鬼が住むか蛇が住むか
原月 藍奈
鬼が住むか蛇が住むか
この世には『鬼』と呼ばれる存在がいる。人を操り、害をなす。盗み、殺人、いじめをした人にも鬼がついていた。そういう鬼を、私は日々倒しているのだ。
朝、昼、夕方と講義が終わって、夜。私は見回りを始める。
あちこちに連なる背の高い建物。看板のネオンの光。車の音。排気ガスと食べ物の臭い。酒に酔っていつもより大きくなった人の声。
こういう夜の繁華街はより鬼が出やすくなる。
私は周囲を警戒する。辺りには人、人、人――。けれども鬼は見つからない。鬼は人の後ろに薄っすらといるのだ。
今日はいないか……。
そう思って帰ろうとした時、一人の女性を見つけた。年齢は三十代後半か四十代前半くらい。茶髪でショートカットをしている。女性は同い年くらいのスーツを着ている男性と腕を組んで歩いている。
この女性……。薬指に指輪をつけている。ということは、この二人は夫婦? いや、違う。浮気しているんだ。
そう思った途端に女性の後ろに鬼の姿を認識する。白髪に赤黒い肌。赤い目に、口からのぞく鋭い牙。鬼の姿は私以外には見えないようだ。
あまり人が多い所では倒したくないけれど。このままにしておくと被害が出てしまう。…………仕方がない、か。
私はトートバックからちょっとした刃物を取り出す。刃渡り四センチメートル。刃物というより、包丁に近い。
きっと昔はちゃんとした刀で鬼を倒していたんだろうけれど。現代ではそうはいかない。包丁を持ち出すだけで精一杯だ。
私は刃物を構えてゆっくりと女性の後ろをついていく。女性も鬼も。まだこちらに気付いていない。
「……」
私は一層包丁を強く握る。そして女性の背中に刃物を突き刺した。ぶしゃぁっと赤い血が顔にかかる。周囲が騒然とする中、私は鬼から目を離さない。鬼はこちらを振り返りニタッと笑った。
「!」
その反応に大きく刃物を振り上げる。二刺し、三刺し…………。
そのたびに顔に血しぶきがかかるが、気にしてなどいられない。このままこの鬼を野放しにしてしまったら、確実に害をなすのだ。
そして何度刺したか分からなくなったところで、やっと鬼は動かなくなった――。
夜明け近くになって、やっと自分のアパートに帰ってきた。シャワーを浴びて血を落として、ベッドに倒れ込む。
つ、疲れた……。
けれど疲れと共に、確かな充実感がある。被害が出るのを未然に防ぐことができた。それがとても嬉しい。
そんなことを考えていると自然と瞼が下がってくる。
「…………」
眠りに落ちるまであと一歩。というところでピンポンとチャイムが鳴った。
??? こんな朝早い時間に誰……?
そうは思うもののなかなか起きることが出来ない。だが、チャイムはずっと鳴り続けている。
私はのそのそとベッドから起き上がり、鏡で軽く前髪を整えてから「ハイ?」と玄関のドアを開ける。外には二人組の警察官がいた。二人ともガタイがよく、四十代くらいの男性だ。二人とも怖い表情でこちらを見ている。
事件、とか?
私が首を傾げたのを見て、警察官も二人で顔を見合わせた。かと思うと「単刀直入にお伝えします」と口を開いた。
「あなたが女性を刺し殺しているのを見た、と目撃情報が上がっています」
「……?」
私が再び首を傾げる。と、警察官は警察手帳を取り出し、挟んでいた写真を見せる。写真には一人の女性が笑顔を浮かべていた。
確かにこの女性には見覚えがある。夕方に鬼にとりつかれていた女性だ。
私は「あー」と目線を上げてから、警察官と真摯に向かい合う。
「実はこの女性には鬼がついていたんです」
「「はぁ!?」」
「この世には鬼がいて――――」
鬼がどういう存在か、どう人に害をなすか。一生懸命に話した。それでも警察官はなかなか納得してくれない。
「だから私がやっつけたのは女性ではなくて鬼で」
「ではあなたが女性を刺し殺したと認めるのですね」
「いや、だから鬼がっ」
「そんな言い訳が通じると思っているのですか!」
「言い訳じゃなくて!」
警察官との言い争いが激しくなっていく。
このままじゃ世の中に鬼が
それは…………――――駄目だ。
気がつくと私は手に刃物を持っていた。そのまま何も考えずに警察官に突進していく。刃物は見事に警察官の腹の真ん中に突き刺さる。すぐさま刃物を引き抜いて、隣で唖然としている警察官の首に刃を当てた。
水風船に穴が開いたかのように、ビューッと勢いよく血が流れ出る。
「…………っ」
周囲の音は何も聞こえない。聞こえるのは自分の荒れた呼吸音と、心臓の音だけだ。私は刃物から手を離し、血塗られた両手を見る。
殺して、しまった……。いや。これは仕方のないこと。そう、仕方のないことなのだ。だってそうしなければ、世の中が…………。いや、そうじゃない。私は、私は……。鬼につかれていない、まともな人間を殺してしまったのだ。いや、それ以前にそもそも…………。
鬼につかれていた女性が頭に浮かぶ。その背後にいたはずの鬼がどのような姿であったか、もはや思い出せなくなっていた。
鬼なんて本当に存在したのだろうか――――。
鬼が住むか蛇が住むか 原月 藍奈 @haratuki
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