夕方の呼び出し
呑戸(ドント)
夕方の呼び出し
この話に登場する名前は仮名である。
河村さんは車好きで、ドライブをこよなく愛している。
山や海沿いを飛ばすのもいいが、以前は街を流すのを好んだそうだ。
「ピッカピカの車で走ると、どうだ! って気持ちになるんですよね」
特に「地方都市の風景の中」を走っていると、とてもいい気持ちになれたらしい。
家電量販店や大きな飲食店、やけに大きな靴屋やパチンコ店などが建ち並ぶ道路──と言えばわかりやすいだろうか。
そういう道だと、自分が乗っているようなスポーツカーはあまり走っていない。
優越感に浸れる。
「やっぱり、高層ビルの立ち並ぶ都会では埋もれちゃうわけですよ。歩いてる人も急いでて見てくれないし。まぁ──」
困ったような顔で河村さんは頬を掻く。
「そういう、『田舎なら目立つだろう』みたいな気持ちはね。褒められたモンじゃないですけど。でもやっぱり自慢したいわけで」
だからああいう目に遭ったのかなぁ。
バチが当たったって言うか。
いや、これがどういうバチなのかはわかんないんですけど──
暑さの残る初秋の、日曜日だったという。
その日の河村さんは、恋人を同乗させていた。東北の某県にある動物園まで足を伸ばしたのだ。
河村さんは動物に興味はない。
一方の恋人は、河村さんがスポーツカーを見せびらかしたい気持ちを隠さないことに、
「それは、趣味悪くない?」
と口を尖らせていた。
そんなわけで今日のデートには、「取引」の側面があった。
恋人が行きたい動物園へ行く代わりに、帰り道には国道を走って河村さんの車を見せびらかす──そんな取引である。
動物園は思いの他、楽しめた。
「行ってみると、なんやかやで楽しいモンなんですよね」
午前中に出かけて、たっぷりと見て回ってから、じゃあそろそろ帰ろうか、となった。
行きと違って高速道路は使わず、河村さんは下の道を通っていく。
山道をいくつか越えると、「地方都市の風景」が見えてきた。
ホームセンター、ファミレス、衣料品店、牛丼屋、カーディーラー、釣具屋──
そういった店が広い道路の左右にひしめいている。そこを少しゆるめのスピードで走る。
歩道を歩く高校生や中年が「おぉ」といった眼差しを河村さんの車に向ける。
やはり、気分がいい。
「なんか、どこも一緒だねぇ」
恋人が左右の建物を見ながら助手席で言った。
「自分の生まれたトコもだいたい、こんな街並だったなぁ」
陽が傾いてきて、街並が赤く染まってくる。
「このまま真っ直ぐ帰っても、八時を過ぎちゃうな」と河村さんは言った。「日曜日だから、どこの店も混んじゃうね」
食事をどうしようか、という話だった。
もうすでに、結構お腹が空いている。
かと言って国道の左右に並ぶ回転寿司屋や牛丼屋には車がいっぱいに停まっている。家族連れで満席の店では食べたくない。
少しのやりとりのあと──
「コンビニでちょっとしたパンとか飲み物を買って食べて、あとは帰ってから考えよう」
ということになった。
大きな紳士服店の隣にコンビニを発見し、田舎特有のだだっ広い駐車場に車を入れた。
全国チェーンの有名なコンビニエンスストアである。
日暮れの真っ赤な太陽に照らされる中、河村さんと恋人は
「なに食べる?」
「まぁ見てみないとね」
などと言い交わしながら車を降りた。
他の飲食店は軽自動車や乗用車でぎっしりなのに、そのコンビニには一台も車が停まっていなかったように記憶している。
夕陽で真っ赤に染められたアスファルトをざりざりと、コンビニの入口に向かって歩く。
突然。
音楽が鳴りはじめた。
うわっ、とふたりで首をすくめて、思わず立ち止まってしまった。
「ビックリしたぁ」
「いきなりだもんねぇ」
音楽がどこから流れているのかはすぐにわかったので、振り向いた。
背後、車を停めたすぐ脇にある電柱だ。
「ほら、あそこ」恋人が指さす。
電柱の高い位置に、スピーカーがついている。
そこから聞こえてくるのは「夕焼け小焼け」だった。
歌はなく、ピアノだけの曲だ。
あぁアレか、小中学生の下校時間の合図みたいなやつ──
河村さんは懐かしさを覚えた。
自分の生まれ故郷でも似たような光景があったからだ。
河村さんのいた地域でも「夕焼け小焼け」が流れていたけれど、ピアノではなくハンドベルのような涼しげな音色だったような気がする。
恋人の方を眺めると、そちらも懐かしそうな表情でスピーカーを見ている。
──ん?
河村さんは不審なことに気づいて、腕時計を見た。
六時二十分過ぎ。
──この時期にしては、少し遅い。
いや、というか。
このチャイムは五時とか五時半とか、キリのいい時間に流すものではないだろうか。
スピーカーが周辺のいろいろな場所に設置してあるのだろう。街のあちこちから「夕焼け小焼け」が聞こえてはじめた。
距離が違うせいか微妙に遅れていて、エコーのように響いて、重なって聞こえる。
不協和音のようになっていく。
ぐちゃぐちゃに混ざっていく。
何の曲なのかわからなくなっていく。
てんでバラバラの曲が鼓膜を打つ。
聴いていて徐々に、不快な気分になってきた。
「なんか、ゴチャゴチャして聞きづらいよねぇ。設置場所とか考えないからだよ──」
恋人に大声で言ってから、ほら行こう、と腕をつついた。
恋人はまだ顔を上げて、スピーカーを眺めながら、音楽に聞き惚れていた。
夕陽に染まる横顔の瞳が潤んでいるように見える。
口が半開きになっていた。
重ねて声をかける気にならず、河村さんは「先、行ってるから」と言い残してコンビニへと向かった。
音楽が大きくなっている──気がする。
コンビニの自動ドアが開いた。
足を踏み入れようとしたその瞬間。
ぴたり、とスピーカーの音楽が止んだ。
一斉に止まった。
自動ドア、開いたガラス戸の前で河村さんは、思わず立ち止まってしまった。
すると。
「かわむら、まことさぁん」
後ろの駐車場、自分の車を置いた電柱の上のスピーカーから、女の声がした。
かわむらまこと。
自分の名前だった。
「かわむら、まことさあん」
もう一度呼ばれた。
細い、力のない女の声だった。
この土地に来たことはない。
彼女の故郷でもなく、親類や知人もいない。
未知の土地だ。
仮に縁があったとしても、スピーカーで名前を呼ばれるような理由がない。
言いようもなく不安になって、コンビニの中に飛び込もうとした。
手の中にある車のキーをもぎとられた。
え、と振り返ると恋人がキーを握って車へと走っていく。
「ち、ちょっと」
河村さんはぎりぎりで追いつけなかった。
恋人は車の助手席に飛び込み、ロックしてしまった。
「おい、どういう──」
助手席の窓を軽く叩くと、恋人はステレオをかけて音量を上げる。車の外側に振動が伝わるほどの大音量だった。
「何だよおいっ」
河村さんは窓をコンコンと叩き続ける。
恋人は前を向いて、こちらを無視していた。
河村さんはさらに強く叩こうとしたが、やめた。これ以上叩くと車の警報が鳴ってしまう。
車中からの轟音を縫って、頭上のスピーカーからは同じ声が降りてくる。
気づけば向こうからも、また別の方向からも、自分を呼ぶ声が断続的に聞こえてくる。
「かわむら、まことさあん」
「かわむら、まことさあん」
「かわむら、まことさああん」
なんだ、これ──
河村さんは頭を抱えて、その場にしゃがんでしまいたくなった。
その時。
助手席の恋人がゆるゆるとこちらを向いた。
元から色白の顔が、透き通るくらいに真っ青になっている。
口を大きく開けた。
唇の動きだけでわかるようにしながら、
「たべもの」
と恋人は言った。
「たべもの、かってきて。かってきたら、ドア、あける」
口の動きだけでそう言う。
なんで──と問い
とりあえず買ってくるしかないように思えた。
大音量で音楽をかける車と、「かわむら、まことさあん」と細く一本調子で呼び続ける声を背に、河村さんはコンビニへと足を向けた。
自動ドアが開いたので、入る。
店内の見える所に客はいないようだった。
こつん、と自動ドアが閉まって、店内のBGMが耳を打った。
外の音が遠くなる。
流行っている曲に乗せてタレントが新商品の紹介をしている。店内は明るく、店員はぼんやりとレジの中に立っている。
ありふれた光景に、河村さんはホッとした。
「食べ物──」
小さく呟きながら弁当売場に向かう。
おにぎりがたくさん並んでいる。
食べ物なら何でもいいのかな。
昆布に、梅──と左から適当にひとつずつ取っていき、横にして手の平に積んでいく。
四つ積んだところで、最後のおにぎりを取って空いた小さなスペースに、紙が一枚置いてあることに気づいた。
フェアやお知らせの厚紙ではない。
コピー用紙を雑に割いたような紙だった。
紙には震えるような細い文字で、こう書かれていた。
【9月28日 かわむらまこと】
今日だった。
ぞっ、とした。
無言で売場のすぐ隣にあるレジにおにぎりを置く。
眼鏡をかけた若い店員が「いらっしゃいませ」と言いながら、おにぎりのバーコードを読んでいく。
スマホ決済で手早く済まそうとしてポケットを探ったが、入っていない。車に忘れたらしい。
河村さんは財布を出して、中身を見た。
紙幣はなく、小銭しか入っていない。五百円が一枚、百円玉が何枚かある。たぶん足りそうだ。
ぞわぞわしつつ財布の中を覗いている最中も、店員は普段通りのことを訊いてくる。
「ポイントカードはお持ちですか」
「いえ、大丈夫です」
「袋やお箸は」
「いらないです」
「四点で、六百四十二円です」
この店はまだ自動レジではなかった。河村さんは小銭を掻き出して、皿に乗せていく。すると、
「ふふっ、ふふふふふふ」
目の前から忍び笑いが聞こえた。
顔を上げると、店員が口に手を当てて笑っていた。
「ふふ、ふふふっ、すいません」
店員は頭を軽く下げながら、河村さんに言った。
「本当に来た、と思って」
掴んだ小銭を全部レジに投げ出して「お釣りは要らないです」と叫び、おにぎりを掴んで店を出た。
「あはははははははははははは」
背後から複数の男女の笑い声がした。
おにぎりを抱えて車に近づいていくと、到着する前に恋人は降りてきていた。
音楽は切ってある。
「かわむらまことさあん」と呼ぶ声はまだ延々と続いている。
手を伸ばして「ちょうだい」と言われたので、四つ丸ごと渡した。
すると恋人はそのうちのふたつを車のボンネットに乗せて、あとふたつのビニールを剥きはじめた。
尋常な目つきではない。
恋人は振り返って、ビニールを取り終わったおにぎりを、スピーカーのついた電柱の根本に置いた。
そうしてからしゃがんで、拝みはじめた。
ぼそぼそと、小さな声で、呟いている。
河村さんは必死に口元を見ていたが、恋人が何と呟いているのかはついにわからなかった。
何分経ったかわからない。
恋人はやおら立ち上がり、ボンネットに置いてあったふたつのおにぎりを掴んで、
「帰ろう」
短く言ってから、助手席に乗り込んだ。
ふと気づくと──
「かわむら、まことさん」と自分を呼ぶ声は途絶えていた。
街のどこからも、そんな声はしていなかった。
身体の芯から恐怖が襲ってきて、河村さんは運転席に乗った。
エンジンをかけて車を出し、夕陽が沈みかけて暗さが忍び寄っている国道へと出た。
出る直前にちらり、とコンビニの方に視線をやると、さっき自分を
その背後。
大きな窓ガラスから見通せる店内に、ぎっしりと人が立ってこちらを
一瞬のことだったから、見間違いだと思うことにした。
鳥肌を立てながら街を抜けて山道に入った。とにかく怖かったので口が開けず、音楽をかける気にもならない。
ただ前を見て飛ばしていた。
三十分ほど走っていると、やがて周囲が暗くなった。
陽が落ちたのだ。
対向車も少なく、後続車もない。
ようやく落ち着いてきた河村さんは、「なぁ」と恋人に声をかけた。
「あのさぁ、さっきのアレ、どういうことか説明してくんない」
訊きたいことはたくさんあったし、恋人の対応は何かを知っているとしか思えなかった。
助手席から返事はない。
「いや無視しないでよ。さっきの放送とか、拝んでたのとかさ、何か知ってんじゃないの」
返事がない。
「ねぇッ」
大声を上げながら横を向くと。
恋人は目を閉じて、すうすうと眠っていた。
ちょっと──と肩に手を乗せて揺さぶる。
「んんっ──ふ~ッ」
恋人は目を開けて、身を反らした。
「寝ちゃってた」
先ほどの異様な雰囲気は消え去って、普段の恋人に戻っている。
「え。あれっ、もうこんな時間?」
車の時計を見て驚いている。
いや、時間なんかより──と河村さんは恋人に迫った。
夕焼け小焼けからの呼び出し、車に閉じ籠ったこと、おにぎりを買わせたこと、何か呟きながら拝んだこと──
さっき起きたこれってさ、どういうことなの、と訊ねる。
恋人は、ぽかんとした表情になった。
「えぇ? なにそれ?」
と言った。
恋人は、コンビニに寄った記憶はない、と主張した。
国道を走ってはいたし、お腹が空いたねという会話もしたが、コンビニには寄らなかった、と言うのだ。
「回転寿司屋とか牛丼屋とか、どこの店も混んでるし、一回ウチに帰ってから考えよう、つったじゃん」
そんな馬鹿な──
河村さんはダッシュボードに置かれたままの、ふたつのおにぎりを手に取った。
鼻先に突き出す。
「だってほら、おにぎり買ってあるじゃん。コンビニの」
恋人は「あれっ?」と言いたそうな顔になった。
「ホントだね。買ってある」
寝ぼけてんのかなぁ──と呟いてから、「ん?」と鼻をくんくん言わせた。
「なんか、なんかこのおにぎり、変な臭いしない?」
「変な臭い?」
「ちょっと貸してみてよ」
恋人はおにぎりの片方のビニールをピーッと引いてから、もう一度臭いを嗅いで、
「うわっ何これ」と叫んだ。「すッごい酸っぱい臭いするよ! 腐ってるよこれ」
まさか。
少し置いておいただけなのに──
河村さんも鼻先に寄せて嗅いでみた。
鼻から目にかけて、つん、とキツい臭いが刺さった。
ビニールを切り開けたことによって刺激臭が車内に満ちていく。気分が悪くなった。
いや、気分の問題以上に──
これは車内に置いておけない、と思った。
河村さんは窓を開けた。全開にした。
道路脇には常夜灯がぽつん、ぽつん、と立っている。
奥にはガードレールがある。
さらに奥には緑色の森が、夜の闇に沈みつつあった。
河村さんは片手でハンドルを握りつつ、もう片方の手で思い切り、ふたつのおにぎりを森の方へと投げた。
ええっ、と恋人の咎める声がしたが、
「いいんだ」
河村さんは言った。
「あれ、捨てた方がいいんだよ」
無事に帰宅したが、食事をとる気にはならなかった。
恋人も河村さんに語られたことが徐々に身体に染み込んできたようで、ひどく怯えている様子だった。
その日は「もしなんかあったら、連絡して」「うん」とだけやりとりして、そのまま別れたという。
考えてみれば──と河村さんは言った。
「出かけたのって日曜日だったんですよね。だから子供の下校時間の音楽なんて、鳴るわけないんですよ」
恋人に訊いてみる気にもならない。
「あの様子だと隠してるんじゃなくて、本当に憶えてないっぽいので──」
無理に聞き出そうとしたり、思い出させようとするのも、関係にヒビを入れてしまう気がする。
だから、あれは一体なんだったのか、河村さんはいまだにわからないでいる。
その後おふたりには、これといった不幸は起きていない。
一週間ほど関係はギクシャクしていたが、追い討ちをかけるような出来事は発生しなかったこともあり、ふたりの仲は元通りになった。
変わったことと言えば、河村さんが「田舎に出向いてスポーツカーを見せびらかす」のを、きっぱりとやめたことくらいだ。
「やりたい気持ちはあるんですけどねぇ。さすがに怖かったですから」
それと──
変化が、もうひとつ。
河村さんの恋人はおにぎりを握るのが上手で、時折お弁当や夕飯として綺麗に作ったおにぎりを食べさせてくれていたのだが。
まともに握れなくなってしまった。
握っているうちに、何故かご飯も具材も海苔も、手の中で全部、グチャグチャになってしまうそうである。
夕方の呼び出し 呑戸(ドント) @dontbetrue-kkym
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