。

 なのに、どうしてか気になってしまって、私はしばらく店の出口で手のひらを眺めていた。


《令和 マイナス34年》


「は?」


 訳が分からなかった。

 だって、手のひらの小銭全部にそう書かれてあったから。


「え、令和、え、今7年……」


 おかしなところはもっとあるはずなのに、私はなぜかそれがすごく気になってスマホを取り出す。


「今、令和、マイナス何年」


 呟きながら打ち込んでいた文字を目にして、私は飛び上がって声にならない声で悲鳴を上げた。


「え、なんで、今私」


 そんなのあるわけないのに、大真面目に今が令和マイナス何年かを調べようとしていた私は、訳が分からないまま、けれど何かがおかしいと明確に気づいて、走り出そうと――して。

 顔を上げて。


「え」


 そこに、居た。

 毛むくじゃらの氷水の塊――



「……っていう、怖い話を考えてみたんだけど」

「――あ、終わった?」

「ちょっと、聞いてよ秋」

「いやー、思ったより七海ナナミの話し方上手くて、めっちゃ怖かったから途中から耳塞いでた」


 私はそう言いながら午後ティーのパックをずぞぞと吸い込む秋ちゃんを眺める。

 ホラー映画祭りが終わった後、流れでお泊り会をすることになって、秋のお姉ちゃんと3人で外食をしてきた。秋の部屋で、もう映画という気分でもなくなった私たちは動画を垂れ流しながらカフェでの時間と同じように雑談をしていたのだ。

 そこでふと、ホラー映画祭りに触発されて怪談っぽいことをしてみたくなった私が思い付きでしゃべってみたのだけど。


「ねえ、七海」

「なに?」

「夏、感じた?」

「……まあ、ちょっとはね」


 昼間、カフェで愚痴った私の言葉を受けてだろう。

 秋が流し目でこちらを見ながら、ベッドの上から聞いて来た。コイツは一人でくつろいでいるけど、あんなに食べた後だぞと私はほっぺをつっついてやったので気にしていない。


「……素直じゃねーなー」

「ふふ、そっちこそ。楽しそうだったじゃん、いつもより」

「――そりゃ、七海と一緒だからね。どこに居ても楽しいよ」

「……っ!?」


 秋が腕を枕にねっころびながら私にそう囁いて来て、一瞬何を言われたか分からなくなった。

 でも言葉はすぐに像を結んで、あわあわと手が宙を彷徨う。


「来年も、その来年も一緒に祭り行こう。行けなかったら部屋で映画でも見よう」

「――夏ー!!!!!」

「……えっ」


 いっつも、いっっっっっつも、感情が読めない顔ですましてる秋が、それ言う!!?!?!?

 そんなのさぁ!! 言われなくても私だって同じ気持ちなんですけど!!?!?


 ……という気持ちが喉の奥で詰まって転んで、「夏」としか言えなかった私は。


 耳が熱くなるのを、クッションを投げて誤魔化したのだった。



―終―

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