第4話 ちゃんと恋してる

 転がっていった下駄が、石段の下のほうでじっとたたずんでいる。

 それを見つけた新太郎が走って取りに行ってくれた。

 手に取ると、まじまじと下駄を見つめる。

 

「ああ、鼻緒が切れたのか。だから変な歩き方してたんだな。まったく、痛いなら痛いって言えよ。かごめはいつも意地張るんだから」


 呆れたようにため息をつかれ、わたしは、むう、とくちびるをとがらせた。


「だって……急がないと花火に間に合わないと思ったから。そもそも待ち合わせの時間に遅れてきた新太郎が悪いんじゃない」

「そりゃそうだ。本当に悪かった」

 

 下駄を手にして戻ってくると、新太郎は突然わたしの前に背中を見せて屈み込んだ。

 急になんだろう。

 

 ぼーっと立っているわたしを振り返ると、新太郎は目を細める。

 

「なにしてんだ、早く乗れよ」

「え? ……ええっ?」

 

 新太郎が背中を指し、あごをしゃくる。

 おんぶしてやると言いたいのだろう。

 

 ……って、いやいやいや。

 さすがにそれは恥ずかしいって。

 わたしは慌てて首を振る。

 

「や、で、でもわたし重いし、浴衣着てるし、それに」

「いいから早く。裸足じゃ歩けないし、足も怪我してるんだろ」

「う、そ、そうだけど」

「なら早く。ほら」

 

 ごにょごにょと言い訳しても、新太郎は屈んだままわたしがおぶさるのを待っている。

 

 この年でおんぶされるのって、かなり抵抗がある。

 しかも同級生の男子に。

 誰かに見られたらどうするのだろうと思うし、なにより、その、密着するし。

 自転車の二人乗りなんか比じゃないくらいに、くっつくもん。

 

「……重いけど、いいの」

「いいよ」

「その、胸とか当たるけど、いいの」

「まな板のくせになに言ってんだ?」

 

 後ろから蹴りを入れてやった。

 新太郎はよろけて「なにすんだよ」とわたしを振り返る。

 下駄を履いていないほうの足で蹴ったんだから、まだ優しいほうだ。

 

 ぶつぶつ文句を言いながらも、新太郎はまだわたしを待って屈んでくれている。

 わたしはくちびるを引き結んだ。

 新太郎の優しさは、いつでも恥ずかしくなるけれど、正直ちょっと嬉しいんだ。

 

 ……だから、今は、素直に甘えようと思う。

 

 ゆっくり新太郎に体を預ける。

 新太郎はひょいと軽々わたしを持ち上げて歩き出す。

 全然重くない、なんて言われて、わたしは少し照れくさかった。

 

 細身だと思っていた新太郎の体は、意外とがっしりしていて、背中もとっても広かった。

 なんだか男の人って感じだ。

 大人みたいだと思った。

 いつの間にこんなに大きくなっていたのだろう。

 わたしのことだって絶対重いはずなのに、顔色ひとつ変えないでどんどん歩いていく新太郎がかっこよく見えた。

 

 見るはずだった花火の音を聞きながら、二人で来た道を帰っていく。

 

「かごめ、帰ったら俺んちで花火しようぜ」

 

 突然の提案に、わたしは目をまたたいた。

 

「え、いいの?」

「おう。結局花火見られなかったしな。打ち上げじゃないけど、手持ちならいくつかあるんだ。かごめ、線香花火好きだろ」

 

 そう言われ、昔よく二人で線香花火の火玉の長持ち競争をしていたことを思い出す。

 いつもわたしが勝ってばかりで、新太郎はくちびるをとがらせてすねていたけれど。

 

「今日は負けねえぞ」

「今日もわたしが勝つよ」

「それはどうかな。昔の俺とは違うんだぜ」

 

 二人でひとしきり笑い合う。

 昔からこうしてくだらない会話で新太郎と笑い合うのが好きだった。

 新太郎と過ごす時間はなにより楽しくて、隣にいられることが幸せだった。

 

 ……そうか。

 自分では気がついていなかっただけで、わたしはずっと――新太郎のことが、好きだったんだ。

  

「ねえ、新太郎」

「なんだ」

「あのね。……いつもありがと」

 

 首に回す腕に、少しだけ力を込める。

 感謝なんてわたしらしくないけれど、今はちゃんと気持ちを伝えておきたいから。

 

 ……もちろん新太郎は、そんなわたしを訝しく思ったみたいだけれど。

 肩越しにちらちらとこちらをうかがいながら眉根にしわを寄せている。

 

「おいおい、いきなりどうした。今日のかごめ、なんだか変だな。急にしおらしくなったりして。いつもの生意気なおまえはどこに行った?」

「な、生意気って失礼じゃない。べつにいつもと変わらないでしょ。ただお礼を言っただけで」

「いいや違う、全然違う。……わかった、こうやってくっついてることに照れてるんだろ。つまりは俺を意識してるんだな」

「はあっ? なに言ってんの、バッカじゃない?」

「なんだ、違うのか」

 

 違わない、けれど。

 

 ああ、ここまできてまだ素直になりきれない自分がうらめしい。

 だからパパやママにも、かごめは素直じゃない、なんて言われて呆れられるんだ。

 

 新太郎は、やれやれと首を横に振る。

 

「まったく、昔からかごめは意地っ張りだよなあ。かわいくねえの。さっきのかごめはかわいかったのに」

「……どういう意味よ」

「俺のことが好きだって泣いてただろ。普段からあれくらい素直ならかわいいんだけどなあ。そんなに俺のことが好きか?」

 

 ふふんと鼻を鳴らす新太郎に、むっとする。

 

 なによ、余裕ぶっちゃって。

 新太郎がそういう態度を取るから、わたしもなおさら素直になれないんだ。

 

 腹が立って、首に回す腕に今度はめいっぱい力を込める。

 

「わ、ちょ、苦しい、かごめっ」

「そうだよ、新太郎のことが好き。新太郎もわたしを大切だって言うけれど、でもどうせ、妹感覚なんでしょ。だけどわたしは違う、わたしはちゃんと恋してるの。幼なじみとしてじゃなく、一人の男性として見てる。だから、なんだか悔しくて素直になれないの。……わたしばっかり、新太郎を好きだから」

 

 やけになり、言いたいことを言ってから腕の力を弱める。

 新太郎はけほけほと咳き込んで、それからしばらく黙り込んだ。

 ほらね。

 素直になったらなったで、なんて返せばいいかわからなくなるでしょ。

 

 わたしもなにも言わずに黙っていると、新太郎はぼそりと「俺だって」と言った。


「……俺だって、かごめに恋してるよ」


 わたしは思わず「……へ?」と気の抜けた声を漏らす。

 

 真面目な声音だった。

 おんぶされているから顔は見えないけれど、その言葉は冗談なんかで言ってないってことがしっかりわかった。

 

 新太郎は少し不満げに言う。

  

「ホント鈍感だよな。ちゃんと言わなきゃわかんないのかよ。

 ……俺は、ずっとかごめのことが好きだった。すげえ前からだぞ。かごめが自分の気持ちに気がつくもっと前から、ずっと恋してたんだ」

 

 心臓がうるさく脈打つ。

 喉をこくりと鳴らす。

 

 ちょっと待って。

 思ってもみなかった言葉に、自分の耳を疑ってしまう。

 

 今、好きって言った?

 新太郎が、わたしに、恋してる?

 

 ……うそみたいだ。

 知らなかった。

 好きなのはわたしだけかと思っていた。

 

 花火に誘ってくれたのも、泣くわたしを抱きしめてくれたのも、全部新太郎の優しさで――恋ではないと思っていたから。

 

「幼なじみってさ、心の距離が近すぎて、逆にお互いの気持ちが見えなくなるんだよな」

 

 新太郎は、ふっと息を吐いた。

 それから明るい声で言う。

 

「だから、やっと気持ちを伝えられて、ほっとしてる」

「で、でも、そんなこと今までちっとも……」

「言えるわけないだろ。かごめは俺のことなんて、全然興味なさそうだったし」

 

 それは、そうだけど。

 だってそばにいるのが当たり前だと思ってたし。

 無意識に自分のものだって思ってたっていうか。

 ……それこそ、家族同然だったんだもん。


「興味なくは、なかったけど」 

「いや、なかったよ。キャミソールとハーフパンツの油断した格好を見られても、ちっとも動揺しないくらいだからな」

「え、あ、それは」

「実際そうだったろ。だけど、俺が他の誰かにとられると思って、やっと自分の気持ちに気づいたわけだ。本当に鈍いよな、おまえ」

 

 顔が赤く染まっていくのがわかる。

 今までずっと好きな人に無防備な姿を見せていたんだと思うと、すごく恥ずかしい。

 今になって気づくなんて信じらんない。

 わたしのバカ。

 

「その格好やめろって、なんで言ってくれなかったの」

「そんなの、やめてほしくなかったからに決まってるだろ。あんな格好、そこらの男なら普通は見られないぞ。いくらまな板だって、俺にとってはご褒美だからな」

「やだ、新太郎、最低」

「はは、今さらだな。気づくのが遅すぎるかごめが悪い」

 

 笑う新太郎に、わたしはなにも言い返せなかった。

 新太郎の背中で、がくりとうなだれる。

 

「……あ、でも見た目よりは胸あるな。今背中に当たって――」

「降ろせ!」

「おいおい、暴れるなよ、褒めてんだって」

 

 慌てて体を起こして叫ぶけど、新太郎はわたしを降ろしてはくれず、けらけらと笑いながら歩いていく。

 

「ま、俺はどんなかごめも好きだぜ」

「……新太郎、今それ言うのはずるくない?」

「そうか? あ、あと、さっきは照れくさくて言えなかったけど、浴衣すっげえかわいい。メイクもめちゃくちゃ似合ってる。いい匂いもするな。それって全部俺のため?」

「べ、べつに新太郎のためだけじゃないし……!」

「でも、俺と会うからそうしたんだろ? じゃあ俺のためだな」

 

 う、と言葉に詰まる。 

 やっぱりずるいなあ。

 どう言えばわたしが黙るのか知ってるんだから。

 

 好きとか、かわいいとか……気持ちを聞かなきゃうずうずするのに、はっきり言われてしまうとなんだか恥ずかしくて仕方がない。

 今朝まで普通に過ごしていたのに、急に心の距離が近づいた気がしてそわそわする。

 

 ……おんぶされててよかった。

 赤い顔なんて、見られたくないもん。

 

「とりあえず、両想いってことがわかっただけで、今日の花火大会は来たかいがあったな」

「でも花火は見たかったよ。夏の思い出作りたかったもん」

「だから今から花火しようって。思い出だってこれからたくさん作っていけるだろ。夏だけじゃなく、春も秋も冬だって。俺ら、いつまでも一緒なんだからさ」

 

 そう言われて、はっとする。

 

 そうか、わたしたち、これからもずっと一緒にいられるんだ。

 今までなあなあで二人の時間を過ごしてきたけれど、これからは違う。

 堂々と新太郎の隣にいていいんだ。

 

 幼なじみとして、それから……彼女として。

 

「じゃあ今年の夏は大きいプールに行こうよっ。それから秋はピクニックに行って、冬はイルミネーション見に行こ! 春になったらお花見して、また夏が来たら今度こそ花火を見に行って、それから、それから……やりたいことがいっぱいあって悩むなあ。ふふ、楽しみ!」

「行くのはいいけどさ、思い出作りだけじゃなくてまずは夏休みの宿題をちゃんとしろよ。あとで見せてなんて言うなよな」

「む、わ、わかってるもん……」

 

 慌てた返事に、いつもとおんなじ笑い声。

 

 思っていたよりも広い背中に耳を押し当ててみる。

 汗で湿る肌と肌が触れ合って、お互いの鼓動の音が重なり合う。

 

 今年の夏のいちばんの思い出は、きっと今のこの瞬間だ。

 やっと気づいた恋ごころが、小さな胸の中で花火みたいに小さくぱちぱちと音を立てて燃え始めた。

 

 夏は、蒸し暑いけど。

 宿題もバカみたいに多いけど。

 

 今年の夏休みは、案外悪くないかもしれない。



 fin.

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夏と花火と恋ごころ 彩芭つづり @irohanet67

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